まちおもい帖 46回 自治会-住みやすいまちを作り出すプラットフォーム

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2022年9月1日

1.自治会って何だろう?

 

 この連載のなかで、私は、自治会のことを数回書かせていただいている(注1)。しかし、この5月から自分が住む「下宿自治会」の会長になったこともあり、あらためて「自治会とは何か」について考え始めた。私が所属する下宿自治会(南町5丁目)は、2015年には228世帯だったが、2022年には168世帯と、7年で60世帯も減少した。

 図1は、自治会の防災マップを元に、会員の現況を作成してみたものだ。色がついているところが会員で、見ての通り、歯抜けになっており、会員になっているところも、そうでないところも、空き家、空地になっている箇所がある。うち75歳以上の一人暮らしが22世帯、75歳以上の夫婦のみが13世帯と推定される。これらの中には、実際にはホームに入っている世帯もある。

 

(図1)下宿自治会現況図

(図1)下宿自治会現況図

 

 会員数が減少した主な要因は、3つ。
 第1には、会員世帯が高齢化し、死亡あるいはホーム入居によるもの。
 第2には、第一の要因の後、土地の利用状況が変わることである。親世代が不在となり、子ども世代が継がず(多くの場合、遠方に既に生活の拠点が出来ている)、①空き家のまま放置される ②不在地主となってそこに貸家やアパートを建てる(管理は不動産会社など)③相続のために売却し、新たな世帯が購入する。②、③で新しく引っ越してこられた方は、自治会があることを知らない、知っていても入ろうとしない。
 第3には、自治会の「役」(注2)をするのが嫌だ、あるいは高齢化で「役」を果たすのが辛いなどの理由で退会する。

 実際、震災などの大災害でもない平常時には、自治会に入っていなくても、困ることは全くない。だから、「自治会に入りませんか」と新しい世帯に勧誘に行くと、「間に合っています」と御用聞きのように断られ、「入会するとどんなメリットがあるのですか」と聞かれる。

(注1)第一部第7回 地縁コミュニティ(自治会・町内会)は復活なるか第二部第31回 居場所始めて5カ月目―地域に「さざ波」を起こしたい
(注2)自治会の「役」には、大きく3つあり、①班当番(回覧板を回す、会費を徴収するなど)②防災係(防災訓練に参加)③自治会役員。

 

2.自治会の起源の一つは、戦時中の「隣組」

 

 自治会について調べてみると、戦時中の「隣組」に繋がる。「隣組」というのは、1940年(昭和15)の「部落会町内会等整備要綱」によって結成することが義務づけられた。隣組は、上意下達的な情報の伝達、食糧その他生活必需品の配給、防空防火、資源回収、国民貯蓄、体位向上・厚生、そのほか戦時体制下に伴うさまざまの国民統制の末端を担っていた。下町では、昔からこのような隣近所の付き合いがあり、すんなり受け入れられたが、山の手では、抵抗があったとも言われる。この「部落会町内会等整備要綱」は1947年(昭和22)5月ポツダム政令で廃止された(出典:小学館『日本大百科全書』)。 しかし、第二次世界大戦後も、多くのまちで、システムとしては機能し続けてきた。

 隣組では、情報伝達のために、「回覧板」を回したが、それを推進するための歌「隣組」が作られていた。興味深いので、その歌詞を記して置く(注3)。作詞:岡本一平、作曲:飯田信夫。隣組については、相互監視システムであると思想的に反対する方もおられるが、この歌詞で述べられている情景は、私には、子ども時代の懐かしい記憶とともに、温かみを感じる。

 

とんとん とんからりと 隣組
格子(こうし)を開ければ 顔なじみ
廻して頂戴 回覧板
知らせられたり 知らせたり

とんとん とんからりと 隣組
あれこれ面倒 味噌醤油
御飯の炊き方 垣根越し
教えられたり 教えたり

とんとん とんからりと 隣組
地震やかみなり 火事どろぼう
互いに役立つ 用心棒
助けられたり 助けたり

とんとん とんからりと 隣組
何軒あろうと 一所帯
こころは一つの 屋根の月
纏(まと)められたり 纏めたり

 

(注3)この歌は、その後多くの替え歌として使われ、「ドリフの大爆笑」のオープニング曲が一番有名だが、メガネドラッグ、サントリーの「トリス」などのCMにも使われている。元の歌のYouTubeは、ここ

 

3.ご近所付き合いの重層化

 

 自治会をメリットがないと退会された方も、「隣近所の付き合いは、続ける」と言われ、実行している。まぁ、道で合ったら挨拶し、互いに安否を確かめ合うというようなことだ。隣近所と言っても、当然、気の合う人、合わない人がいるので、付き合いに強弱はあるだろう。それでも、「遠くの親戚より近くの他人」の役割は、あると思う。具合が悪くなった時に助け合ったり、長期間留守にする場合には新聞受けをチェックしたりするなどだ。鍵を預け合っている人たちもいる。

