玉川上水

「書物でめぐる武蔵野」第15回 「太宰治」はお好き?@三鷹

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2021年12月23日

杉山尚次(編集者)

 前に玉川上水について書いたとき、玉川上水の三鷹あたりといえば太宰治の終焉の地であり、「太宰と三鷹」というテーマはアリだなと思っていた。ただ、あまりに有名な作家であり、作品の中身だけでなく周辺的なエピソードについても賑やかな人物なので、新発見は期待できそうにない。ご存知のことばかりだったら、御免あそばせ。(写真は、玉川上水周辺。柵の向こうに水路がある)

 

太宰は三鷹の作家

 

太宰治

インパネコート姿の太宰治

 三鷹市は太宰治で「まちおこし」中である。「太宰治 三鷹」で検索すれば三鷹市の「太宰の生きたまち・三鷹」というサイトに簡単にたどりつく。

 ここには、「太宰治文学サロン」という観光案内所みたいな場所の紹介、「太宰ゆかりの場所」ガイド、「三鷹が登場する作品」というページまである。では、「太宰と三鷹」についてはこちらをご覧ください、で終わってしまいそうだが、そうはいかない。

 考えてみると太宰はかなり不思議な存在である。三鷹は、太宰が亡くなるまで住んでいた土地であり、墓もあるが、彼の亡くなり方はフツーではない。昭和23(1948)年、太宰は愛人とともに玉川上水に入水自殺したわけで、今日こういう事件が起ころうものなら、猛烈なスキャンダル報道があらゆるメディアを席捲するだろう。人気作家*の不倫、おまけに太宰はそれまで心中未遂を2回起こしている。昨今の〝不倫警察〟みたいな状況がなくても、太宰の所業に眉をひそめる向きも少なくなかったはずだ。とりわけ、公の機関と相性がいいとは思えない。

 

玉川上水

太宰発見の報に集まった人たち

 にもかかわらず、太宰は〝三鷹の作家〟になっている。太宰を地元の作家として遇しているのは津軽だけではないのだ。
*人気はあったが、太宰の作品がベストセラーとなるのは死後だったようだ。心中事件〝効果〟により『斜陽』が大ベストセラーとなる。猪瀬直樹『ピカレスク 太宰治伝』「あとがき」(2000年、小学館)より。

 

禅林寺

 

 もちろん筆者は太宰の不道徳性を指弾し、それにのっかる行政もけしからん、などと言うつもりは毛頭ない。作者と思しき主人公があれこれ動き回る「私小説」であろうが、なかろうが、小説の世界はあくまでフィクションとして扱われてしかるべきだが、往々にして実生活とフィクションはごっちゃにされる。ところが、太宰についてお役所は、意外にもそれをきっちりと峻別しているようにみえる。

 三鷹市も然り、文部省(文科省)も太宰の作品を教科書に採用することを是としている。筆者は中学の国語(まさか道徳じゃあないが)で『走れメロス』を、高校では『津軽』(抄録)を読んだ記憶がある。

 作家の実生活の問題を一番つつきそうなお役所が、太宰を評価するのはよく考えると不思議なのだが、結果的にお役所は〝良い作品は良いのです〟としていることになる。どこか???が残るが、これは喜ばしいとしておこう。

 ともあれ、太宰は小説の中に三鷹周辺のことを書き残している。そこで印象深いのは、自分の死とその後を予見するようなことを書いていることだ。

 ひとつはお墓のこと。

《この寺(禅林寺)の裏には、森鷗外の墓がある。どういうわけで、鷗外の墓が、こんな東京府下の三鷹町にあるのか、私にはわからない。けれども、ここの墓地は清潔で、鷗外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした…》(「花吹雪」p88、新潮文庫『津軽通信』所収、( )内は引用者注、以下同)

