はーとに”じゅっ”

「わたしの一冊」第16回 小川もこ著『ハートに“じゅっ”』

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2021年12月9日

被災の地で何度も救われた by 近藤菜穂子

 東日本大震災の発生からわずか2週間後の深夜、私は池袋駅前でこれまでに見たことのない光景に出合った。10数台もの高速バスが連なり、そのすべてに多くの人々が乗り込もうとしている。それらは岩手県に向かう臨時バスの隊列だった。被災した故郷へ向かう人が多いのだろうか。皆、一様に表情の色を失っているように見えた。通常の高速バスとは違い、臨時便は座席の間隔もなく、シートを倒すこともできず、多くの乗客が文字通りバスに詰め込まれていた。私はその中の1台に乗り込み、鞄を抱え小さく座っていた。

 2011年早春、私は夢をかなえ、ラジオパーソナリティーとしての第一歩を、岩手県で踏み出そうとしていたのだ。そのさなかで発生した東日本大震災。震災直後の混乱の中、東北新幹線も東北自動車道も動いていなかった。私は、ただ生活に必要な最低限のものだけを鞄に詰め込み、バスに揺られていた。
 膨らんだ鞄の中に、私の大切な一冊があった。

 

ラジオから語りかけるように

 

 「ふう…。
 貴方が今このページを読んでくださってるってことは、ほんとに本が出せたんだね。うれしいなぁ」

 「ふぅ…」と息をつく音で本書は始まる。読者を「貴方」と呼びかける、このエッセーの著者は小川もこ、ラジオパーソナリティーだ。「うれしいなぁ」という言葉はあたたかい音を持って読み手の心に溶け込んでくる。まるでラジオからリスナーに語りかけるように、言葉が紡がれていく。

 小川もこさんは札幌市出身。NHK仙台放送局のアナウンサーを経て、フリーのラジオパーソナリティーとして、全国へその声を届けている。1997年には優秀な番組や団体、個人を顕彰する『ギャラクシー賞』のDJパーソナリティ賞を受賞。受賞のきっかけとなったのは、彼女がパーソナリティーを務めた全国ネットの生ワイド番組「ヒルサイド ・アヴェニュー」だった。1990年から2002年までの13年間、彼女は幾度となく全国各地を訪れ「出前放送」という公開生放送を行った。

 エッセーでは、出前放送で訪れた土地での人との出会い、祭り、店、宿、スポットが紹介されている。彼女の目線で見つけた土地の「宝」を、彼女流の表現で教えてくれるのだ。この「彼女流の表現」というのが面白い。例えば、秋田県にかほ市で名物の「海賊焼き」を食べた時の感想は、こんな具合だ。

 「あの生のコリコリッとした食感がバターのいい香りとともに、より柔らかく香ばしくなり、ジューシーに口の中に広がるときといったら、ああた!もうどうにでもして!って味だ」

 「ああた! もうどうにでもして!って味」とは、心の声がだだ漏れだ。小難しい言葉や、体裁の良い表現では相手に本心が届かないとわかっているのだろう。飾らない彼女の人柄が見て取れる。エッセーには日頃ラジオで話す彼女そのものが存在している。

 ラジオの中の彼女は、音楽や旅、お酒といった、自身の好きなものについて熱っぽく語る。その様子からは彼女自身が持つ他者への愛情の深さを感じる。リスナーに語りかける、その等身大の姿勢。ときに感情のコントロールがうまくいかず、涙を流してしまうこともある。実に人間くさい、私が理想とするラジオパーソナリティーだ。

 

小川もこさんと筆者

小川もこさん(左)と筆者

 

人への想像力を持つ

 

 私と小川もこさんとの出会いは2009年だった。ラジオパーソナリティーを育てる学校の講師が小川もこさん、私はその生徒だった。

 「深夜のFMラジオから聞こえてきそうな素敵な声ね」

 初めて会った時の彼女のこの一言が、私の人生を大きく変えた。当時一般企業で会社員をしていた私は、その一言ですっかりその気になり、30代も半ばからラジオパーソナリティーを目指すこととなる。

 彼女の元で学んだ期間は1年半。放送についての基礎、しゃべりの技術はもちろんだったが、彼女から教わった多くの中で、私の礎となっているのは「想像力を持つ」ということだった。

