ときどき神職☆春のお手伝い

~宮城県大崎市古川・志波姫神社「鹿島祭」~

投稿者: カテゴリー: 暮らし オン 2017年5月21日

 

宮城県大崎市古川・志波姫神社

 都会の寄る辺ない空気を反映してか、地域やコミュニティの再構築がしきりに叫ばれています。でもちょっと離れると、人びとが神様とともに暮らす地域が見えてくるはずです。神様と神社と人びとが行き来する空間…。そんなおおらかな地域の一端を「東京在住で書きもの仕事に勤しみつつ時々神職」の浅井美江さんがまとめた報告を掲載します。(編集部)

ここ数年
卯月二十日は助勤の日

 

 2017年4月19日。暖かさを通り越して暑いほどだった陽射しが残る夕刻、東京駅を出発。東北新幹線に乗って約2時間(「やまびこ」でした)、「仙台」の1つ先の「古川駅」に到着。

 毎春この日に古川駅に降り立つようになって早4年。その理由は翌日20日の“助勤”のため。因みに助勤とは“神職が自分の所属する神社以外に助っ人としてお勤めすること”。「じょきん」という発音から「ファ◯リーズ?」とよく突っ込まれるけど、違います。

 お手伝いするのは、駅から車で20分ほどのところにある「志波姫しわひめ神社」の「鹿島祭」。同神社境内に祀られている鹿島社のお祭りで、毎年必ず4月20日に行われます。近年こうしたお祭りは休日に変更されることが多いのですが、鹿島祭は変わらない。故に、ここ数年私にとって4月20日は助勤の日なのでございます。お手伝いのきっかけは、同神社の工藤宮司の娘さん(るりこさん)が神職研修の同期だったこと。研修が明けた翌年「手伝ってもらえません?」と声をかけていただいて、うち(長濱八幡宮)の宮司にお伺いを立てたところ「ありがたく勉強させていただきなさい。迷惑かけんようにな」とお許しをいただき、今に至る次第です。

 志波姫神社は天平神護元年(765年)創祀。ご鎮座1250年を超える由緒ある神社で、ご祭神は天鈿女命(アメノウズメノミコト)。天岩戸伝説で有名な天鈿女命ですが、祀られている最北が志波姫神社なのだとか。一方鹿島社は明治41年の神社合祀により志波姫神社境内にお祀りされたお社でご祭神は武甕槌命(タケミカツチノミコト)。雷神、かつ剣の神様であり、相撲の元祖ともされる神様ですが、農耕とも深い関係があり農業の神様として古くから信仰されているようです。

 

志波姫神社の住所は、宮城県大崎市古川桜ノ目。名前の通り、神社の回りには桜がいっぱい! 境内にある桜もちょうど真っ盛り。

相撲の神様「武甕槌命」に因み、境内には奉納相撲場が。神社がある大崎市は相撲に縁が深く、横綱白鵬が観光大使なのだそう。

 

 

神様がお宅を訪ねて
豊作祈願

 

 さてこの鹿島祭、ちょっと珍しいお祭りで博覧強記のうちの宮司を以てして「初めて聞いたな」と言わしめたほど。どんな風に珍しいかというと……、初詣にしても七五三にしても神様は神社に御座しまし、人々が神社にお参りくださるわけですが、鹿島祭はその逆で神様が氏子さんのお家を1軒1軒お訪ねするというお祭り 。おおぬさ(白木の棒に白いビラビラの紙がたくさんついたアレ。古川では“梵天さん”と称します)を持つ役、各家にお配りする御札の箱を携える役2人の総代さんと神職合わせての3人が1クルーとなって氏子さん宅へ。志波姫神社の氏子さんの数は現在185軒。5人の神職が手分けして神社近くの家々には徒歩で、離れた氏子さん宅には車に乗って1軒ずつを回ります。

 神社がある古川はササニシキやひとめぼれといったブランド米発祥の地。柔らかな緑広がる田園風景の中をお訪ねするわけですが、昼日中、烏帽子をかぶり装束をつけて歩く姿はなかなかどうして素敵な違和感。昨年は当地に赴任したばかりという保険のお姉さんと行き会い「コ、コスプレ??」と引かれる始末(苦笑)…お姉さん、本当に後ずさりしてました…。

 工藤宮司によれば、もともとはお神輿にご神体を乗せて練り歩くお祭りだったのが、ある時お神輿が破損。多額の経費がかかることから修復をあきらめ、以後は宮司さん(工藤宮司のお父様)が自転車(!)にご神体を乗せ1日かけて 氏子さん宅を回っていらしたのだそうです。でもそのうち氏子さんの数が増え、とても1人では4月20日中に回りきれないということで現在の形に落ち着いたのだとか。

 

総代さんと3人1組で
いざ出発

 

 4月20日午前8時、神社拝殿に各地域の氏子総代さんが全員集合。このお祭りの助勤歴30年! という大ベテランの3人の神職さん達による雅楽がライブで演奏される中、修祓 、祝詞奏上とご神事は続き、最後に総代さん全員の玉串拝礼が無事終了。いよいよ各クルーに分かれて氏子さん宅に伺います。

