「ひばりが丘団地」「滝山団地」と団地巡りのようになってきたが、続けて「東久留米団地」(現在「グリーンヒルズ東久留米」)も「訪ねる」ことにする。この団地周辺は、少し前に日帰り温泉施設ができたりして、かなり様相が変わったが、ここにも固有の歴史がある。この団地が誕生した時の模様を描いた小説を紹介することから始めたい。

 前回、1960年に当時の皇太子夫妻がひばりが丘団地を視察したことを述べ、団地生活の広告塔のような効果を果たしたことに触れた。ではなぜ、このとき皇太子夫妻は団地を訪れたのだろうか? もちろん当時、ひばりが丘団地が日本一大きい団地だったからだろうが、ちょっと違う側面について考えてみたい。(写真は、冬色の滝山団地。筆者撮影)

 原武史著『レッドアローとスターハウス もうひとつの戦後思想史』(新潮社)の〝主役〟は「ひばりが丘」である、といいたい。16本ある章題のうち6箇所も「ひばりが丘」(1箇所は駅名の「ひばりヶ丘」だが)が出てくる。かつて、こんなボリュームで「ひばりが丘」を取り上げた本は、たぶんなかった。(写真は「ひばりヶ丘パークヒルズ管理サービス事務所」として残されたひばりが丘団地の「スターハウス」)

 前回も述べたように、『孤独のグルメ』の原作者・久住昌之は三鷹市出身で、ついでに言うと筆者と同い年らしい。氏は『東京都三多摩原人』(朝日新聞出版、2016年)という本も出しているのだが、これが本連載と問題意識的に重なるところが多そうな自伝的エッセイなのである。世代論なんて信用できないという意見もあるが、この本で述べられた体験的なことになると、さすがにオッと思うことも多い。(写真は、東久留米市の浅間神社脇を流れる立野川。昭和の時代、この川は……)

 恥ずかしながら、つい最近まで金木犀の香りというのがわからなかった。70年代末、堀内孝雄が「君のひとみは10000ボルト」という曲を歌い、そこで「金木犀」が出てくるのだが、それが秋の花だということすら知らなかった(作詞は谷村新司、もっともこの曲は秋という感じがしないのだが、それはおくとして)。

 『孤独のグルメ』をご存知だろうか。松重豊主演、テレビ東京系のドラマで、10月7日から「ドラマ24」枠(つまり深夜枠)で Season10 が始まることが発表された。2012年スタートだから、長寿ドラマといえる。「おじさんがご飯を食べているだけの番組」(2018年、このドラマが韓国で最も人気のあるドラマとして表彰された際の松重豊の言葉)が、今年で10周年というのは興味深い現象だ。

 酷暑である。夏といえばお盆とセットになって戦争のイメージがある。今年はいつ終わるともしれないウクライナ戦争やコロナ禍で、よけいに戦争が意識される。戦争を知らない世代にとってもそうなのだから、マスメディアには山ほどの問題があるにしても、この夏の定番をつくったことについては評価したい。夏はこれでいいのだ、と思う。武蔵野の戦争ついてはこれまでも何度か述べてきたが、今回はその敗戦後について少しふれてみたい。

 昔といっても、明治初期のこと。いわゆる三多摩地区は神奈川県に属していたことがあった。その後はずっと「東京」に帰属するが、この歴史は、多摩地区の微妙な位置をあらわしているのかもしれない。
(写真は、ひばりヶ丘駅に入線した東急東横線の車両。「神奈川県」は意外に近い)

 まだ試したことはないのだが、西武線とあまり縁のない人に「石神井」という地名を見せると、どれくらいの人が「しゃくじい」と読むだろうか。案外難読地名かもしれない。今回はその「石神井」と、前回からふれている「石神井川」をめぐるあれこれについて探ってみたい。
(写真は石神井公園周辺。いわれてみると城跡の感じがある?)

 さる4月下旬、テレビ東京の「出没!アド街ック天国」で「武蔵関」が取り上げられた。この街が特集されるのは「おそらくテレビ初」というのが、〝つかみ〟の文言のようになっていた。それくらいマイナーというか、地味な街ということなのだろう。(写真は、桐野夏生『OUT』に登場すると思しき小金井公園)

 トピックス的なことから始めたい。
 2月のはじめ、来年春の NHK連続テレビ小説の発表があった。神木隆之介主演で「日本の植物学者の父」と呼ばれる牧野富太郎博士をモデルにした『らんまん』に決まったという。
 この牧野博士、大泉学園に縁が深い。氏が1957(昭和32)年、満94歳で没するまで研究生活を送ったのが、大泉学園駅からほど近い場所だったのである。現在その地は「練馬区立牧野記念庭園」となっている。練馬区は張り切って区報の「号外」まで出した。その模様を2月17日の東京新聞が「地元沸く」と報じている(写真)。

杉山尚次(編集者)

 前回に続き、国木田独歩の「武蔵野の発見」に関する議論をみていきたい。そうすることによって、近隣の見え方が変わってくるのではないか、そのヒントがあるのでないか、という期待をこめて考えたいと思う。今回、ちょっと理屈っぽいです。(写真は、冬枯れの武蔵野 西東京市の旧東大農場にて)

杉山尚次(編集者)

 国木田独歩の『武蔵野』は武蔵野を描いたもっとも有名な書物である、といって異論はでてこないだろう。あまりに典型なので、これまで触れてこなかったのだが、ここらで真打にご登場いただくことにする。
 写真は、筆者が所有する1967年改訂版の新潮文庫『武蔵野』。晩秋の雑木林と農家。ここに描かれている風景は「これぞ武蔵野」といえるもので、このイメージは「武蔵野の面影を残した」というフレーズとともに、いまも紋切り型として生きている。

杉山尚次(編集者)

 前に玉川上水について書いたとき、玉川上水の三鷹あたりといえば太宰治の終焉の地であり、「太宰と三鷹」というテーマはアリだなと思っていた。ただ、あまりに有名な作家であり、作品の中身だけでなく周辺的なエピソードについても賑やかな人物なので、新発見は期待できそうにない。ご存知のことばかりだったら、御免あそばせ。(写真は、玉川上水周辺。柵の向こうに水路がある)

杉山尚次(編集者)

 奇特なことに、この連載を仙台で読んでくださっている大学の先輩が、「『深大寺の白鳳仏』という本があるけど、取り上げないの」というメールをくださった。「いかん、ちょっと前に書評を見た気がする、ど真ん中のテーマだ」とひとち、読んでみることにした。(写真は、調布市深大寺元町の深大寺本堂)