平和観音慰霊祭、関係者だけで簡素に 4月12日は「西東京市平和の日」

投稿者: カテゴリー: 市政・選挙暮らし オン 2020年4月12日

参列者は間隔を置いて着席(總持寺境内)

 「西東京市平和の日」の4月12日、市内田無町3丁目の田無山總持寺境内で、平和観音慰霊祭が行われた。新型コロナウイルス感染拡大防止のため市の行事が中止になるなか、「平和観音保存会」の役員ら関係者が集まり、第2次大戦中のこの日に、米軍機の爆撃で犠牲となった多くの住民の死を悼んだ。

 午前11時半から慰霊祭が始まった。總持寺の小峰立丸住職ら3人の僧侶の読経が流れるなか、参列した10人ほどの関係者はマスク姿。やがて白いカーネーションを捧げ、平和観音に手を合わせた。

 保存会の小林達哉会長は「ご住職がおいでになったとき、急に天候がよくなって日が差しました。明るい兆しかと思います」と話し始めた。「本来なら多くのみなさまに集まっていただく予定でしたが、いまが(感染予防の)一番大事なとき。感染を避けるのはもちろん、自分が感染しているかもしれないと思って気を付けないといけません」などと挨拶した。

 

總持寺山門前の法要

挨拶する平和観音保存会の小林達哉会長

 

 例年はテントを張り、100人前後が参加。地域の女性たちがご詠歌(平和観音讃仰和讃)を唱えるなど、手厚い慰霊祭を実施してきた。今年は新型コロナウイルス感染症拡大防止を優先して、関係者だけの式典に切り替えた。

 西東京市は、隣接する旧中島飛行機武蔵製作所が航空機エンジンを製造していたため、米軍空襲の被害を度々受けた。1945年4月12日は1トン爆弾が田無駅や保谷町に多数投下され、100人以上の犠牲者が出た。特に田無駅前の爆撃で50人以上の住民が亡くなった。

 戦後、田無駅前の爆心地付近に観音像が建立された。しかし駅前再開発によって1992年、總持寺境内に移転した。跡地には現在、記念碑と平和のリングが建っている。

 西東京市は「平和推進条例」で4月12日を「西東京市平和の日」と定め、毎年記念行事を開いてきた。今年も戦災パネルや1トン爆弾の模型展示などを予定したが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で中止となった。
(北嶋孝)

 

【関連情報】
・西東京市平和の日(西東京市Web

 

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