北多摩戦後クロニクル 第9回
1950年 東村山文化園オープン 時代の変化にもまれた西武の観光開発

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2023年2月28日

 1950(昭和25)年、現在の「西武園ゆうえんち」の前身「東村山文化園」がオープンした。西武鉄道による観光、娯楽の一大拠点として、その後の時代の変化の波にもまれつつ進化を続けている。

 

西武園

西武園のおとぎ電車と多摩湖ホテル(西武鉄道提供)

 

堤康次郎社長の精力的な地域開発

 

 現在の西武池袋線に当たる武蔵野鉄道の社長だった堤康次郎が戦後まもなく旧西武鉄道(現在の西武新宿線などに相当)を合併して、あらためて西武鉄道を名乗った。池袋、新宿を起点に東京23区北西部、北多摩郡を貫き埼玉県に至る営業地域はほぼ畑作地で、戦中や戦後の一時期は食糧増産の使命を負って、都内で出る糞尿を肥料用に運び、帰りに野菜作物を運搬する役割も担った。その他、セメント材料の石灰や建築資材の砂利運搬にも活躍し、純粋な通勤電車になるのはその後のことだった。

 堤社長は戦前から乗客増を目指して沿線のさまざまな開発と施設誘致に積極的に乗り出し、その分野は広く住宅地、教育施設、遊興・観光施設などに及んだ。

 そのうち遊園地経営では、戦後まもなく本格的な拡充・整備を手掛けた東京・練馬区の豊島園が代表的施設として挙げられる。旧練馬城址の広大な敷地に戦前建設され、池に向かって客を乗せたボートが斜面を滑り落ち、船頭が着水の瞬間に高く飛び上がるパフォーマンスを見せる「ウオーターシュート」や、大プールなどを備えた「東洋一の大遊園地」として知られていたが、堤は学童用のホテルなど数多くの施設を加えて充実を図り、さまざまなイベントも呼び込んで都内の一大娯楽施設となった。としまえん(豊島園から改称)はその後、東京都の大規模な防災公園整備や新たなテーマパーク建設の計画が出て2020年8月をもって閉園した。

 

ウオーターシュート、ユネスコ村に人気

 

 村山、山口両貯水池は戦前から有数の東京近郊観光地だった。ここに目を付けた堤は一大遊園地の建設に乗り出した。村山貯水池に隣接する狭山丘陵には戦前、「修養団」という皇国思想に基づいた民間の教化・訓練施設があったが、敗戦による没落で1947年、現在の東村山市と埼玉県所沢市にまたがる約20万坪(66万平方メートル)という広大な土地が一括して西武に売却された。西武は村山貯水池を多摩湖、山口貯水池を狭山湖という通称名を前面に出して観光地らしさをアピールした。

 ここに「東村山文化園」が構想された。都民にリクリエーションの場を提供するとともに、「国際親善の基地」という当時の社会理念を反映させたものだった。多彩な娯楽、遊興施設が計画されたが、その目玉の一つは村山貯水池沿岸の村山ホテル改修だった。大岡昇平の小説『武蔵野夫人』のモデルとして有名になった同ホテルは荒廃していたが、大改装して50年、近代的な多摩湖ホテルとしてオープンした。しかし利用客が減少、建物も老朽化して61年に取り壊された。

 

西武園マップ

1950年代の西武園マップ(野田正穂「西武鉄道と狭山丘陵開発」より)

 

 遊園地にはウオーターシュートや飛行塔、おとぎ電車といった遊戯施設が設けられ人気を呼んだ。51年には隣接の所沢市に日本のユネスコ加盟を記念して「ユネスコ村」が建設された。世界約70カ国の建物を小さく再現したテーマパークのはしりのような施設で、遠足の小学生らがオランダの風車やトーテムポール前で記念撮影する姿がよく見られた。67年5月には浩宮(現天皇陛下)が学習院初等科の遠足で訪れた。

「東村山文化園」は51年9月、「西武園」と改称された。遊園地とユネスコ村の間の3.7キロは園内の遊戯施設から路線を延伸した軽便鉄道・山口線がつなぎ、引き続き「おとぎ電車」の名で親しまれSLも走った。おとぎ電車は85年、新交通システム導入に伴って路線変更され、廃止となった。

 

昭和レトロをテーマにリニューアル

 

 ユネスコ村は1990(平成2)年休園となり、再開発によって新たに恐竜をテーマとした「ユネスコ村大恐竜探検館」が93年オープンした。映画「ジュラシック・パーク」で火が付いた恐竜ブームに乗って人気を博したが、次第に来館者数は落ち込み、2006年営業を終えた。

 西武による狭山丘陵開発はそのほかにも、室内スキー場(59年)、ゴルフ場(64年)、野球場(79年)と続いた。

 遊園地では過去に遊戯施設の事故で死傷者が出たり、火災などのトラブルが発生したりしたこともあった。これらを教訓に安全最優先で運営しているという。

「西武園ゆうえんち」は他の大規模テーマパークに太刀打ちが難しくなって1988年の約194万人をピークに集客力が落ち、2019年度には約38万人にまでなった。集客挽回を目指し約100億円をかけて2021年5月、リニューアル。ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の再建に実績を持つ森岡毅氏が率いる株式会社刀と協業して話題になった。目玉は昭和30年代の商店街をイメージした「夕日の丘商店街」で、レトロな約30の店舗が立ち並び、住人たちがライブパフォーマンスを繰り広げるなど昭和の活気、にぎわいを再現している。

 

イメージ

リニューアルした西武園ゆうえんちのイメージビジュアル(TM & © TOHO CO., LTD. ©TEZUKA PRODUCTIONS)

夕日の丘商店街

コロナ禍も下火になり、にぎわう「夕日の丘商店街」(2022年10月)

 

 ちょうどコロナ禍にぶつかってやや苦戦した面はあるが、西武鉄道広報部は「コンセプトは当たって、特に若年層から好評を得ている。今後もお客様の声を生かしてここにしかない体験価値を提供していく」と話している。
(飯岡志郎)

 

【主な参考資料】
・野田正穂「西武鉄道と狭山丘陵開発」(「東村山市史研究」13号所収)
・広報誌「西武鉄道かわら版」(西武鉄道

 

飯岡 志郎
(Visited 1,202 times, 1 visits today)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA