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元・べ平連事務局長の吉川勇一さん死去 西東京で市民運動も

投稿者: カテゴリー: 暮らし オン 2015年6月6日
吉川勇一さん

西東京市の脱原発デモに参加した吉川勇一さん(2013年6月9日)

 元・べ平連(「ベト ナムに平和を!市民連合」)事務局長で、西東京市の市民運動でも活躍した吉川勇一さんが5月28日午前4時過ぎ、慢性心不全のため死去した。84歳だった。葬儀は近親者で行い、後日「お別れの会」を開く予定。

 吉川さんは1931(昭和6)年、東京都生まれ。戦災で疎開し、埼玉県立川越中(現・川越高)、旧制浦和高を経て東京大学入学。学生自治会中央委員会議長の52年、警察官が大学構内で活動中に学生に見つかり、警察手帳を取り上げられたいわゆる「ポポロ事件」で国会に呼ばれ、参考人、証人として発言。同年の講和・安保両条約発効に抗議して全学ストライキを指導したとして退学処分。全学連書記局員、日本戦没学生記念会(わだつみ会)事務局員(組織部長)などを務めた後、原水爆禁止、平和運動に従事した。路線の違いなどから60年代半ば、学生時代に入党した日本共産党を離れた。

 ベトナム戦争の激化を受けて1965年4月に作家の小田実、哲学者の鶴見俊輔、政治学者の高畠通敏さんら学者、文化人を中心にベ平連が成立。間もなく事務局長に就任。74年の解散まで、脱走米兵の支援、ベトナム反戦運動に取り組み、自由な雰囲気を持つ無党派反戦運動として左右を問わず、多くの市民の声を集める。その後も「市民の意見30の会・東京」の共同代表などを務めた。

 西東京市には旧保谷町時代の1961年から在住。1987年に「保谷の衆のコーヒータイム」を生活者ネットワークの坪井照子さんらと結成。地域の歴史と暮らしを聞き書きスタイルで記録した。96年には旧保谷市の平和事業実行委員長。99年には保谷市と田無市の合併を問う直接請求運動を起こした。2000年代は市内の脱原発集会やデモにも参加。反戦平和、脱原発の志を身をもって実践してきた。

 91年に膀胱がんを発見、手術。以降、膀胱の全摘手術を始め、胃がん、腸閉塞などとの闘病生活を送る。2009年に脳梗塞で倒れてから健康状態の悪化が進み、2015年4月に調布市のサービス付き高齢者向け住宅に転居。1ヵ月余りで亡くなった。

 主な著書は、『市民運動の宿題―ベトナム反戦から未来へ』(思想の科学社)、『「アメリカは正しい」か―湾岸戦争をめぐる日米市民の対話』(第三書館)、『反戦平和の思想と行動(コメンタール戦後50年 第4巻)』(社会評論社)、 『 民衆を信ぜず、民衆を信じる―「ベ平連」から「市民の意見30」へ―』(第三書館)。ほかに闘病記の『いい人はガンになる』(KSS出版)や、 『納得できる英文法』(研究社出版)、『吉川のベイシック英語―5日間集中講義』(代々木ライブラリー)などの学習参考書、デイヴィッド・デリンジャー『「アメリカ」が知らないアメリカ―反戦・非暴力のわが回想』(藤原書店)の訳書など多数。

 吉川さんの個人HPの更新は2013年12月4日が最後。「腰痛はいくらかよくなってきました。でもいろいろ大変でした」と題して、腰痛やリハビリ対策を綴り、「好物の里芋といかの煮付けを作って101歳の母を見舞いたい」とある。末尾の1行はこう書かれている。

「(2014年)1月12日の成人日には、地元の『原発はいらない西東京集会』の第12回目のデモがあります。前回は欠席したのですが、何とか次回は出発集会だけでも顔を出したいな、と思っています」

(写真は、「原発はいらない西東京実行委員会」の柳田由紀子さん提供 禁無断転載)

 

【関連リンク】
・吉川勇一さんの個人ホームページ >> http://www.jca.apc.org/~yyoffice/
・旧「ベ平連」運動の情報ページ >> http://www.jca.apc.org/beheiren/
・市民の意見30の会・東京 >> http://www1.jca.apc.org/iken30/

 

 

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