北多摩戦後クロニクル 第35回
1992年 清瀬・派出所勤務の警察官殺害 拳銃強奪、同種事件唯一の未解決
1992(平成4)年2月14日未明、清瀬市旭が丘、東村山署旭が丘派出所で1人勤務中だった大越晴美巡査長=当時(42)、殉職で警部補に特進=が何者かに刃物で襲われて殺害され、実弾入りの拳銃が奪われた。その後の懸命な捜査にも関わらず事件は未解決のまま2007年時効となった。郊外の静かな団地で起きた惨劇に社会的不安が高まり、派出所勤務の危険性や銃器管理の在り方もあらためて論議を呼んだ。
■ ガンマニアか、計画的犯行
当時の新聞報道などによると、大越警部補は2人で勤務していたが、13日午後11時過ぎ、同僚の巡査が近くの小学校で発生した住居侵入事件で出動し、処理に当たっていたため1人になっていた。14日午前3時15分ごろ、新聞配達の男性が派出所奥の待機室に制服姿で血まみれになって倒れている大越警部補を発見して110番した。
首と胸をサバイバルナイフようの鋭利な刃物で刺されており、死因は出血多量だった。所持していた38口径の実弾5発入り拳銃が革製のホルダーごと奪われていた。吊りひもは切断されていた。
午前2時ごろに通行人が1人でいる大越警部補を目撃し、2時半ごろには東村山署員と電話で話していた。また、午前3時ごろ、タクシー運転手が派出所の中と外に大越警部補とは別の若い男が立っているのを目撃しており、犯人が2人組だった可能性もあるとみられた。
さらに3時過ぎには飲食店従業員の女性が車で通りかかり、派出所の窓越しに中を見たところ大越警部補とみられる警察官と男が2人で机の上のものを見ている様子だったという。目撃証言などから犯行時刻は発見直前と断定された。
机上には清瀬市内の電話帳、警察案内簿、メモ用紙などが置かれていた。大越警部補は道を尋ねに来たふりをした男に対応しているうちにほとんど抵抗できない不意打ちを食らって刺されたとの見方が強まった。犯人の遺留品や血痕、指紋などは見つからず、手袋をしていたともみられた。
現場は埼玉県新座市との境に近く、1960年代に建設された総戸数約2000戸の公団・旭が丘団地の一角で、交差点に面していた。
■ 必死の捜査も実らず時効
犯行が荒っぽい一方、計画的とみられる上、拳銃を奪う目的がはっきりしているとして、警視庁は拳銃を使った第2の犯行を最も警戒して大規模な捜査を展開した。犯人像としてはガンマニアや警察に恨みを持つ者などが考えられ、不審者をリストアップする一方、現場周辺を重点に徹底的な聞き込み捜査を行った。
目撃証言から「身長170-180センチの黒っぽいジャンパーを着た男」が浮かんで、新たな情報を求めるポスターを作成するなどしたが、それ以上に有力な手掛かりは得られず捜査は難航した。
旭が丘団地の住民は早朝から取材ヘリのけたたましい音で目を覚まされた。「繁華街から遠く離れ、少年非行などの問題もほとんど聞かない静かな団地だったのでただびっくり。拳銃が見つからないというので不安だった。警官も頻繁に聞き込みに来た」と70代の住民男性は当時を振り返る。
清瀬市防犯協会など有志の呼び掛けで有力情報に100万円の懸賞金を掛け、その後懸賞金額は300万円に引き上げられたほか、事件発生から10年目に入った2001年には「バレンタインデーの日のことを覚えていますか!」と書かれた大型ポスターも作り事件の風化防止を訴えた。
しかしその後も捜査は目立った進展を見せず、ついに2007年2月、15年間の時効を迎えた。警視庁は重要未解決事件として捜査員約13万8000人を動員、寄せられた情報は3000件以上に上った。奪われた拳銃が使用された形跡は確認されず、拳銃そのものも発見されていないためその後も東村山署に「連絡室」を置いて拳銃の情報提供受付などを含む捜査を継続した。
■ 交番襲撃や銃器管理に課題
拳銃強奪を狙って警察官を襲う事件はこれまでに各地で起きている。
東村山署管内では1976年10月18日、東村山市萩山町の八坂派出所で、勤務していた55歳の男性巡査部長が51歳の男にナイフで襲われて殺害された。男は逮捕され、調べに対し「妻子に風呂のある住宅に住みたいとせがまれ、警察官に成りすまして大物政治家の家族を誘拐して身代金を奪おうと計画。そのための警察手帳や拳銃を奪おうとした」と供述した。
また、89年5月16日未明には、警視庁練馬署中村橋派出所で勤務中の警官2人が男に刃物で刺されて死亡する事件が起きた。男は拳銃を奪おうとしたが果たせず逃走した。その後の捜査で元自衛官の男が逮捕され「大金を得るため警官から拳銃を奪うしかないと考えた」と供述した。
さらに、2018年から19年にかけて、全国各地で交番、駐在所が襲われる事件が5件相次いだ。その中で18年6月26日、富山市久方町の富山中央署奥田交番を訪れた男が、応対した46歳の男性警部補にいきなり襲い掛かって刃物で刺殺し拳銃を奪った。男は逃走途中、近くの小学校で男性警備員に向かって拳銃を2発発射、殺害した。男は駆け付けた警官に腹を撃たれたのち逮捕され、21歳の元自衛官と分かった。武器マニアだったといい、自宅から数多くのナイフや模造銃などが見つかったが、犯行の動機ははっきりしなかった。
拳銃奪取を狙った警察官襲撃事件の続発に危機感を強めた警察当局はさまざまな再発防止策を講じており、同種事件としては唯一未解決の「清瀬・旭が丘派出所事件」はそのための原点として今も語り継がれている。
「派出所」から「交番」に名を変え、改築された旭が丘交番には大越警部補の慰霊碑が立てられ、東村山署駐車場には八坂派出所事件での犠牲者らも含めた殉職者4人の慰霊碑が置かれている。
旭が丘団地は建設から60年近くがたって建物にも老朽化が見られ、団地自治会によると空き部屋が300に上るという。かつてはにぎわった団地前の商店街も軒並みシャッターが下り、住民も高齢化が著しい。ある商店主は「みんなあの事件は覚えていますよ。でもその後はいたって平和だし、話題になることはありません」と話した。
(飯岡志郎)
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