 この短編は雑誌未発表だったようだが、ここに登場する「黄村先生」は「黄村先生言行録」という昭和18(1943)年にも出ているので、きっとその頃の作品に違いない。

 この文章があったためなのか(たぶんそうなのだろう)、太宰は亡くなった翌月、禅林寺に葬られている(ずいぶん早い)。墓碑は鷗外の墓のすぐ近くにあり、ここで毎年太宰を偲ぶ「桜桃忌」が営まれている。

 

玉川上水

 

 もうひとつは「玉川上水」だ。
 実をいうと、この連載の10回目で玉川上水にふれたとき、海野弘『武蔵野マイウェイ』(冬青社)がこのエピソードを紹介していたのだが、そのときはスルーさせていただいた。

 新潮文庫『新ハムレット』に「乞食学生」という短編が収載されている。ここに三鷹あたりでは「人喰い川」と呼ばれた玉川上水が出てくる。

 

玉川上水

現在の玉川上水

 

《この辺りで、むかし松本訓導という優しい先生が、教え子を救おうとして、かえって自分が溺死なされた。川幅は、こんなに狭いが、ひどく深く、流れの力も強いという話である。》(p87)
《人喰い川を、真白い全裸の少年が泳いでいる。いや、押し流されている。…わあ寒い、寒いなあ、と言い私のほうを振り向き振り向き、みるみる下流に押し流されて行った。私は、わけもわからず走り出した。…私は、泳げないが、でも、見ているわけにはいかぬ。私は、いつ死んだって、惜しくないからである。…死所を得たというものかも知れぬ、なとど、非論理的な愚鈍の事を、きれぎれに考えながら…》(p87、88)

 これは昭和15年に発表されている。当時太宰は三鷹に住んでいて、戦中の疎開を経て敗戦後にこの地に戻るのだが、昭和23年、引用したあたりの玉川上水に入水した、という因縁話なのである。

 「全裸の少年」が玉川上水を泳いでいたのは四月という設定。この「少年」が減らず口を叩いたり、急にしおれたりするものだから、まさに主人公「私」の投影、モノローグの劇、ありえねぇ観念小説だ、と先日何十年ぶりに読んで早合点した。ところがこのたびもう一度ゆっくり読み直したら、浅薄な読みだったと反省した。太宰の作品は、こういうことがあるからこわい。

 

何度でも読める

 

 作家である主人公の「私」(32歳)が、不出来で納得できない作品を雑誌社に送ってしまったところからこの作品は始まる。そして先の玉川上水のシーンとなり、当たり前のように水から上がっていた少年=佐伯五一郎と対面、喧嘩腰のような対話が始まる。井の頭公園の茶屋、新たな登場人物=熊本君の下宿、渋谷の食堂と場所を替えながら、ばかばかしくも聞こえるが、どこかものごとの深淵にも届いているような「やりとり」が続く。

 たとえば――

 私「僕は、つまらないんだよ、そういう話は。世の中の概念でしか無い。歩けば疲れる、という話と同じ事だ。」
 佐伯「君はお坊ちゃん育ちだな。人から金をもらう、つらさを知らないんだ。概念的だっていい。そんな、平凡な苦しさを君は知らないんだ。」(p106)

 という具合。あるいは、佐伯が私を連れ、熊本君の下宿を訪れた際の台詞。

 佐伯「君(熊本君)は、いつでも読まない本(洋書)を机の上にひろげて置いて、読んでる本(里見八犬伝)は必ず机の下に隠して置くんだね。」(p113)

 ここに、数学者の話やら、ヴァレリーやら、フランスの無頼で放蕩の詩人フランソワ・ヴィヨン(太宰「ヴィヨンの妻」のヴィヨン、ただ本作との関係はないとの説もあり)の詩も絡んでくる。そして、私は渋谷の街で二人を前に「青春の詩」を高らかに吟ずる。「アイン、ツワイ、ドライ。」……その後「夢落ち」まである。

 本作は小説というより戯曲なのだ、と思ったら腑に落ちた。しかし、なんのことはない最後の詩は「アルト・ハイデルベルヒ」というドイツの演劇作品*からの引用であることが作中で明示されているから、太宰も演劇を意識して書いているわけである。