 私は、自治会は、この「隣近所の付き合い」が基本だと思っている。そのうえで、犬の散歩友達、趣味の仲間、子ども関係の知り合いなどなどが重なって、全体のまとまりとしての自治会がある。

 

自治会のイメージ

自治会のイメージ

 

 (1)祭り
 自治会役員としては、この隣近所の付き合いがより活発化するように仕掛けるのが仕事なのではないだろうか。そのために欠かせないのが「祭り」だ。下宿自治会では、これまで夏の終わりに子どもを中心とした夏祭り「夕涼み会」を実施してきた。しかし、近年夏の暑さが厳しくなりスタッフが熱中症になったこともあり、秋祭りに変更した。途端コロナ禍となり、ここ3年ほど実施できずにいる。

 夏祭りには、自治会の現役員だけでなくOBも手伝いに駆けつけてくれるし、お孫さんが祭りをきっかけに帰省してくれ、多世代が集うのに良い機会であった。従来は、都立特別支援学校のグラウンドをお借りしていたのだが、コロナもあり、現在は、飲食禁止のうえ、スポーツイベント以外には、貸してくれなくなってしまった。このため、仮に秋祭りを実施したくとも、開催できる場所が見当たらないという問題を抱えている。

 

下宿自治会夕涼み会

(図3)下宿自治会夕涼み会の様子

 

 (2)敬老の日のお祝いと見守り
 もう一つは、敬老の日の見守り活動だ。当自治会では、敬老の日に役員がお祝い品を届けると伴に、日常の暮らしぶりなど様子を伺い、役員内で情報を共有するようにしている。退会され、名簿からお名前が消えてしまうと、どこに誰がどのような暮らしをしておられるのか把握できなくなってしまう。高齢化になり、いろいろな役をするのが辛いと退会する方が多いのだが、高齢になった方ほど、自治会に入っていてもらい、普段から体調を気遣い、何かあった時に対応してあげたいと思うのだが。

 ご近所付き合いが重層化すれば、防犯にも役立つ。見知らない人がウロウロしていれば、互いに気づきやすい。また、災害などのイザという時だって、顔見知りならより助けようと思うし、「あれっ、あの人大丈夫だろうか」と気遣い合うはずだ。

 (3)居場所作り
 多世代交流・地域の居場所「どんぐり」を私設で設けたのも、ご近所付き合いの重層化を期待してのことだ。ここでの成果は、唯一、ご近所さんが集まる健康麻雀だ。ご夫婦で参加されている方々も多く、苗字だと分かりにくいので名前で呼び合うため、まるで子ども時代に返ったようで、すっかり距離が縮まった。料理の上手い方が毎回手料理を持ち寄ってくれるので、麻雀のあとのチョイ飲みが定例化してしまった(コロナ禍なので、距離を取って座るようにしている)。

 だが残念ながら、「男の手料理教室」「高齢者向けカフェ」など、居場所を当コミュニティの重層化に役立つ使い方をしてくれる人は、他には全く出てきていない。

 「どんぐり」を活用してくれているのは、少し遠方の人だ。小さいお子さんの衣類等を交換し合う「おさがり広場」を主催しているのは東伏見の方、生きにくさを感じている子たちの遊び場・たむろ場「たなシップ」を主催しているのは、練馬の方だ。それぞれ、主催者がこれまで他の地域で実施していた頃のお客さんが中心だ。下宿自治会に入会していない方には若い世帯が多い。また、直ぐ近くに開発されたエリアには、若い世帯が住んでいる。是非、彼ら彼女らの活動が、ご近所付き合いの重層化につながって欲しい。

 

4.ボランティアによる新サービス開発

 

 自治会活性化の手段として、ボランティアの活動が考えられる。現在も、防災・防犯役員2人とボランティア5人が毎月交代で5の付く日に夜間のパトロールをやってくれている。結構きついボランティアだと思うので頭が下がる。先の「隣組」の歌詞さながら、日頃の防犯に役立っている。自治会に入っていない方は、パトロールの恩恵を無償で受けていることになる。

 お助けサービスも始めてみたい。たとえば、1家に1台ずつ持っているのはもったいない機械や設備を貸し出す。具体的な候補としては、水で壁などを洗浄できる高圧洗浄機。2万円ぐらいする製品だが、持っていても1年に1~2回しか使わない。そこで、既に持っている人が1回500円で貸し出すというアイデアだ。残念ながら、アイデア出しをしてくれた方の本業が忙しくなり、頓挫している。

 西原の方の自治会で、電球交換など、男手が欲しいちょっとしたことを男性ボランティアがやっているところがあり、やる人も張りが出て楽しんでいると聞く。こうしたサービスは、ニーズを探ること、やってくれるボランティアを探すこと、そのマッチングを誰がやるのかなど、仕組みを考える必要がある。

