「わたしの一冊」第13回 手塚治虫著『ブラック・ジャック』
生涯の仕事に導かれた by 松田 健
いかついサングラスに口ひげ。短く刈り込んだ頭。その筋の人かと見紛ういでたちの小学校教諭がかつて東久留米市立神宝小学校にいた。私の5、6年の担任だったA先生である。
とにかく話がおもしろい。雑談だけで終わる授業もかなりあったが、その雑談からいろいろなことを教わった。やることなすこと破天荒で、もう今となっては時効だろうから書いてしまうと、子供たちに私物のマンガを貸していたのだ。この子に、と思うマンガを厳選して「これを読んでこい」と渡してくれる。そのうちの1つが手塚治虫『ブラック・ジャック』だった。(写真はチャンピオンコミックス版『ブラック・ジャック』全25巻)
近くにいた作者
とにかくむさぼるように読んだ。先生は『鉄腕アトム』や『魔太郎がくる!!』(藤子不二雄Ⓐ)も貸してくれたのだが、圧倒的に『ブラック・ジャック』がおもしろかった。
小学校高学年だった1984、85年当時の私は、『ブラック・ジャック』を古典作品のように感じながら読んでいた。絵柄が当時としてもすでに少し古いと感じたからかもしれない。
だが、この作品の雑誌定期連載は1973年11月~1978年9月にかけて。その後は不定期連載が1979年1月から1983年10月まで続いた。じつは当時、連載が終わったばかりの、ほぼ同時代の作品だったのだ。
しかも、同じ時期に手塚治虫が、とても近いところにいたことを当時の私は知らなかった。1989年に60歳で亡くなった手塚は、その約10年前から東久留米市内に自宅を構えていた。もっとも、都内の仕事場にこもりっきりの手塚がこの家に帰ることはあまり多くなかったようだ。『ブラック・ジャック』連載時の鬼気迫る手塚の仕事ぶりは、宮崎克・吉本浩二『ブラック・ジャック創作秘話』(秋田書店)にもうかがえる。
図書館での再会
大学で進路に悩んだ私はある日、図書館で『ブラック・ジャック』と再会し、全巻を読み直すうちに、ふと本を作る仕事に就こうと思い立った。子供の頃からそれほど熱心に本を読む習慣があったわけでもない私を出版界に導いてくれたのは、小学校の恩師と手塚治虫だったのかもしれない。
2021年春、東久留米駅西口ロータリーに、東久留米市の市政施行50周年を記念してブラック・ジャックとピノコの銅像が建てられた。「ほとんど東久留米の家に帰らなかった手塚の作品の銅像をなぜ建てるのか」という批判もネットでは見られた。だが、私にとってこの銅像はまさにここにあるべきものである。
【筆者略歴】
松田健(まつだ・けん)
1974年生まれ。筑摩書房第二編集室部長。ちくま新書・筑摩選書編集長。東久留米市在住。
【書籍情報】
書名:ブラック・ジャック
著者:手塚治虫
出版社(発行年):少年チャンピオンコミックス全25巻、秋田書店(1974-1995年)、秋田文庫全17巻(1993-2003年)*他に全集版、豪華版などあり。