1962(昭和37)年、東村山町(現東村山市)に廃棄物処理施設「秋水園」が完成した。急速な人口増加に伴うごみ、し尿などの収集、処理という大問題に対する先進的取り組みだったが、その後も社会情勢の変化に従ってさまざまな対応と改良を迫られた。“迷惑施設”とのイメージを克服し、環境保護最前線の役割を担う縁の下の力持ちのチャレンジが続いている。
1953(昭和28)年6月18日、米軍の輸送機C124グローブマスターが小平町(現小平市)小川のスイカや麦を栽培していた農地に墜落、炎上し、乗っていた乗員と米兵計129人全員が死亡した。当時としては史上最悪の航空機事故となった。米空軍立川基地(現自衛隊立川飛行場)を午後4時31分に離陸した直後で、墜落現場は基地の北東数キロの地点だった。朝鮮戦争に従軍し、休暇中の日本から前線に戻る途中の陸軍と空軍の兵士が多く含まれていた。左側エンジンの故障が原因とされた。(写真は、上空から見た米軍輸送機の墜落現場。小平市立図書館所蔵)
1950(昭和25)年、現在の「西武園ゆうえんち」の前身「東村山文化園」がオープンした。西武鉄道による観光、娯楽の一大拠点として、その後の時代の変化の波にもまれつつ進化を続けている。
戦後間もない1947(昭和22)年11月、清瀬村(現清瀬市)に、結核研究所臨床部が開設された。その後、結核研究所付属療養所、同附属病院を経て89(平成元)年、結核予防運動の世界共通のシンボルを名称に取り込んだ複十字病院と改称した。大規模な総合病院になっているが、今も60床の結核病床がある。
浮世絵の魔力 by 飯岡志郎
手元に1冊の、いや2冊の古ぼけた画集がある。平凡社刊「世界名画全集」の別巻「広重 東海道五十三次」と「広重・英泉 木曾海道六十九次」。昭和35年4月12日と36年3月15日発行とあるから、60年以上前の物だ。言うまでもなく有名な江戸時代の浮世絵風景画集で、今ではそのたぐいの出版物は星の数ほどもある。でも、そのころでは新鮮だった。1冊380円、現在の価格に直すと3000円程度か。決して安くはないが、当時の印刷技術を駆使したカラーでオリジナルの雰囲気をそれなりに伝えており、一般のサラリーマンでも手に入る意欲的な出版事業だったと想像する。