鉄道員

「わたしの一冊」第9回 浅田次郎著『ラブ・レター』

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2021年6月10日

完璧なプラトニック・ラブストーリー by 墨威宏

 恋愛小説限定で読書会を開いているという友人から「お勧めの恋愛小説、ないですか」と聞かれたことがある。私は浅田次郎の『ラブ・レター』と即答した。浅田次郎がいけなかったのか、「どんな話?」とも「面白いの?」とも聞かれず、「へえ」とだけ。本当は聞いてほしかったのだけれど。今でも恋愛小説の「推し」は『ラブ・レター』だと思っている。この文章を書くために再読したら、また涙腺が緩んでしまった。(写真は、『ラブ・レター』収録の『鉄道員』。右はCDブック)

 

初めから失われている出会い

 

 『ラブ・レター』は直木賞を受賞した1997年出版の短編集『鉄道員(ぽっぽや)』に収録された短編の一つ。単行本でも文庫本でも35ページの短い小説だ。表題作は高倉健主演、降旗康男監督の名作映画の原作として知られるが、『ラブ・レター』も2003年にテレビ東京系でドラマ化されている。主演は西田敏行で、このドラマを見てからは、本を読むたび主人公が西田にかぶってしまう。それほどはまり役だったと記憶している。1998年に中井貴一主演で映画化もされているらしいが、残念ながら映画は見ていない。また、下條アトム、菅野美穂による音声ドラマを収録したCDブック『鉄道員/ラブ・レター』も出版されている。

 

 主人公の男は突然、妻が死んだと知らされる。妻とは、暴力団から金をもらって偽装結婚した中国人女性で、顔も名前も知らない。女性は偽装結婚で在留資格を得て、売春行為を強要されていたが、千葉県の田舎町で病死し、男は遺体を引き取りに行く。暴力団から渡された女性からの手紙があり、遺品の中から「心から愛してます」と記されたもう1通の手紙が見つかる。帰りの列車で遺品の手紙を読み、男は遺骨を抱えながら泣く。

 

 つまりは、初めての対面は遺体で、死から始まる恋愛が描かれている。生身の出会いは初めから失われ、会話もない。それでも人は人を愛せるのかと問う、完璧なプラトニック・ラブストーリーだ。

 

 今、新型コロナウイルスの感染拡大で多くの出会いが失われている。もし、成人式が開かれていれば、もし、新歓コンパがあれば、もし、自由に旅行に出かけられていれば、出会っていたかもしれない2人が出会えず、見知らぬ他人のまま人生を過ごしているのかもしれない。そんな時代だからこそ、こんな出会わない愛の形もあるのかと考えさせられる。ちなみに、文庫版の「あとがきにかえて」によると、浅田自身の「身近で実際に起こった出来事」という。

 

人が人を愛する瞬間を描く

 

 『ラブ・レター』の中の中国人女性は借金に縛られ、異郷の地で体を売りながら、まだ見ぬ夫への思いを糧に生き、かなわぬ愛を育んでいたらしいことが手紙から読み取れる。一方で、主人公の男は渋々引き受けた遺体の引き取りをするうちに、女性への思いを募らせ、ついには愛と呼べるような感情を抱く。短い物語で、こうした切ない感情の変化を実に巧みに、丁寧に描く。

 

 人が人を恋する瞬間、人が人を愛するようになる瞬間って、心はどう動くのだろうというのは私がずっと抱えていたテーマだ。もちろん私自身も小学校時代から数えれば幾度となく経験しているはずなのだが、そのときは舞い上がっていて冷静に客観的に自分自身を観察するなんてできなかった。

 

 テレビドラマでは恋する場面がよく描かれているけれど、何か違うよな、尾崎亜美のヒット曲「マイ・ピュア・レディ」の一節「あっ気持ちが動いてる」みたいな感じなのか、などと考えていた。さらには、そんな瞬間をどうやって人に伝えられる文章にできるのだろうとも思っていた。私自身は今でも書けそうにないけれど、『ラブ・レター』は人が人に恋し、人が人を愛する瞬間を見せてくれる。
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【筆者略歴】
 墨 威宏(すみ・たけひろ)
 1961年名古屋生まれ。一橋大学卒業後、共同通信社の記者となる。93年から文化部記者。2003年末に退社し、フリーライターに。主な著書は、双子の育児の体験をまとめた『僕らのふたご戦争』(1995年)、各地の銅像を歩いてまとめた『銅像歴史散歩』(ちくま新書)など。2019年10月~20年3月まで「銅像歴史さんぽ・西東京編」(全6回)をひばりタイムスに掲載した。

 

【書籍情報】
書名:鉄道員
著者:浅田次郎
出版社:集英社
発行年:1997年、集英社文庫は2000年刊 、CDブック『鉄道員/ラブ・レター』は集英社、1998年刊

 

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