「渋沢栄一とガス事業」展を開催 小平市のガスミュージアム
東京ガスの企業博物館「GAS MUSEUM がす資料館」(小平市大沼町)で、企画展「渋沢栄一とガス事業―『公益追求』実践の軌跡」が開催されている(1月16日〜3月28日)。約500の企業を育てた「日本資本主義の父」渋沢栄一(1840〜1931年)は、2月から始まるNHK大河ドラマ「晴天を衝け」の主人公として登場し、2024年から流通する新1万円札の顔としてもお目見えする。企画展はこれまであまり知られていなかった渋沢とガス事業の関わりに焦点を当てている。(写真は、「渋沢栄一とガス事業」展。左は渋沢邸のガス灯頭部)
現在の埼玉県深谷市の農家に生まれ、一橋慶喜(のちの第15代将軍・徳川慶喜)に仕えた渋沢は1867年、幕臣として渡欧した際、パリのコンコルド広場で街を明るく照らすガス灯に目を奪われた。帰国後、東京会議所会頭、東京府ガス局長として都市のライフラインであるガス事業を推し進め、1885年に民営化された「東京瓦斯会社」のトップとして1909年に退任するまで首都のガス事業の普及・発展に努めた。
企画展は、東京都北区の渋沢邸表門に設置していたガス灯頭部や鹿鳴館設置の室内ガスランプ、4升炊きガス釜どなど、いずれも明治時代のガス設備・機器のほか、当時の建築や都市風景を捉えた写真や絵図を含む約60点を展示。公益の追求という理念のもと、事業を推進した渋沢の足跡を4つのシーンに分けて振り返る。
渋沢は公営だったガス事業を赤字のまま安価に払い下げることに反対し、設備増強や海外の技術研究によって黒字化に成功してから民営化した。また屋内外の照明だけではなく、ヨーロッパから「瓦斯機関(ガスエンジン)」を輸入して、印刷機や織機などの動力源として利用拡大を図った。実現には至らなかったが、ガスを動力源とする鉄道も構想した。
ガス灯は明治30年代から大正初期にかけて全盛時代を迎えるが、電灯の台頭などから「今後のガス需要は『熱源利用』が主流になる」とガスを使った家庭用の炊飯器や火鉢、風呂などの開発を進めた。事業の世界から身を引いた後も行政と会社の間に立って調停を図ろうと尽力するなど、その歩みからは社会の動向をつかむ先見性と進取の精神、公益と利益を両立させる「道徳経済合一」の思想が見て取れる。
ガスミュージアムによると、昨年1月に企画展「版画にみる近代事業の風景展〜渋沢栄一の足跡をたどる」を開催したが、コロナ禍によって途中で閉館を余儀なくされた。今回の企画展は、東京ガス創立135周年を迎えた記念として、いわば仕切り直しの第2弾企画。感染対策として午前10時から午後5時まで30分間隔で定員10人の入れ替え制にする。月曜休館。
(片岡義博)(写真は筆者提供)
【関連情報】
・「渋沢栄一とガス事業 『公益追求』実践の軌跡」展(GAS MUSEUM)
【筆者略歴】
片岡義博(かたおか・よしひろ)
1962年生まれ。共同通信社文化部記者として演劇、論壇などを担当。2007年フリーに。2009年から全国52新聞社と共同通信のウェブサイト「47NEWS」で「新刊レビュー」を連載。小平市在住。