「がんと家族」をテーマに上映とトーク 千葉県の「第2回さかえメディカル映画祭」
去る3月10日、千葉県印旛郡栄町の「ふれあいプラザさかえ」において「第2回さかえメディカル映画祭」が開催された。主催は、千葉県印旛郡栄町(協力は千葉大学医学部の地域医療連携部)。昨年の映画祭立ち上げから、西東京在住の筆者が関わっていて、今回も上映作品の選択やパネルディスカッションなどに参加した。
栄町は、東京都心からだと常磐線と成田線を乗り継いで、1時間ほどのところにある町だ。大規模宅地造成によってベッドタウンとして開けてきたものの、少子化高齢化が著しく、人口は減少しつつある。そうした事情を背景として、この映画祭は企画された。
タイトルに「メディカル」と謳われているように、「医療」関係の映画を扱ったイベントである。それも、できるだけ身近な「医療」にまつわる映画を取り上げようということであった。
当日のパンフレットには、開催趣旨がこう記されている。
《栄町では、医療・介護に携わる人、医療・介護を学んでいる人たちを応援しています。これまで、医療・介護職の皆様が便利にすごせる住環境を提供する取り組みをすすめてきました。さらに皆様へ貢献するべく、この度、2つの事業を立ち上げました。この「さかえメディカル映画祭」は、これらの事業の一環です。「さかえメディカル映画祭」では、栄町が医療・介護職の人、これから医療・介護職になろうとしている人とともに1つの疾患について映画を通して考えてゆく場を提供したいと考えています》
もうひとつの事業は、医療系・福祉系の「資格を有する転入者」と「資格取得を希望する転入者」へのスキルアップ事業が挙げられている。主に、転入者への支援金を支給しようというものだ。「医療のまち・福祉のまち」を目指していこうとしている。
昨年の第1回は、テーマが「認知症」。映画を通して認知症を考えることを目的として、3本の映画を上映(劇映画『ペコロスの母に会いに行く』『ケアニン あなたでよかった』、ドキュメンタリー映画『徘徊 ママリン87歳の夏』)、いくつかのパネルディスカッションを行い、千葉にある国際医療福祉大学で認知症を研究する荻野美恵子教授らからさまざまなレクチャーも受けられた。
質疑応答では、認知症の家族を抱える人たちからの切実な問いかけがなされ、充実した催しとなった。
そして、今年のテーマは「がんと家族」。
これもまた、身近な問題である。誰しも、周りを見渡せば、がんを経験した家族、友人、知人がいるはずだ。患者だけではなく、家族もまたがんによって悩まされ、苦しんでいく。
上映されたのは劇映画『湯を沸かすほどの熱い愛』『ぼくたちの家族』、ドキュメンタリー映画『エンディングノート』の3本である。
いずれも家族に「がん」患者を抱えた際の困難、そして葛藤を描いている。
会場には、医療関係者、介護関係者が多く見られ、「がん」への関心の強さをうかがわせた。
なお、トークセッションでは『ぼくたちの家族』の原作者、早見和真氏が登壇して、小説の元になった実体験を語ってくれた。とくに、一度は諦めた母の治療を、別の医療機関を探すことで再スタートさせるエピソードは、患者と家族、医療機関との関係性を改めて問う内容であった。
また、早見氏は「がん」を描く多くの小説、映画が患者の死によって幕を閉じることに違和感があったと言い、この小説を、そのような終わり方にしなかったことの意味について語った(なお、早見氏の母は映画が完成する直前に亡くなっている)。
映画祭では、昨年に続きショートフィルムコンテスト(5分以内の作品を公募)も催され、今年は父親の介護を記録した作品が最優秀賞に選ばれた。
昨年の「認知症」もそうだったが、パンフレットに掲載された映画リストを眺めていると、時代によって病気への対応、距離感が大きく変化していることが分かる。「がんと家族」でも、半世紀以上前の『生きる』(黒澤明監督)と比べると、より家族との関わりがクローズアップされているし、ある意味では濃密になっている。さらには映画の中でがん治療の経緯が克明に描かれるようになっていることが分かる。
映画は時代の一面を映す鏡であることは確かであり、だからこそ、こうした映画祭を催す意義があるのだろう。
(山村基毅)(写真は筆者提供)
【関連リンク】
・第2回さかえメディカル映画祭(HP)
・第1回さかえメディカル映画祭(HP)
【筆者略歴】
山村基毅(やまむら・もとき)
1960年、北海道苫小牧市生まれ。ルポライター。インタビューを基軸として、さまざまなジャンルのルポを執筆。主な著書に『戦争拒否 11人の日本人』『民謡酒場という青春』『ルポ介護独身』など。また、日本で唯一の民謡雑誌「みんよう春秋」の編集にも携わる。