 このような新サービスは、自治会役員の仕事にしてしまうと、今でも、成り手が居ないのに、負担が大きいと嫌がられる可能性が高い。だから、やってやろう、やりたいという方に手を挙げてもらうしかない。こういうことにノリの良い人が居るかどうかだ。

 

5.公園が欲しい

 

 下宿コミュニティセンター(以下コミセン)は、もともとは、下宿自治会の集会所であったが、立て替えが独自には出来ず、市に寄付した経緯がある。7月から、それまでの「地区会館」という名称から「コミュニティセンター」に変わり、役所の窓口もそれまでの「文化振興課」から「協働コミュニティ課」に移動した。文字通り、単なる部屋貸しとして機能するだけでなく、「コミュニティの拠点」となることを意識しての変更と思う。

 ところが、下宿コミセンには、ロビーがないため、ふらりと立ち寄りにくい。部屋を予約していないと、入りにくいのだ。これでは、地域コミュニティの拠点となりにくく、下宿コミセンが対象エリアとしている地域(南町4.5.6丁目)に長年住んでいる方でも、そういう施設があることを知らない、知っていてもどこにあるのか知らない。自分たちの「コミュニティの拠点」であるという親近感を全く持たれていないのだ。

 このため、下宿コミセンに親しみを持ち、自分たちの拠点との認識を持ってもらいたいと、年1回恒例で実施している「七夕のつどい」に加え、今年の1月から「わくわくアワー」を開催している。毎月第4日曜日の2時から1時間ほど、落語、手品、南京たますだれ、イントロクイズ、オカリナ、ハーモニカ、二胡等々のイベントをやっている。しかしながら、集客は、思うようには伸びず、定着したとまでは言えない。

 そんな折、下宿コミセンの隣のアパートが取り壊され、更地になった。持ち主はご高齢の姉妹で、かなり以前からホームに入居されていた。急にお金が必要になったとのことで、店子に出て行ってもらい、解体を進めた。私としては、ここを公園にしたいと切に願っている。

 

下宿コミセン隣の更地

(図4)下宿コミセン隣に出来た更地

更地が公園になったイメージ図

(図5)更地が公園になったイメージ図

 

 2つ目の絵は、私が妄想しているイメージ図。木々があり、ベンチがあり、花壇があり、多世代の人が集い、キッチンカーがやってくる。欠かせないのは、水道だ。市内に多くある小さな公園は、川が氾濫した時の遊水地なので、水道がない。これでは、飲食を扱う祭りができない。キッチンカーは、日替わりで多様なメニューの店が来る。コミセンを利用する人、ご近所さん、市役所など近隣に勤める人などが買いに来る。花壇の手入れは、花を育てるのが好きな方々がボランティアで行う。犬の散歩をする人たちが立ち話する。イザと言う時は、ここにテントを張って、共助の拠点となる。こういう公園があったら、ご近所付き合いの重層化に役立つのではないだろうか。

 市役所に更地を購入し公園作りをお願いしたいところだが、必要性が認められ叶えてくれるとしても、予算化してからと言っていては、直ぐにも現金化したい売主の意向には沿わない。猪突猛進型の私は、全財産を叩いて購入し、私設の公園を作ってしまおうかと思う。「あったら良いなを実現する」のをモットーに地域活動をしてきたのだから、下宿コミセンの隣に更地が出来たというチャンスを逃すのは、実にもったいない。しかし、「どんぐり」を設けるために、貯金は使い果たしてしまった。自宅とどんぐりの土地を担保にお金を借りざるをえない。

 健康麻雀仲間に話したところ、「親切にも」、猛反対してくれた。私が、ビル・ゲイツやロックフェラーほどの大金持ちならともかく、そこまでする必要はない。あそこを公園にしたからと言って、皆は喜ばないのではないか。むしろ、落ち葉が散った、浮浪者が夜寝ている、子どもたちが火遊びして火事になった…などなど苦情が来るだろう。それを一人で対応するのは、無理だというのだ。おまけに、住居を構えない場合、固定資産税も高いという。

 

6.「公共」を自分たちで作るという意識改革

 

 ある一定の住居エリアには、公園、集会所、防災倉庫は、必要不可欠な機能だと思う。それは、いわば「公共」だ。よく言われるが、日本では、「公共」というと、「行政がやること」と思われがちだが、そのエリアに住む人たちが安全安心に心地よく暮らす上で必要と思われる機能であれば、税金を使って作るだけでなく、住む人たち自ら作れば良いわけで、それも「公共」である。

