「大きな政府」で日本の生活・生産を再建する

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2020年10月12日

100winds_banner01
第21回 師岡武男(評論家)

 日本経済は「失われた20年」とか「平成不況30年」とも言われる停滞続きと、今年からのコロナ不況が重なって、深刻な不安にさらされている。それは年末から来年にかけてさらに悪化するとみてよいだろう。「令和恐慌」到来という見方も出ている。政府は、来年度予算の編成と併せて、第3次補正予算による財政出動も必要になると思われる。

 菅義偉首相は、新政権による解散総選挙対策としても、積極的な財政出動をはかるはずだが、最大の難問は財源対策だろう。具体的に言えば、国債増発をどこまで拡大できるかである。もちろんその前に、国民生活安定のために必要な「支出」の拡大をどう見積もるかが、まず大きな課題だ。

 

じり貧・デフレの日本経済

 

 経済不況とデフレの主な原因は「モノを買わない」という需要不足で「モノが売れない」ことであり、結果として景気が悪くなり、国内総生産(GDP)は成長できない。アベノミクスはデフレ克服と成長回復を目指したが実現できなかった。

 アベノミクスでは民間の消費・投資、政府の消費・投資の需要が伸びなかった。輸出需要は伸びて外貨は溜まり、対外純資産は世界一という金持ちになったが、それは国民の生産物を外国に渡して外貨というツケに代えただけだ。それらの需要合計のGDPはほぼ横ばいの停滞だ。

 アベノミクスで記録的な景気上昇が続いたという見方もあるが、ゼロに近い上昇指数での景気が長く続いたというだけだ。

 成長率の数字を見てみれば、別の実態がわかる(各年度の実質成長率の単純平均値)。低成長が始まった1991年度(バブル崩壊後)から安倍政権直前の2012年度(民主党政権)までが0.9%、安倍政権下の2013年度から19年度までも0.9%だった。

 この低成長経済に対して、先進国経済の成熟の結果だという見方もあるが、国際比較を見るとそれは疑問だ。確かに先進諸国の成長率は中国などのように高くはないが、一人当たりGDP水準(名目GDP、米ドル換算値、IMF)の日本の順位は先進国と比べてもどんどん落ちている。日本は2000年には第2位だったが、2013年には20位、2019年は22位だ。それに対して2019年のアメリカは7位、スウエーデン10位、ドイツ14位、フランス18位、イギリス19位と追い越されている。韓国は24位なので間もなく抜かれるだろう。

 以上はコロナ不況前の実績だが、まさにじり貧経済であり、これがアベノミクスの「負の遺産」である。

 

不安克服に大きな政府が必要

 

 じり貧経済にコロナ禍の追い打ちを受けた経済を立て直すのは、大変なことだ。コロナそのものの治療・予防対策と、それによる経済的打撃の回復策と並行して、じり貧のアベノミクスの遺産からの脱却と成長策が必要だからだ。

 コロナ対策のための直接的な人的物的供給の拡大は緊急に必要だが、経済的打撃への所得補給も不可欠であり、それらのためには多額の国費が必要だ。つまり「大きな政府」が必要だ。

 すでに2次にわたる補正予算が組まれて執行されているが、十分なものとはとても思えない。必要額については、経済学者・研究者、政治家・政党、有識者などから多くの提案・提唱が出されているが、これまでの補正予算はそれらをはるかに下回っているからだ。

(註)提案の具体例。「薔薇マークキャンペーン」(代表、松尾匡立命館大教授)の提言(20.5.21)「真のコロナ経済政策のポイント」すべての人に現金給付20万円を2回と消費税停止で70.4兆円、感染リスクのある職場で働く人に必要な供給力の維持・増強に32.5兆円、事業・学問継続のために29兆円―など5項目合計で約140兆円。これとは別に「景気回復に必要な政府純支出額の目安」を103兆円としている。
 政治家では、「議員連盟日本の未来を考える勉強会」(会長安藤裕衆院議員―自民党)が「国民を守るための真水100兆円令和2年度第2次補正予算編成に向けた提言」(4月30日)。れいわ新選組(山本太郎代表)の「コロナ緊急政策」は消費税廃止、一人10万円を毎月支給(年間144兆円)、社会保険料などいろいろ免除―など5項目を提唱。

