北多摩戦後クロニクル 第20回
1962年 廃棄物処理「秋水園」完成 生活と環境守る縁の下の力持ち
1962(昭和37)年、東村山町(現東村山市)に廃棄物処理施設「秋水園」が完成した。急速な人口増加に伴うごみ、し尿などの収集、処理という大問題に対する先進的取り組みだったが、その後も社会情勢の変化に従ってさまざまな対応と改良を迫られた。“迷惑施設”とのイメージを克服し、環境保護最前線の役割を担う縁の下の力持ちのチャレンジが続いている。
■ 町単独事業でごみ戦争に向き合う
1960年代から70年代、東京は「ごみ戦争」にあえいでいた。戦後の人口急増と大量消費社会、生活スタイルの変化は爆発的なごみ増加をもたらした。下水道の整備は遅々として進まず、焼却施設建設も間に合わない状態で、東京湾岸に設けられた埋め立て場に次々と運び込むしかなかった。悪臭や害虫の大量発生に悩まされた湾岸地域の住民の悩みと怒りは頂点に達し、73年にはついに江東区の住民が、杉並区からのごみ運び込みを実力で阻止する騒ぎにまで発展した。
北多摩地域でも住宅地化が急速に進む中で廃棄物処理問題が一気にクローズアップされた。戦後間もない時期までは、し尿は汲み取って肥料としてほぼ全量活用されていたし、生活で出るごみもプラスチックなどの有害なものは少なく、各戸、地域などの単位での焼却や埋め立てで間に合っていた。
しかし、54年に清掃法が制定され、市町村によるごみの収集、処分が義務付けられたのを受けて、東村山町は市制施行の前提として60年から処理施設の敷地買収を進め、町北部の柳瀬川右岸沿いの約1万2000平方メートルの土地を確保、翌年にはし尿・ごみ処理施設の着工にこぎつけた。
都内では初のシステムとして、ごみ焼却炉の余熱を利用してし尿消化を促進させるネオ加温式を採用、62年10月に完成、稼働開始した。処理能力はし尿が1日当たり5万4000人分、54キロリットルで、ごみ焼却が1日15トンだった。
北多摩地域では60年に保谷町(現西東京市)、田無町(同)、久留米町(現東久留米市)の3町が合同して、「北部三カ町衛生組合」を設立、その後「柳泉園組合」に名称変更し70年、清瀬が加入した。小平町(現小平市)、大和町(現東大和市)、村山町(現武蔵村山市)も「小平・村山・大和衛生組合」をつくって合同してごみ処理に対処したが、東村山町は単独事業での取り組みで注目された。
■ 処理能力重視から環境保護へ
東村山は64年に市制施行し、ごみ処理能力の大型化が必要となった。し尿はそれまでの3倍近い1日当たり144キロリットルに、焼却はそれまでの平炉から機械炉での処理に変更、能力も1日90トンに向上した。
秋水園は当初し尿処理がメーンだったが、流域下水道が普及するに伴いし尿処理量は激減し、ごみの焼却と分別によるリサイクルに重点が移っていった。焼却の方はさらに能力向上が求められ、72年焼却炉増設が決定された。
しかし、これに対して近隣住民が声を上げた。不満、要望の要点は①悪臭、飛灰公害の改善②施設周辺の緑化など環境改善③出入り車両の増加に伴う安全確保―などだった。市と周辺住民との話し合いが繰り返され、一時は強い抗議でくい打ち作業が中止になる事態に発展した。
市は周辺道路の改良・整備、住民用の集会所建設、公害の発生しない設備への積極的取り組みなどを約束して一応の解決をみたが、施設の処理能力を上げるとともに周辺対策が重要であることがクローズアップされた。
現在の焼却施設は81年に完成した。1日75トンの処理能力がある炉2基を備え、ダイオキシンなどの有害物質を出さないよう温度管理し、煙突からばいじんを極力排出しない設備を整えている。
環境保護に対する社会的関心が強まるにつれて、秋水園でもリサイクルの比重が増大している。「脱焼却、脱埋め立て」を理念とした秋水園再生計画が立てられたのは98年。「98プラン」として先駆的な取り組みに注目が集まり、全国からの視察が相次いだ。
現在稼働中の焼却炉は延命工事や補修を重ねてきたが、2028年度にはより効率的、安定的な処理を目指して全面的な施設更新が計画中。地球温暖化防止のため二酸化炭素(CO2)排出を抑えるという課題への取り組みも迫られている。