 3人でできる芝居だ。その舞台を想像してみてたら愉快になった。ちなみに、上の引用は戯曲風にアレンジした。
*旧制高校の学生なら知っていて当然の作品だったようだ。西洋の古典や文学に通じていた太宰の特質をあらわした手法だということを、文庫解説の奥野健男が指摘している。

 

ヘタレな文学青年イメージ

 

森田童子

『ギター弾き語り 森田童子の世界』(国際楽譜出版社)より

 ついでに言うと、筆者にとっての「太宰と玉川上水」は森田童子の歌である。森田童子は70年代、マニアックなファンに支持されたひじょうに暗~いフォークシンガー。彼女の曲は、90年代にドラマの主題歌になって一時的にリバイバルヒットしたことがあって(「僕たちの失敗」76年)、それで知っている人もいると思う(2018年に死去、少し話題になった)。

 彼女に「まぶしい夏」という歌があり(75年)、〝玉川上水沿いを歩くと君の小さなアパートがあり、…太宰の好きな君は睡眠薬を飲んだ〟という内容が歌われていた。この曲がものすごく好きだ、ということではないが、「桜桃忌」の話題を見かけたりすると、この歌が頭の隅をよぎることがある。

 典型的な太宰のイメージというより、〝悩める少し病んだ文学青年〟という太宰ファンのカリカチュアが浮かんでくる。これがイヤで筆者は「太宰が好きだ」と言うのが気恥ずかしい(天につばする近親憎悪もいいところだが)。

太宰治

悩み深い?太宰

 文芸評論家の斎藤美奈子は、「日本の近代小説の主人公は、…内面に屈折を抱えた「ヘタレな知識人」「ヤワなインテリ」」であると断じ、「「いつまでグズグズ悩んでんのよ」とドつきたくなる」と述べている(『日本の同時代小説』p5、2018年、岩波新書、ちなみに、この本に太宰は登場しない)。 そうだよな、と思いつつも、太宰も太宰ファンも「グズグズ悩んで」いると、ミナコちゃんに「ドつかれ」ちゃいますよ~、となるのだろうか。

 太宰の「ヴィヨンの妻」には「ヘタレ」どころか、借金を重ね、料理屋の金を持ち出し、その主人夫妻に自宅にどなり込まれる、というトンデモない詩人・大谷が主役で登場する(その妻が語り手)。

 当然ドつきたくなるような男なのだが、語り手の「私」は自分の夫のあまりの行状を聞いて

《思わず、私は、噴き出しました。理由のわからない可笑しさが、ひょいとこみ上げて来たのです。あわてて口をおさえて、おかみさん(金を持ち逃げされた料理屋のおかみ)のほうを見ると、おかみさんも妙に笑ってうつむきました。》(新潮文庫版、p98)

 と書く。悲惨の極限では、もう、笑うしかない、ということだろうか。善悪の彼岸?

 ついでに三鷹にこじつけると、井の頭公園では印象的なシーンがある。金策のあてもなくとほうに暮れ、子どもと二人で池のほとりに来てしまった「私」。

《池のはたのこわれかかったベンチに二人ならんで腰をかけ、家から持ってきたおいもを食べさせました。…坊やは、何と思ったのか、おいもを口の中に一ぱい頰張ったまま、けけ、と妙に笑いました。わが子ながら、ほとんど阿保の感じでした。》(p106)

 いい文章でしょ。ここには、近代小説の苦悩なんてものをはるかに超えた人間の様態がある。

 さきの斎藤は、現在の日本文学はヘタレ的なDNAゆえ、「その先」(≒展望)を、たとえば震災後の精神的な「その先」を示していない、「その先」を示すべきだというのだが(前掲書、p258)、「その先」といってもねぇ……。

 こういうのはどうだ。「ヴィヨンの妻」の最後の一文。

《「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」》(p122)

 これ以上の「その先」はあるだろうか。

 (写真は、筆者提供)
 *連載のバックナンバーはこちら→

 

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杉山尚次
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