北多摩戦後クロニクル 第31回
1981年 清瀬水再生センターが稼働 9市の下水道処理を一手に引き受け

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2023年8月1日

 1981(昭和56)年11月、清瀬市で東京都下水道局の下水道処理施設「清瀬水再生センター」が運転開始した。清瀬、西東京、東久留米、小平、東村山、東大和、武蔵村山、小金井、武蔵野9市にまたがる地域の下水を集めて浄化し、荒川水系の柳瀬川に放流する。遅れていた北多摩地域の流域下水道事業はこれにより近代化が完成し、その後世界初といわれる下水汚泥ガス化炉施設も稼働した。施設上部はスポーツセンターとして市民の交流の場にもなっており、95年開館の「小平市ふれあい下水道館」とともに地元にさまざまなサービスを提供している。

 

清瀬水再生センター

清瀬水再生センターの汚泥焼却施設。右端が世界初の下水汚泥ガス化炉

 

60年前、生活空間は臭かった

 

 少々気が引けるが、筆者が保谷町(現西東京市)で小学生だった1950年代後半から60年代前半ごろの思い出を書く。放課後に友達と遊びまわっていた学校周辺には野菜畑が広がり、下肥の貯蔵槽「肥だめ」が点在していた。これをひしゃくでまくわけだから当然周囲に異臭が漂う。これを「田舎の香水」と呼んでいた。

 それだけならいいが、夢中で走り回っていてうっかり落ち込むという悲劇が時々生まれる。ふたできっちり覆うこともなく、肥だめにヨシズか何かを斜めに差しかけただけの畑は危険がいっぱいだったのだ。

 住んでいた木造平屋の都営住宅のトイレは汲み取り式で、定期的にバキュームカーがやってきて太いホースを便槽に突っ込み、し尿を吸い上げていた。作業が終わると母親が「ご苦労さま」と言って代金を払っていた。空っぽになったトイレは気分的にすっきりしたが、汲み取り後のトイレはなぜか臭気がひどかった。

 小学校か地域の特別企画だったと思うが、親子参加の都内見学があった。東京湾のお台場(もちろん今のような近未来的開発地区になるずっと前だ)を周遊する船に子供も母親たちも大喜び。湾を行きかうさまざまな船の中に青く塗装した大きめのスマートな船があった。「あれはどこに行く船?」。もしかしたらハワイあたりに行く定期船かも、とロマンチックな気分になったが「あれはし尿を捨てに行く船です」と説明を受けて、しらけた空気が流れた。「そんなこと(海洋投棄)をしてもいいのかな」と子供心に疑問に思ったものだ。

 いつからか生活空間に「臭気」が漂うことはなくなり衛生環境は劇的に改善された。動物としての人間の営みが変わらない中でこのような激変がもたらされた大きな理由は下水道の普及だった。

 

遅れを逆手に先進施設へ

 

マンホールふた

清瀬水再生センターにある域内各市のマンホールふたモニュメント

 

 戦後の急速な都市化、工業化で河川の汚染はピークに達し、1961年からは隅田川の花火大会も中止になった(78年に復活)。64年に東京オリンピックが開催されることになり、先進国並みの下水道整備が急がれた。しかしあくまでも23区優先で多摩地区は後回しの形になった。

 下水道には合流式と分流式があり、23区はほとんどで雨水と生活排水を一緒に集めて処理する合流式を採用、計13カ所の処理場を建設した。分流式は処理水量を削減できるメリットがある一方、配管工事に費用、手間、時間がかかるため早期完成を優先したといわれる。60年代に35%程度だった下水道の普及率は80年代になって80%を超えた。

 多摩地区の流域下水道もその後整備が進み、多摩川両岸に6カ所の処理場が建設された。北多摩北部は荒川水系の柳瀬川に処理水を放出する計画を立て、81年11月清瀬水再生センターの稼働にこぎつけた。同センターは清瀬、東村山、西東京、東久留米、東大和の大部分と小平、武蔵村山、小金井、武蔵野の一部をカバーし、分流式を採用した。敷地面積は東京ドームの5倍に近い約21万2000平方メートル、年間受水量8400万立方メートル、処理汚泥量6万8600トンで、住民約71万人がお世話になっている。

