北多摩戦後クロニクル 第34回
1987年 東村山の老人ホーム火事で17人犠牲 福祉施設の在り方に教訓と議論

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2023年8月29日

 1987(昭和62)年6月6日深夜、東村山市青葉町の特別養護老人ホーム「松寿園」から出火、3階建ての施設に収容されていたお年寄り74人のうち17人が死亡、25人が負傷した。老人ホームの火災としては戦後2番目に多くの犠牲者を出す惨事だった。老人福祉施設の安全管理に大きな教訓となるとともに、医療を含めた福祉の在り方に論議を呼ぶきっかけとなった。

 

松寿園火事

松寿園火事での救助作業(1987年6月、筆者撮影)

 

宿直体制、安全対策に不備

 

 火事の出火元は2階のリネン室と分かり、内部からの放火が疑われたが原因は特定されなかった。出火当時非常ベルは鳴ったが、宿直の職員は2人だけで対応が遅れた。スプリンクラーは設置されていなかった。

 

当時の新聞報道

当時の新聞報道(1987年6月8日付北日本新聞から)

 当時警視庁担当の記者だった筆者は出火から約30分後現場に到着し取材を始めた。炎や黒煙は見られず、白煙がベランダから漏れている程度で、ぼやのようにも見えた。救急隊員がはしご伝いに次々と収容者を背負って救出し、隣の駐車場にテントを張って避難させていた。救出された男性に中の様子を聞いたところ「まだたくさんの人が残されている」と話し、初めて事故の重大性に気付かされた。

 

松寿園火事

現場に到着直後、夢中でシャッターを切った(6月6日午後11時50分ごろ)

 この火事は全国の老人ホームをはじめとする社会福祉施設の安全対策見直しの大きなきっかけとなった。スプリンクラーの設置規制が強化されたほか、「社会福祉施設及び病院における夜間の防火管理体制指導マニュアル」がつくられた。しかし安全を確保するための決定的要因である職員の不足は今も深刻な問題となっている。

 火災後、松寿園がずさんな経理で経営難に陥り、土地、建物が競売に出されていたことが明るみに出、同施設をめぐるごたごたがその後も続いた。再建計画が立てられ、89年に園は再開されたが、経営状態は改善せず、東京都は96年に解散命令を出し、約5億円に上る補助金の返還を請求した。経営母体の理事長は有印私文書偽造の疑いで書類送検された。

 

「松寿園」跡地

「松寿園」があった場所(2023年3月、東村山市青葉町)

 

変化の波受ける老人福祉のセンター

 

 松寿園があった地域一帯は老人施設の一大センターでもあった。道路を挟んだ東側の雑木林に囲まれた広大な敷地は、近代日本経済の父とされ社会事業にも力を尽くした渋沢栄一が終生院長を務めた福祉施設「養育院」の分院が52年に建設された場所として知られている。

 その後、都立東村山老人ホームとなり、附属病院は86年、「東京都多摩老人医療センター」に改変された。松寿園の火事の際は消防・救助活動の拠点となったほか、焼け出された収容者を一時保護する施設にも利用された。さらに敷地内に88年、医療と介護を組み合わせた住宅型老人ホームのナーシングホームができた。

 この地区の北側にはハンセン病療養施設「全生園」があり、さらにその北隣、清瀬市には旧結核結専門病院群が広がっている。長い歴史を反映した医療、福祉施設集中地域だったが、いずれも時代と社会の変化につれて性格を変えている。

 多摩老人医療センターは2005年「多摩北部医療センター」として公社化し総合病院に改変された。さらに22年、独立行政法人となり、通称「たまほく」と呼ばれるようになった。

 

都立多摩北部医療センター

都立多摩北部医療センター

 

社会的要請と経営のはざまで

 

 しかしこのような変化には効率や利益優先になりがちではないかとの声が地元から出ている。市民グループ「たまほくをよくする会」の事務局長畠山真さんは「大規模な一般総合病院が整備されることは否定しないが、地域住民の切実なニーズからはずれている」と話す。当初の改変計画には海外富裕層用の人間ドックを設けてはどうかというような経営上の思惑まで含まれていたとされる。

 「確かに医療センターは先端医療や救急医療で貢献しているが、一方で東村山市と清瀬市には分娩施設がないという問題もあって総合病院として改善の余地がある」と畠山さん。

 都立東村山老人ホームには大規模な特別養護老人ホームのほかに軽費老人ホームを備え、隣接してナーシングホームがあった。しかしいずれも都の民設・民営化方針に基づいて廃止され、広大な跡地の一部に民間の老人施設ができた。介護と医療の両立を目指した公立のナーシングホームは経営上難しい面があったが、社会的要請や地域住民の期待は大きかったという。

 「特別養護老人ホームなどは自治体が誘致してもなかなか応じるところがない。もうからないんですよ。ですから有料老人ホームばかり増えることになる。そこは民間の市場原理だけに任せてはいけないと思います」と畠山さんは現状に懸念を示した。
(飯岡志郎)

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【主な参考資料】
・『養育院百二十年史』(東京都養育院)

 

飯岡 志郎
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