施設内にはごみ焼却のほか、リサイクルセンター、粗大ごみ処理棟がある。リサイクルセンターでは瓶、缶の処理を行い、瓶は色ごとに分け、缶はスチールとアルミに分けて再利用に充てており、粗大ごみはもう一度使えるものを選別し、施設内の「とんぼ工房」で修復して再製品化している。いずれも人の手に頼る部分が多い作業だ。
■ 市民の意識変化がカギ
筆者は2022年12月、施設を見学した。焼却棟の窓から見下ろすと敷地のすぐ脇まで真新しい建売住宅が迫っている。「数年前に宅地が増えたこともあり、においや粉塵に一層注意を払っています。施設の改修や改良で問題解決に努めています」と説明役の職員。市民の生活維持に絶対欠かせない施設は有害な物質を出さず、周辺に迷惑を掛けず、効率的で、環境循環に積極的に寄与するといった難しい要求に懸命に応えているというのが実感だった。
ごみ発生の推移を尋ねると、人口はこのところ横ばいなのに総量は徐々に減っているという。環境省の20年の調査などによると、人口10万人以上50万人未満の200を超える全国市町村で、東村山市は1人1日当たりのごみ排出量の少なさでは第10位、リサイクル率は第6位の36・7%という高さだった。何と言っても市民のごみ減量意識が影響している。生ごみを黒土に混ぜて家庭菜園用に使う小型容器(「ミニ・キエーロ」(生ごみが分解されて「消えろ」のもじり)を毎年販売しているが、すぐに完売する。ごみに関しては北多摩地域の各市は総じて優等生と言えそうだ。
それでも市民に訴えたいのは「あくまでも分別に協力を」だと秋水園の職員は強調する。特にスマホ、モバイルバッテリー、携帯扇風機、加熱式たばこなどに使われているリチウムイオン電池は発火の危険性があり、全国で事故が相次いでいる。不燃ごみなどに混ぜず、公共施設の小型家電回収ボックスや取扱店の受け入れポストを利用するなど適切な処理が求められる。
「とんぼ工房」で粗大ごみからよみがえった製品は東村山市美住町の「リサイクルショップ 夢ハウス」で販売されている。店内にはタンスやテーブルなどの家具類と陶器類が並べられ、訪れる市民が自由に品定めをしている。「家具類などはよく売れます。少々傷はあっても清潔だし、第一安いですからね」と係員は話した。
(飯岡志郎)
【主な参考資料】
・『東村山市史』(通史編・下巻)
・「秋水園事業概要」(東村山市環境資源循環部)
・「東村山市秋水園 見学のしおり」
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ゴミ問題で感じることは、西東京市が練馬区という23区と接しているせいもあり、練馬区でのゴミ捨てには、分別はなく、分別用有料ゴミ袋を買う必要はなく、燃えるゴミも不燃ゴミも、プラごみもどんな袋でも構わないということです。それに反して、西東京市の場合は、分別用ごみ袋を有料で買わなくてはならない。その理由として、ある人からは、練馬区など23区内のごみ焼却炉は、三多摩の柳生園のような温度でなく、高温の出る焼却炉が設置して有るので、どんなゴミでも焼却できるからだと言うのですが、実際に見ていないのでわかりません。何で、23区の練馬区では、ゴミ袋は無料で、隣りの西東京市のゴミ袋は有料なのか、是非、貴紙のネットワークで、解明いただければ有り難いです。
記事をお読みいただきありがとうございました。
とりあえず練馬区に取材したところ、確かに有料ゴミ袋は必要なく、透明か半透明の袋、あるいは蓋付きの容器に入れて貰えば回収するそうです。
しかし、分別はきっちりしており、可燃、不燃、プラスチック容器など曜日ごとに指定し、間違えるとシールを貼って回収しないそうです。
焼却炉の温度や能力にばらつきがあるのは事実ですが、少なくとも練馬区では「高温が出る焼却炉が設置してあるのでどんなゴミでも焼却できる」というのは必ずしも当たらないようです。
いずれにしてもゴミの回収、処理の問題は複雑で、課題も多いようなので今後も機会をとらえて調べてみようと思います。