かりんとう

老舗物語 第1回
「西東京名物」かりんとうの旭製菓 創業98年「たかがかりんとう。されどかりんとう。」

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2022年7月28日

 2001年、保谷市と田無市が合併して誕生した西東京市で、かつての「保谷名物」から「西東京名物」となり、地域を中心に親しまれている「旭のかりんとう」。製造・販売する旭製菓(本社・西東京市泉町)は1924(大正13)年創業で、2年後には創業100年を迎える老舗だ。その一世紀の道のり、そして今後の展望などを守下もりした武彦会長、会長の長女で4代目の守下綾子社長に聞いた。(写真は、さまざまな味、食感で人気の旭製菓のかりんとう=旭製菓提供)

 

 

「水がいい」と保谷に工場

 

 

社長2代

写真は、本社工場直売店前で笑顔の守下武彦会長と綾子社長=倉野武撮影

 

 「細く長く、脈々と続いてきた会社。とにかく一生懸命でしたよ」――。武彦会長が100年の歩みを淡々と語る。同社によれば、綾子社長の曽祖父・吉太郎さんが群馬県から横浜に出て雑貨店を始め、その店頭でかりんとうを造って売ったのがはじまりだった。

 終戦の1945年に2代目の重雄さんが東京・荻窪にかりんとう工場を始め、52年に有限会社旭製菓を設立(82年に株式会社化)し、たった一軒の問屋を介したかりんとう販売を本格化した。旭製菓の社名は「朝(一日のはじまり)」と「旭(天に昇る朝日のように勢い盛んな様子)」を掛け合わせて誕生。創業当時の「これから始まるのだ!」という強い意志の表れでもあった。

 西東京(旧保谷)市に工場を移転したのは65年、その数年後、当時25歳だった武彦会長が入社し、専務に。「本社がある泉町という名前の通り、このあたりは水脈がよく、お菓子を作るのに水が大切だということで、こちらに来たと聞いています。周りは畑と林ばかりで何もなかったですね」と振り返る。

 重雄さん、武彦さん夫妻ら10人に満たない職人たちが手作業で必死に働き、会社の基礎を築いた。74年生まれの綾子社長は「その頃は家と工場がほぼ一体で、住み込みの従業員さんもいらっしゃいました。今ではありえないけど、子供のころは工場の中でかくれんぼをして友達と遊んだりもしましたね」と記憶をたどる。

 

 

1960年代の本社工場

1969年ごろ本社工場で。上段左から2人目が2代目・重雄さん、上段右端が3代目・武彦さん=旭製菓提供

 

 90年に武彦会長が3代目社長となったころから地域との関係が深まる。

 当時、かりんとうは卸売りだけだったが、周辺住民から「ここでかりんとう買えないの?」と問い合わせがあり、事務所の外で売り出したところ大人気となって小売りも始めるように。95年に工場事務所内に設置した本社工場直売店(現在は保谷新道沿いに移転)を皮切りに、これまで直営店舗は8店舗を数え、その他にもFC(フランチャイズ)店を九州から東北まで拡げている。

 

 

「名物」は市長公認だった

 

 

 また、90年代に当時の保谷市長・保谷高範氏から「地元にこれといった名物がない。旭のかりんとうを名物にしよう」という話が出て、「保谷名物」の冠をつけるようになった。

 「市長公認で、市役所の人たちが出張に行くとき、また消防署、警察署長さんたちが、お土産用によく買って持って行くなど応援もしてくれました」(武彦会長)。

 さらに、従来「かりんとうといえば黒かりんとう」という概念を覆し、味付けや食感が特徴的なスナック感覚のかりんとうを武彦会長自ら次々と開発。そのひとつの「ごま大学」が、98年の全国菓子大博覧会で最高位の「名誉総裁賞」を受賞し、弾みがつく。大博覧会は約4年に一度の開催で、「お菓子のオリンピック」といわれるが、次の2002年の大博覧会では、「こゆき」、さらに2008年には「きんぴらごぼう」、2013年には「クッキーかりんとう塩バター風味」がいずれも名誉総裁賞を受賞している。

 「お子さんや女性にはもちろん、ビールのおつまみになるようなものもと、いろいろ作りました。わさび、ネギみそ、黒コショウ…から揚げ味、チーズ味、市の提案でキャベツを使ったお好み焼き風の味を作ったこともあります」と武彦会長。綾子社長によれば、「今はあえて種類を減らしていますが、味やパッケージの大きさの違いも含めれば、商品は随時250種類ぐらいあります」。