 今回私がご一緒させていただいたのは、福田さん(男性)と高橋さん(女性)。高橋さんは旦那様が総代なのですが、この日はお仕事ということで奥様が代理でお手伝いを。福田さんが運転する車に乗り込みいざ出発。お訪ねする順番はすべて総代さんが仕切ってくださるので、私は本当に着いていくのみ。とにかく戸数が多いので如何に回れば効率的かを考えていてくださり、毎回頭が下がります。

 それぞれのお宅には前もって「鹿島様が参りますよ」とご連絡いただいており、たいていのお家はお供え一式(お米、お酒、お水)を用意して準備万端で待ってくださっているのですが、なかには「あれ?今日だっけ?」とか「まだ用意してない!」というお家も。また、用意はしてあるけど出かけちゃうので、あとはよろしくお願いします的なお家も少なくありません(笑)。でもね、それがいいんです。その、なんというかご神事が特別ではない生活密着感がすごく好き。各戸での祝詞もお家の中の立派な神棚に向かうこともあれば、玄関先や縁側で奏上させていただくことも。お供えの位置上から冷蔵庫に向かって再拝したり、おばあちゃんが観ているTVの音や飼犬の鳴き声に負けないように(なぜか祝詞を聞くとすごく吠える)祝詞の声を張り上げたりすることが、とにかくなんだかうれしくて楽しい。ご神事自体はもちろん神聖なのですが、決して取り澄ましていなくてどこか温かくてやさしいのです。それはもしかすると、神社の隣で生まれて育った私自身が持っている感覚に近いということなのかもしれないのですが……。

 

天平神護元年(765年)に創祀された志波姫神社。昨年秋にはご鎮座1250年を祝うお祭りも。拝殿内のたたずまいにも長い歴史を感じさせる。

神職勢揃い。左から八幡神社(山形県最上市)・高橋宮司、秈荷神社(宮城県登米市)・高橋宮司、志波姫神社工藤宮司、同るりこさん(工藤宮司の娘さん)、正一位 斗瑩稲荷神社(古川市)・橋本宮司。

高橋さん(左)と福田さん(右)。福田さんが手にされているのが梵天さん。高橋さんが持っている箱に鹿島様の御札が入っている。

高橋さん宅でご用意いただいたお供え。左上にあるのが鹿島様の御札。昔は一升、二升のお米がお供えしてあり、すべて持ち帰っていたとか……。

 

直会終えてお祭り終了。
今年もありがとうございます

 

 1クルーにつき、30~40軒のお宅を回らせていただき、だいたい13時から14時くらいの間に神社に戻るのですが、かつてはお神酒やご飯を用意してもてなしてくださるお家が多く(私も最初の助勤で経験あり!)、夕方になっても回りきれないこともあったとか。また、さらに昔はお供えのお米をすべていただいていたのだそうで、お米をかつぐ役の方が同行したとか、神社にお米を運ぶための大八車やリヤカーがあったとか、長く続くお祭りの豊かな話は尽きません。

 全員が戻ってからは直会(なおらい、と読みます)が始まります。今春も滞りなくご神事を斎行できたことを神様に感謝し総代さん達の労をねぎらい、お弁当などを食べてお神酒をいただくのですが、ただの飲み会と思うなかれ。直会は「神人共食」。お祭りに関わった神様と人が一体となることが目的とした祭典の一部なのでございます。日本人の“飲みニケーション”のルーツやここに?。

 途中小雨がぱらつきつつも今春も無事終了した鹿島祭。にぎやかでも晴れやかでも決してない静かで素朴なお祭りだけど、神様と人との距離が限りなく近く、日常の暮らしと祈ること祀ることがこんなに近いことに毎年感動します。“ハレ”と“ケ”が一体化しているような大好きな鹿島様のお祭りに、どうぞ来年も助勤に伺えますようにと祈りつつ、 銘菓「萩の月」をお土産に新幹線(帰りは「はやぶさ」)に乗り込んだのでありました。
(浅井美江)

 

【筆者略歴】
浅井美江(あさい・みえ)
 伊勢生まれ。曽祖父が宮司を務めていた神社を基地に育つ。地元皇学館大学卒業後上京、出版社にて編集職のち独立。3.11をきっかけに母校で神職階位を取得。東京在住で書きもの仕事に勤しみつつ時々神職。「長濱八幡宮」(滋賀県長浜市)所属。

 

 

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」への1件のフィードバック

  1. 福田 敏(ふくだ さとし)
    1

    今年の鹿島祭でご一緒しました総代の福田です。工藤宮司から浅井さんの『ひばりタイムス』を紹介されました。たいへん暖かい文章で自分たちも知らなかった神社の歴史や桜ノ目のいいところを教えられたという感想です。家族全員で読ませていただきました。来年の鹿島祭でまたお会いできることを楽しみにしております。益々のご活躍を祈ります。

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