春の集い

朗読劇は楽しい創造の場 茨木のり子の家を残したい会「春の集い」

投稿者: カテゴリー: 文化 オン 2022年5月4日

 西東京市在住の詩人、茨木のり子さんが2006年2月に亡くなってから16年。東伏見の茨木邸を残したいと活動してきた人たちが4月29日、市内の交流施設コール田無で「春の集い」を開きました。彼女の生涯をたどる朗読劇「茨木のり子の軌跡」をメインに、合唱や詩の朗読など会員による2回の発表会に計258人が参加しました。朗読劇に出演し、旧保谷市長役も演じた高井一志さんの報告です。(写真は、「春の集い」が開かれたコール田無ホールの受付)

 

後に引けなくなって

 

 2020年の11月に届いた「茨木のり子の家を残したい会」の会報「茨木のり子手帖」第6号に、翌21年の没後15年にむけて記念行事を企画していることが載った。内容はパネル展、講演会、「集い」とし、「集い」は21年8月8日、保谷こもれびホールで開かれることになっていた。目的として「東伏見に住み続け、暮らしに根差した創作活動をされた茨木さんの生涯を振返り、その魅力を知る機会とする」「地域市民とゲストが共に多角的に茨木のり子さんの詩とその生きる姿勢に触れ、味わい、深める場をつくることで、新たな世界と交流を生み出し、人生を豊かにする」とあった。

 21年も明け、会員メールを読んでいると「集い」に向けた準備も着々と進んでいるようだ。そろそろ私も何か手伝わせてもらおうと思い、いつも精力的に推進役を担ってくれている柳田由紀子さんに電話を入れ、雑用係でも何でも手伝うと伝えた。すると「合唱と朗読劇のグループの人が足りないようですから、そちらに行ってください」と言う。

 え? 歌? 芝居? そんな恥ずかしい。裏方の力仕事をできればよいと思っていたが、何でもすると言った手前、後に引けなくなった。

 

朗読劇

茨木のり子役は5人がつとめた(2022年4月29日2回目の朗読劇、コール田無多目的ホール)

 

稽古に参加

 

 合唱グループではレベルの高さに圧倒され早々に辞退(後に復活)。朗読劇グループに顔をだすと、通行人役で台詞は「いえ、違います」の一言と、デモ隊で「安保反対!」と連呼するだけでよいと言われたので、それならばと参加を決めた。

 朗読劇の皆さんはすでに同好のサークル等で活動されている方が多く、初参加組の私も周りに支えられて安心して加われたと思う。しかしいざ練習が始まると、日頃お年相応に落ち着いた振る舞いの女性たちがいっきに女子学生になり、動きも声色も変わる。新婚ののり子役が「あなた~夕飯できたわよ~」なんて言うのを聞くと、こちらも熔けそうな気分になるほどで、やはり熟練の演技は違うなと感心しきり。

 

コロナ禍で「朗読劇」延期

 

 いよいよ8月の本番も間近くなった頃、新型ウィルスの感染状況は悪化し、医療崩壊も報じられるようになる。このまま「集い」を開催して大丈夫か、延期すべきという提起が開催1週間前になされた。開催側、延期側双方共に激しい懊悩と協議の末、朗読劇は延期となった。それでも分裂や中止にならなかったのは、市民の自由で自主的な表現の場や精神を大切にしたいという気持ちを共有していたからだと思う。

 しかし「集い」で朗読劇が欠けると、当初の目的の大半を果たせなくなる。急遽、実行委員長が台本をつくり、参加可能なメンバーが集まる「朗読」を実施することになった。

 前日1、2回の読み合わせと、当日リハーサル1回のみで本番に突入する。私は観客として見たが、都丸元市長ご自身が市長役として登壇された時は、芝居を超えた訴えを聴き、深い感銘を覚えた。大成功の「集い」であった。

 

「市長」役になる

 

 年も明けて22年。いよいよ延期された私たちの朗読劇が、4月29日に「春の集い」の中で上演されることとなった。年明け、初稽古の場で配役があらたに指示され、いきなり私が「市長」役と指名される。「通行人」から「市長」への出世、台詞も増えた。喜ばしいことではあるけれど、私は前年、「集い」での元市長ご本人の朗読を会場で聴いている。その代役である。膝が震えるような、何とも複雑な心境となった。

 

安保反対デモ

劇中で、安保反対デモの先頭に立つ筆者の高井さん

市長役

市長役になって、茨木のり子さんに旧保谷市の「憲法擁護・非核都市の宣言」起草を依頼する高井さん

 

 元市長の都丸さんは、私たちの「劇」が延期になる前は、一緒に出演すべく、高齢をおして練習に参加されていたが、やはり100歳。冬場の稽古とハードスケジュールとなるため、大事をとって、出演要請を控えたようだ。

 

稽古は熱を帯びて

 

 稽古は毎週日曜日、朗読劇ではあるが、モンペや軍服、頭髪の無い男性は青年役のためのカツラまで用意されて次第に熱を帯びてきた。

 演技や台詞の修正も度々行われた。どうしても言い難い台詞があり、作・演出の橋口紀子さんに申し上げると、「この台詞は記録として残っているので変更はできません。頑張ってみてください」と言われた。記録や資料を読み込んだ上の脚本なのだと納得した。

 台詞の推敲、演者の動き、舞台設定など、稽古最終盤まで演出と役者の意見交換で度々変更されたのも、不安ながらも楽しい創造の場となった。

 

達成感と充足感

 

 29日の本公演は朝8時半に集合、本番そのままのリハーサル1回、午後からの公演2回、計3回の出演を終えたのは午後4時を過ぎた。

 

朗読劇

茨木さんが亡くなった場面

最後に舞台であいさつする作・脚本・演出・音響を担当した橋口紀子さん(中央)

 

 私自身は台詞を省略してしまったり、足がふらついてしまったりと、稽古では出来たことが本番ではやはりちょっとした失敗をした。しかし劇そのものは積み重ねてきた稽古があったが故の成果が実った、完成度の高いものとなったと思う。

 

 今は不安を乗り越えた達成感と充足感に満たされている。そしてなによりも、共に稽古に励んできた皆さんとの出会いと協同を良い思い出に出来た。ありがとうございます。

 

 どこかに美しい村はないか
 一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
 鍬を立てかけ 籠を置き
 男も女も大きなジョッキをかたむける
 <中略>
 どこかに美しい人と人との力はないか
 同じ時代をともに生きる
 したしさとおかしさとそうして怒りが
 鋭い力となって たちあらわれる
(茨木のり子「六月」抜粋)

 

 そんな村人たちと一緒にいたような気がしています。

 茨木のり子の家を残したい会の活動も多彩となり益々活気を増してきた。会ではどのような残し方がよいか調査・研究を始め、行政とも話し合いがもたれ、「家」の位置づけが明確になった。
 今後の活動もワクワク、ドキドキです。

 

【関連情報】
・「茨木のり子の家を残したい会」の仲間になってください(ゆめこらぼ

 

【筆者略歴】
 高井一志(たかい・ひとし)
 1954年生まれ。西東京市在住約35年。建築設計事務所代表。

 

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