 

「負の遺産」のツケ

 

 菅首相は、最重要課題として「新型コロナウイルスの感染対策を講じながら、国民生活を守り、経済を再生していくこと」を強調しているのだから、これらの積極的な財政政策の提言を重視すべきだ。それには、なによりも「大きな政府」政策への転換が必要だ。

 大きな政府は、コロナ対策以前のじり貧経済対策としても基本的な課題だった。経済停滞の原因は「モノが売れない」需要不足だが、主な不足分野は内需(民間と政府の消費と投資)である。それらの内需の増加がすなわち経済成長だ。そのために必要不可欠なのが大きな政府なのである。

 しかしバブル崩壊の平成時代以後の経済政策は,企業本位・民間本位の新自由主義と、小さな政府主義だった。この政策も本来の目標は民間主導の経済成長だったが、結果は出せず、逆になり、じり貧と貧富の格差拡大の無残な姿となった。自然災害や疫病流行への備えの不足もあらわになったが、これらはみな過去の緊縮財政による「負の遺産」のツケが回ってきたものと言えよう。

 

財源は国債発行で十分にある

 

 大きな政府という言葉にはいろいろな意味があるが、まずは大きなカネだ。政府のカネの使い方は、支払いには「買う」「給付」「貸す」の種別がある。その財源には「税金・社会保険料」「借金」「その他雑収入など」の収入があるが、もう一つ大きなものとして「通貨発行」がある。コロナ対策と日本経済再生のために必要な財政は、支払いを思い切って大きくすることであり、その財源を調達することである。

 いま一番大きな支払いが必要なのは「給付」(財政用語では移転支出と言う)だが、公共投資などの「買い物」や、低金利か無利子の「貸付」も拡大する必要がある。どの場合にもそのカネは購買力となって、国民の生活を支え、経済成長に役立つことになる。そのカネを惜しみなく使う政治ができるかどうかが与野党ともに最大の政策的課題になる。

 恐らくその際の難問とされるのは財源対策だろうが、実は難問ではないのだ。註記した諸提案による財源対策に共通しているのが国債発行である。そのほかに、応能負担による所得税、法人税、資産税、富裕税などによる増税案もあるが、緊急の財源とするのは難しいだろう。政府の通貨発行権の行使は可能だが、これも新政策の採用なので手間がかかるだろう。しかし国債は、発行手続きは経験済みで簡単である。国会で承認すれば:いくらでも発行できるが、問題になるのは、その限度額だろう。

 大量の国債を抱えて、国民の経済生活や財政運営に支障はないのか、という問題だ。大蔵省(現財務省)はかねてから国債増発による財政危機を警告し、財政破綻の恐れを訴えている。

 

国債増発による「大インフレ」はない

 

 国債の増発が大き過ぎた場合に起こる経済的な支障として指摘されるのは、インフレと「財政破綻」の二つだ。いま「大きな政府」の具体案を出している人々も、その点については答えている。「問題ない」という結論で、論拠もわかりやすい。

 ここでもまとめておこう。まずインフレ。大幅な物価高は誰でも困る。しかし景気が良くてモノが良く売れて、多少の値上がりになるのは、経済改善のためにむしろ好ましいことだ。もちろん、賃金などの収入がそれ以上に増ええる必要がある。デフレ克服とはそのことであり、そのためにアベノミクスで日銀は2%のインフレ率を目標とした。金融緩和政策によってデフレからインフレに転換することが必然と考えて、その上限を2%としたのだ。

 しかし結果は、消費税引き上げ時(2014年)以外は消費者物価が2%まで上昇した年はなく、デフレ状況が続いている。金融緩和だけでカネが銀行にいくらだぶついても、モノは売れないのだ。消費者の懐にカネがなければならない。企業が投資をしなければならない。それには大きな政府が多くのカネを支払わなければならないのだ。

