西東京市平和の日 戦災者慰霊祭と駅前ビルで平和記念式典

投稿者: カテゴリー: 市政・選挙暮らし オン 2018年4月15日

平和観音慰霊祭法要(田無山總持寺)

 西東京市平和の日の4月12日午前、市内にある田無山總持寺で平和観音慰霊祭が行われ、午後には田無駅北口アスタセンターコートで平和の意義を語り継ぐ記念事業が開かれた。

 1945年午前11時頃、米軍機の空襲で田無駅前とその周辺で多くの犠牲者が出た。その後、田無駅前に戦災者慰霊塔が建立され、1995年の同駅北口前の再開発に伴い、現在の總持寺の山門脇に移転。毎年慰霊祭が行われている。

 12日当日、山門脇にはテントが張られ、多くの関係者らが集まった。最初に主催者で平和観音保存会の小林達哉会長が「犠牲になられたみなさまの鎮魂のために平和観音はあります。この行事は絶対になくしていけないものだと思っています。ご協力いただいているご遺族や有志の方などに心から御礼申し上げます」と挨拶した。

 次に来賓として挨拶した丸山浩一西東京市長は「戦後73年を振り返り、この地で戦争により多くの犠牲があったことを次の世代につなげていく、という大きな責任を私たちはもっています。関係者のみなさまに感謝と敬意を表します」と語った。

 続いて、檀家の女性らがご詠歌を唱えたあと、お経が響くなか、参列者が霊前に花を手向けた。

 午後の記念事業は、西東京市と「非核・平和をすすめる西東京市民の会」が実施。市は「西東京市平和推進に関する条例」でこの日を「西東京市平和の日」と定めており、毎年行っている。

 

1トン爆弾の模型を展示

1945年4月12日の田無駅北口周辺の街並み(ともにアスタセンターコート)

 

 今年は12日に記念式典などが開かれ、14日、15日には、同市出身和NAGOMI作詞作曲の平和の歌「未来の空へ」などギターの弾き語り、「西東京市平和の日朗読・語りの会」による「語り」などがあった。他にも市内の戦争遺跡などを記録した映像作品『忘れてはいけない記憶~西東京市にもあった戦争~』が全日上映された。会場には、西東京市戦災パネルや1トン爆弾の模型も展示された。
(柿本珠枝)

 

【関連リンク】
・4月12日は「西東京市平和の日」(西東京市Web

 

【筆者略歴】
柿本珠枝(かきもと・たまえ)
 旧保谷市で育ち、現在西東京市田無町在住。1998年(株)エフエム西東京開局から携わり、行政や医療番組、防災、選挙特番など担当。地域に根差した記者としても活動している。

北嶋孝
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