 ディベロッパーがまち全体を開発する場合には、街路樹を植え、中に公園を作り、集会所や防災倉庫なども用意する。その場合、もともとの家賃や購入費にそれらの費用は含まれている。だから、戸建て住宅であっても、多くの人が必要性を感じたら、自分たちが費用や手間をかけて「公共」を作ればよい。

 新町の鎮守台自治会では、空地を皆で公園に変え、コミュニティの活性化に役立てている。親世代が亡くなったものの子ども世代が遠方に住んでいるため長く空地となり、草ぼうぼうで近所迷惑な場所があった。そこで自治会が土地の所有者と交渉し、自治会が管理するので無償で貸して欲しいと交渉、そこを皆が憩える公園にした。60~70坪ほどある。

 「ecoひろば」と名付けている通り、草が生え昆虫が育つ自然のままの公園、花壇に使う水は隣の屋根に降った雨を貯水槽に誘導し貯水して使っている。桜の時期には公園から見えるご近所の桜の木を愛でて花見をし、七夕祭りなど季節ごとにイベントをしてきた(コロナ禍でここ数年休止している)。普段も、三々五々住民がくつろぎ、子どもたちが遊んでいる。私が更地を公園にしたいと妄想したのは、この前例が頭にあったからだ。

 

鎮守台ecoひろば

(図6)鎮守台ecoひろば

 

 鎮守台自治会のやり方は、私のように資金もないのに土地を購入しようなどと無理なことをせず、とても賢いやり方だ。所有者は、遠方にいるので維持管理を業者に頼めば相当な費用が掛かる。自治会が維持管理をする代わりに、無料で貸してもらう。その代わり、建物を建てる、遊具を置く、木を植えるなどはせず、草むら、花の植栽、日よけ、丸太のベンチ程度にしている(注5)

(注5)所有者と自治会の間で念書を交わしている。固定資産税は、所有者が支払う。

 

7.まちをデザインする

 

 今になって悔やまれるのは、市役所通りに存在した商店街が、高度成長期、歯が抜けるように次々と店が無くなっていった時に、自治会として、商店街を存続させるためのプランを描けなかったことだ。現在は、八百屋、魚屋、蕎麦屋、床屋のみ残っている。かつては、肉屋、豆腐屋、食料品店、和菓子屋と一通りの店が揃っていたので、その商店街に行くだけで日常の買い物が足りていた。

 店主が高齢化して店を続けられなくなった時に、店を残して若い店主を探す努力をすれば良かった。店が無くなった跡地には、地主がアパートを建ててしまった。せめてアパートの一階には商店が入れるようにして欲しいと、地主に掛け合うぐらいのことをすべきだったのではないか。確かに、駅の方に行けば、大型スーパーがあり、一度で買い物が足りる。しかし、高齢化が進んだ現在、近くの商店街である程度の買い物が出来れば、わざわざ駅まで行く必要がない。いま残っている八百屋や魚屋は、孤軍奮闘しているが、商店街が生きていれば、もう少し楽であったはずだ。

 その頃には、店には店の都合が、地主には地主の都合が優先された。自治会がまちのデザインを考え、地主に要望するなんて考えもつかなかった。確かに、店を代替わりさせて存続させたからと言って、住民がスーパーの品揃えの方が良いという選択をすれば、存続した店の経営が成り立つとは限らないから、そこまでのリスクを自治会は負いきれないかもしれない。しかし、まち全体のデザインを考え、まちに商店街が残る意味を皆で議論し、行動しても良かったのではないか。

 

8.自治会は公共のプラットフォーム

 

 はじめに述べたように、高齢化が進み、当自治会は、歯抜け状態だ。放っておけば、自然消滅するかもしれない。だが、自治会という任意団体自体が「公共」なのではないかと思いはじめた。「隣組」は、上意下達の組織であったが、自治会は、「自治」会である。まちのデザインを含め、住みやすいまちにするにはどうしたらよいかと皆で議論し、それを実現していく。そういったプラットフォームが自治会なのではないだろうか。

 自治会に加入しなくても、生きていける。しかし、安全安心で住みやすいまちを「自分たちが作りあげていくのだ」という意識を持てば、そのために何が必要かを議論し、実現していくためのプラットフォームは、欠かせないはずだ。貧しかった時代に、先人たちがより住みやすいまちにしようと作り上げてくれた自治会というプラットフォーム。これを、今の時代にどう生かせるか、知恵が問われている。

 

 

05FBこのみ【筆者略歴】
 富沢このみ(とみさわ・このみ)
 1947年東京都北多摩郡田無町に生まれる。本名は「木實」。退職、母の介護を経て、まちづくりに関わる。2012年より田無スマイル大学実行委員会代表。2019年より、多世代交流・地域の居場所「どんぐり」オーナー。2020年にフェイスブック仲間と「西東京市カルタ」完成。2020年より下宿コミュニティセンター管理運営協議会代表。2021年度より下宿自治会会長。

 

 

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