 

清瀬水再生センター正面入口

清瀬水再生センター正面入口

 

 2010年には世界初となる下水汚泥ガス化炉施設が稼働を開始した。汚泥を蒸し焼きにして可燃性のガスを生成させ、強力な温室効果ガスであるN2O(一酸化二窒素)の発生量を抑制するとともに、発電を行って必要電力の一部を賄っている。汚泥の約半分は焼却するが、残りの1日100トン分をガス化炉で処理する。焼却灰はほぼ100%を建築材料などにして資源化している。

 域内各地からセンターに到着した下水はまず沈砂池に入る。ここで大きな異物や土砂を沈殿させた後、第1沈殿池へ。さらに反応槽といわれる水槽で待ち構えるのが多くの種類の微生物だ。有機物を活発に分解し沈殿させることにより劇的に水質を浄化する。さらに第2沈殿池へと入り、汚れの塊を沈めて見た目にも清らかな水に再生する。

 

沈殿槽

浄化された水をためる第2沈殿池

 

 その後、塩素を適量投入して排水口からセンター北側を流れる柳瀬川へ。要するに水浄化の立役者は微生物を主役として、重力、塩素が脇役を務めているわけだ。

 排出された水はやや温水で、えさとなる微生物も含まれているため魚が集まり、人気の釣りスポットになっている。以前はどぶ川同然だったという柳瀬川も、今では季節に応じコイ、ブラックバスのほか、アユを狙う釣り人の姿も見られる。センターの職員によると、第2沈殿池に熱帯魚のグッピーがいつの間にか繁殖していたこともあったという。

 とはいえ「なぜ清瀬が9市もの下水を引き受けなければならないのか」という不満が出ることも考えられ、地元へのサービスには力を入れている。施設上部の空間にはサッカー場、野球場などのスポーツ施設「清瀬内山運動公園」が整備され、市民の利用に供されている。また敷地内ではお花見イベントが開かれるほか、ビワ、ブルーベリー、栗、梅などを市民ボランティアが中心になって栽培する果樹園もある。

 

清瀬内山運動公園

施設の上部空間を利用した「清瀬内山運動公園」

 

下水道普及100%達成のモニュメント

 

 小平市は1991年3月に汚水整備率100%を達成した。『小平市史』によると全国3293自治体の中で13番目という早さだった。それを記念して「小平市ふれあい下水道館」が約30億円をかけて建設された。95年10月開館した地上2階、地下5階の館内には下水道の仕組みと歴史、「小平の水環境」などが分かりやすく展示され、2022年にはコロナ下にもかかわらず約2万4000人が訪れたという。

 「市長の“鶴の一声”とかではなく、熱心で粘り強い市職員たちの努力のお陰で、苦しい予算の中で完成させたと聞いています。地元の小中学生の学びの場にもなっているし、さまざまなイベントなどを通じて市民の下水道事業への理解を増進するのにも役立っています」と館員は胸を張る。

 館の真下を流れる下水管「小川幹線」内に実際に入れる、他ではなかなか味わえない「体験」ができるのが最大の特徴だ。小川幹線は小平市の約4分の1の面積の下水を集めて南流し、約3時間かけて多摩川沿岸の北多摩第1処理所に導く。

 地下25メートルの下水管内を見学した。内径4・5メートルの管下部を黄土色の下水がかなりのスピードで流れている。覚悟はしていたものの相当の臭気で、管内に差し渡した橋の上に立って長く眺めるのはつらい。慣れていない子供たちなどには衝撃かもしれない。しかし「田舎の香水」の記憶が残るわが世代にとっては、懐かしさとともに一種のありがたささえ感じられた。

 

小平市ふれあい下水道館

小平市ふれあい下水道館地下5階の「小川幹線」内

(飯岡志郎)

*連載企画「北多摩戦後クロニクル」の >> 目次ページへ 

 

【主な参考資料】
「東京都の下水道2022」(東京都下水道局)
「地域で育む水環境 清瀬水再生センター」(見学パンフレット)
『小平市史 近現代編』
『東村山市史 2 通史編 下巻』

 

飯岡 志郎
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