 今この時間に、誰がどんな状況でラジオに耳を傾けているか。パーソナリティーの放つ言葉はどんな意味を持って、どんな温度でリスナーへ届くか。ほんの小さな、何気ない一言が、誰かの胸を突く刃物にならないか。

 ラジオパーソナリティーは、多くの人に語りかける中で、常にその「想像力」を持っていないといけない。彼女は私たち生徒によく話してくれた。

 「しゃべりの技術は現場に出れば自然と備わる。本当に大切なのは人への想像力…心を養うことこそが難しいのよ」

 

放送中の筆者

岩手で放送する筆者

 

「よそ者」という悩み

 

 その後、私は幸運にも岩手の放送局への就職が決まる。師匠である小川もこさんの元を離れ、いよいよ独り立ちをした、その出発の日がこの記事の冒頭に書いたバスのシーンだ。ラジオパーソナリティーとしての第一歩を、震災の混乱の中にある岩手でスタートさせる。頼れる師はもうそばにいない。私は、その心細さを埋めるお守りとして、師が書いたエッセーを大切に抱きかかえていたのだ。

 私は、震災からわずか3週間後の2011年4月より地域の情報番組のパーソナリティーを務めることになった。岩手のリスナーや地域の人々は、埼玉から越して来た私を快く受け入れてくれた。

「こんな大変な時によく来てくれたね」「頑張って伝えてくれているね」

 そんなあたたかい言葉をかけてくれた。
 それでも、悩んだ。

 震災発災時、埼玉にいた私が、被災した岩手の人々の苦しみを心から理解することができるのか。被災前の岩手を知らない「よそ者」がマイクの前にいていいのだろうか。今この時だからこそ、岩手をよく知る地元の人間がパーソナリティーを務め、人々を勇気づけるべきだったのでは? そんなことを考え出すとラジオで話すことが怖くなり、ひとり布団の中で涙を流すこともあった。

 そんな夜は、荷物の少ない部屋の本棚にある、このエッセーを開くのだ。ページを開くと、私に語りかける師匠の声が聞こえてくる気がした。幾度となく救われた夜があった。

 

岩手の風景

岩手の風景

 

土の人、風の人

 

 エッセーの中で特に私の心に残っているシーンがある。出前放送で岩手を訪れた小川もこさんが、ある悩みを告白する場面だ。

 「でもねぇ、私、自分のやっていることがときどき虚しくなるんですよ。町おこし村おこしに小川は貢献している、頑張っているって褒められるけれど、所詮よそ者、旅行者の目、エトランゼのものの考え方でしか伝えていない気がする……それがとっても口惜しくってね」

 出前放送で全国を飛び回り、各地のリスナーへ明るく語りかける小川もこさんも、自身を「よそ者」と感じ、人知れず悩んでいた。

 それに応えたのは、岩手県釜石市出身のシンガーソングライターあんべ光俊さんだ。

 「もこちゃんはね、“風の人” なんだよ。その土地をよくするというのは、もちろん地元の人、その町に生まれ住みその土地を愛してやまない人たち、彼らが中心になって進めていくこと。言ってみれば “土の人”の仕事だ。けれどね、“土の人”だけでは力が足りない。情報を届け運ぶ、風を送り込む人がいてはじめて美しい花が咲き、固い実が結ぶんだよ。だからね、なんら恥じる必要はない。“土の人”と“風の人”が一体となって進めていけばいいんだよ」

 よそ者でもいい。なにも恥じることはない。岩手でやるべきことが私にはあるのだ。そう信じ、私は岩手で4年間を過ごした。悩み苦しみながらも、「土の人」とともに花を咲かせ、実を結ぶことができたと思っている。その実現には、少ない荷物に忍ばせたこの一冊の存在があまりにも大きかった。

 

【筆者略歴】
 近藤菜穂子(こんどう・なおこ)
 1977年生まれ。埼玉県所沢市育ち。元ひばりが丘住民。大学卒業後はインテリア商社に勤める。30代半ばでラジオパーソナリティーに転身。東日本大震災直後から岩手県で地域の情報番組のパーソナリティーを担当。2015年からはFM西東京でパーソナリティーをしながらディレクターとして制作も手がける。現在はフリーアナウンサーとして場所を問わず活動中。

 

【書籍情報】
書名: ハートに“じゅっ”―愛すべき男たち
著者:小川もこ
出版社: TOKYO FM出版
発行年:2000年

 

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