 近年はかりんとうのほか、蜜づくり、蜜がけの技術などを生かしたグルメポップコーンやキャラメルコーティングの商品なども多い。また、もともと製造・卸が中心だった同社では、自社ブランドはもちろん、注文を受けて他社ブランドの製品を製造するOEM受託製造も行っている。大手スーパー、コンビニエンスストア、専門店などで販売されている商品は、製造元として「旭製菓」の名前が入っているものが多いが、なかには名前が出ない場合もあるため、旭のかりんとうと知らずに食べているかもしれない。

 この間、2006年に埼玉県深谷市(旧花園町)に第2工場を新設し、12、15年に第3、第4工場を増設。これらを「花園工場」と名付けた。国道からは見えない荒川のほとりにある花園工場と隣接する直売店のロケーションにちなみ、通信販売のサイトなどでは「隠れ河原のかりん糖」の名称も使っている。

 

 

4代目社長が目指す地域貢献

 

 

 20年に4代目として綾子社長が就任。米国カリフォルニアの大学と大学院で舞台芸術を学んだ後、現地で就職、子育ても経験したという異色の経歴を持つ。当時、カリフォルニアの日系スーパーで旭製菓のかりんとうが売られていたが、管理が行き届かず、品質が保たれていないことが気がかりだった。「日本の伝統菓子の美味しさをもっと外国の人にも知ってほしい。それには安心して食べていただけるような仕組みをつくらなければ」という思いが胸に湧き上がってきたという。

 社長就任の20年には、花園工場の直売店内に、荒川の風景と、小麦や黒糖など素材の魅力を楽しめる「レイヤー・カフェ」を開設した。原材料にこだわりを持ち、オリジナルブレンドの国内産小麦や未精製の砂糖を取り入れるなどして、おいしさと安全安心を追求する同社の理念をアピール。工房でできたてのタルトやタピオカドリンク、ソフトクリーム、ぜんざいなども楽しめる。

 一方、西東京市では、「旭製菓杯」と冠が付いた少年野球大会を主催したり、市内のイベントや教育活動に協力したりと地元に密着。「自然豊かで、農家さんもがんばっていて、若いファミリーも増えている。のどかな土地柄で、都心にも近い。一市民として西東京市が大好き」と綾子社長は地元愛をのぞかせる。そのうえで、「西東京市の名を、自分たちが創り上げたものを通じて外に発信していくとともに、利益を上げて税金を納め、地域に還元できる会社になれればいいなと思っています」。

 コロナ禍や、これまでにないほどの原材料費高騰、さらに和菓子離れと厳しい状況のなか、「時代、お客様のニーズにあわせて商品を進化させる努力を続けます。かりんとうの価値をもう一度リフレッシュさせ、ブラッシュアップした商品を一人でも多くの方に召し上がっていただきたい。海外にも継続的に出していける形にしたい」と決意を語った。

 「駄菓子のイメージが強かったが、かりんとう一筋に取り組み、レベルアップできたと思う」と振り返る武彦会長は、最後にこう結んだ。
「甘いのも、しょっぱいのも、辛(から)いのもある…人生と同じ。たかがかりんとう。されどかりんとう。です」
(倉野武)

 

 

 

 地域に根付いた歴史ある企業・店などにスポットをあて、「老舗物語」として随時紹介します。(編集部)

 

【関連情報】
・旭のかりんとう(旭製菓

 

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老舗物語 第1回
「西東京名物」かりんとうの旭製菓 創業98年「たかがかりんとう。されどかりんとう。」
」への4件のフィードバック

  1. 亀倉 康悦
    1

    「老舗物語 第1回」興味深く拝読させていただきました。 貴重な歴史を取材して頂き、ありがとうございました。
    現在田無駅にある「街テナ」で扱う「亀屋万年堂」の和菓子に興味を持っています。
    60代世代の私には「ナボナの自由が丘・亀屋万年堂」の印象が強く、西東京に同名の老舗和菓子店があるのかルーツに関心があります。

  2. 2

    亀倉康悦様 さっそくのコメント、ありがとうございます。私も「西東京名物」かりんとうの旭製菓さんの名前は知っていても、その歴史はあまり知りませんでした。取材で興味深いお話を伺い、ますます親しみがわきました。これからも皆さんになじみのある地域の老舗を追いかけていきたいと思います。引き続きよろしくお願いいたします。

  3. 川地素睿
    3

    私も家族も駅前のかりんとうをよく買いに行きます。懐かしいけれど多彩な味が案配いいですね。100年企業だったのですね。こういうお店もこういう記事も大切にしたいですね。

  4. 4

    川地素睿様 コメントありがとうございます。自分で食べるのはもちろん、地元の「名物」とあるので、手軽、気軽なおみやげにもなります。こうした形で地域密着企業を応援できるのはうれしいですね。

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