元保谷市議の坪井照子さん、死去 「混ぜればごみ、分ければ資源」活動の先駆け
ごみの資源化に長年取り組んできた元保谷市議の坪井照子さんが9月23日、老衰のため都内の老人ホームで死去した。91歳。静岡県掛川市出身。自宅は西東京市ひばりが丘北4丁目。葬儀・告別式は9月30日、同市ひばりが丘1-6-1のシティホールひばりヶ丘で行われた。喪主は長男毅さん。
今年2月に自宅で転倒し大腿骨を骨折して入院、手術。4月に老人保健施設に移ってリハビリを続けていたが、脳卒中の発作に襲われた。8月から都内の有料老人ホームで療養中だった。
1973年のオイルショック時の紙不足などを契機に、坪井さんはじめ生活クラブ生協の組合員らが中心になって旧保谷市で古紙回収運動、ごみの分別収集運動に取り組み始めた。ごみの資源化を求めて1983年、市議会議員に初当選。2期目の88年に、行政によるごみの分別収集が実現した。1989年1月の市長選に立候補したが及ばず、間もなく「東京・生活者ネットワーク」事務局長に。「政治を生活者の道具に」の理念を掲げ、生活者ネットワーク運動で活躍した。
その後、廃棄物処分場問題全国ネットワーク代表、ごみ問題5市(田無市・保谷市・東久留米市・清瀬市・東村山市)連絡会理事長、NPO法人循環型社会研究会理事などを務めるなど、「混ぜればごみ、分ければ資源」を掲げてごみ資源化の先駆けとして活動を続けた。
(北嶋孝)(トップページ掲載の写真は、西東京・生活者ネットワーク提供)
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