 そこで問題は、提案のような大規模な財政資金の支払いで、2%を超えるような大インフレが起こるかだ。専門的な経済予測機関の仮定計算によると、この程度の国債増発では、その可能性はない、と「日本経済復興の会」と「れいわ新選組」は報告している。もしこれらの予測を超える大インフレになりそうなら、ブレーキをかける政策はいろいろある。

(註)日本経済復興の会(小野盛司会長)は、一人10万円を毎月給付する案を「日経NEEDS」の日本経済モデルで予測。れいわ新選組は、参議院の調査情報担当室にマクロ計量モデルによる予測を委託。

 なお、インフレによる直接的な損得発生について付言する。インフレは貨幣価値の下落だから、金銭での資産も負債も目減りする。従って金持ちは損、借金持ちは得をする。そのため買い急ぎや換物行動などが起こる。労働組合はもちろん賃上げ要求をするだろう。政府の借金(国債)も目減りするから、その限りでは歓迎だろう。超インフレとなれば過去の借金は実質ゼロに近づく。

 

「財政破綻」はない、子孫にツケは回らない

 

 次は財政破綻の問題だが、それは具体的にどういうことか。家計や企業の場合と同じように、収入がなくなって借金も返せなくなることだろう。結論から言えば、日本国政府ではその心配はいらないのだ。日本の政府は、家計や企業とは違って、いくらでも収入を作り、いくらでも借金を返せる。それが国家権力というものである。

 理由は、国民経済に生産力がある限り、税金を徴収できるだけでなく、政府と日銀が日本円の発行権を持つからだ。円建ての国債が支払い不能になることは決してない(日本は、外貨もたっぷり持っているから、外貨建て債務の返済にも心配はない)。

 もう一つ、破綻と言うかどうかは別として「今の世代の借金のツケの支払いを子孫の世代に負担させることになる」という財務省などの意見がある。「子や孫に負担を掛けたくはない」という日本型心情を刺激する意見だ。

 この問題でまずはっきり認識する必要があるのは、借金をしているのは国民ではなく政府ということだ。経済主体としては、国民と政府は別のものであり、国民は、現世代も将来世代も国債を貸している立場であって、借りているのではない。ツケ払いの義務はないのである。

 ただし将来の政府が、将来の世代から税金を取って返済すれば、国民の間で所得の移動は起こる。誰から税金を取るかで移動の内容は変化するが、それによって世代全体の生産物が目減りするわけではない。そもそも現世代が将来世代の生産物を消費することができるだろうか。

 しかし、実際には、税金を取って返済する必要などないのである。先述したように政府はいくらでも返済用の通貨を発行できる。しかも、国債保有者は返済を受けて換金する必要もないのだ。国債を日銀の債務(日銀券)に取り替えたら、利息はつかない。政府に貸し続ける方がずっと合理的だろう。

 というわけで、子孫へのツケ回しという心配は全くないのである。

 

子孫に遺してはならないのは「負の遺産」

 

 子孫に対して国債によるツケ回しの心配はないが、ほかに大きな心配ごとはある。小さな政府による今の政治・経済・社会の活動が、将来に貧乏、病気、災害などの不安いっぱいの「貧しい国」を遺してしまうことである。負の遺産という言葉がよく使われるが、これも負担しなければならないツケの一種だろう。

 それを避けるためにも、今こそ大きな政府による反緊縮の積極財政が必要なのである。目前には「平成不況30年」の停滞経済の負の遺産としての貧困と差別の拡大、大災害の頻発と遅々として進まない復興、コロナ禍で露呈した公衆衛生対策や医療体制の不備などが山積している。

 願わくは、政策の大転換によって、負ではなく正の遺産を子孫に遺したいものだ。その責任は、なによりも政治にある。政権担当の与党、政権獲得を目指す野党、政権を選ぶ権利のある国民のそれぞれに、政治の改善・改革の責任があるはずである。(2020.10)

 

 

【筆者略歴】
 師岡武男(もろおか・たけお)
 1926年、千葉県生まれ。評論家。東大法学部卒。共同通信社入社後、社会部、経済部を経て編集委員、論説委員を歴任。元新聞労連書記長。主な著書に『証言構成戦後労働運動史』(共著)などがある。

 

 

(Visited 3,159 times, 1 visits today)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA