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平和観音慰霊祭

平和観音慰霊祭しめやかに 西東京市平和の日 戦災パネル展示も

投稿者: カテゴリー: 市政・選挙暮らし オン 2021年4月13日

 「西東京市平和の日」の4月12日、第二次大戦末期の米軍空襲の犠牲者を悼む「平和観音慰霊祭」が市内田無町3丁目の田無山總持寺山門前で開かれた。市はコロナ禍を考慮して「平和の日」式典を控えたが、市長らのビデオメッセージを市のホームページに掲載したほか、田無駅北口のアスタビルで戦災パネルや1トン爆弾の模型を展示して戦禍の記憶をあらたにした。(写真は、平和観音慰霊祭会場の總持寺山門前)

 

 米軍の空襲は大戦末期、現在の武蔵野市にあった中島飛行機武蔵製作所の工場を主な目標にして度々繰り返された。76年前の1945年のこの日午前も空襲があり、同工場に近い田無駅や所沢街道沿いの北原町、保谷町などに多数の1トン爆弾が投下された。特に田無駅前だけで50人以上の死者が出た。このため戦後、駅前の爆心地付近に観音像が建立され、駅前再開発にともなって總持寺山門前に移転。毎年法要が行われてきた。

 

小林達哉会長

あいさつする小林達哉会長

 

 今年の慰霊祭は新型コロナ感染の影響を受けて、役員、関係者10人余りの出席者だけで開かれた。平和観音保存会の小林達哉会長は「私の母方の祖父母が76年前の米軍爆撃で亡くなった。子どものころは父母に連れられて、よくお寺にお参りに来た」と家族の歴史に触れながら、「戦争で亡くなった方々のことを忘れず、これからも語り継いでいきたい」とあいさつした。続いて池澤隆史市長、松本洋平衆院議員が慰霊の言葉を述べた。

 

 アスタ2階には空襲の日時を記録した表や田無駅前の当時の住宅地図、爆撃の被害や戦争遺跡や慰霊碑などをまとめたパネルが会場いっぱいに並んだ。米軍が落とした1トン爆弾の模型も陳列された。

 

戦災パネル展示。1トン爆弾の模型も陳列された(アスタ・センターコート)

 

 市のホームページに載せたビデオメッセージで池澤市長は1945年の空襲で田無駅前などで多くの犠牲者が出た4月12日を「西東京平和の日」にした経緯に触れ、「その後市は市民団体『非核・平和をすすめる市民の会』とともに、平和式典やピースウオークなどを実施。広島平和の旅に市民を派遣する事業も推進してきた」と語った。

 

 「非核・平和をすすめる市民の会」の鈴木治夫会長もビデオメッセージで、初代田無市長だった指田吾一氏が広島に原爆が落とされたあと軍医として治療に当たったエピソードに触れながら、「非核・平和都市宣言」が市民の委員会で公募、決定された経緯を語り、宣言全文を読み上げた。
(北嶋孝)

 

【関連情報】
・4月12日は西東京市平和の日(西東京市Web
・西東京市戦災パネル(西東京市Web
・「非核・平和都市宣言」について(西東京市Web
・市の平和推進の取り組み(西東京市Web

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