Print This Post Print This Post

「温かく、ときに厳しいご指導」に感謝 西東京市議会で部長級4人が別れの挨拶

By in 市政・議会 on 2019年3月31日

西東京市議会第1回定例会

 年度末は別れと出会いの季節。3月27日の西東京市議会第1回定例会最終日の閉会後、定年退職する部長級職員4人が本会議場で、恒例となった別れの挨拶を述べた。職歴や印象深い仕事の前後に、先輩と後輩の理解と協力、議員の「温かく、ときに厳しいご指導」との句を挟み、最後に「みなさまの健康とご多幸、ご活躍」を願う。折り目正しい感謝の言葉に、議場から温かくて長い拍手が続いた。

 

櫻井勉総務部長

 最初に挨拶に立ったのは総務部長の櫻井勉さん。旧田無市に1981年9月に入庁した。中央公民館(現田無公民館)をはじめ、社会教育課、広報広聴課、健康推進課、合併事務局に。西東京市になってからは企画課、環境保全課、ごみ減量推進課、教育企画課、教育部、総務部を経験した。大きな転機になったのは合併事務局と、初めて管理職になったごみ減量課の時代だという。

 旧田無市と保谷市は2000年代初の都市型合併として全国の注目を浴びた。任意と法定時代の合併事務局に計3年弱。当時珍しかったワークショップ方式による市民意向調査を実施。合併の賛否、新市の名前、望むまちの姿などを市民参加の投票形式で明らかにした。「大変だったけれども、いろんなことにチャレンジさせていただき、仕事にやりがいを感じた時代だった」と振り返った。

 ごみ減量推進課長時代も忘れられない。ごみの有料化に踏み切ったのだ。「市民の日常生活に大きな影響を与える施策だけに、市民と議会のご意見、ご要望を施策に反映し、ご理解とご協力をいただくことが大前提」と考えて取り組んだ。「『ごみの櫻井』のイメージがこの時に定着しました」との言葉に、議場はおおいになごんだ。櫻井さんは「有料化の結果、大幅なごみの減量につながり、再資源化も一層進んだ。課の職員一人一人の自信につながった」と話した。最後に感謝の言葉を述べながら、言葉が詰まる場面もあった。4月からは監査委員として、市政の「お目付役」を務める。

 

白井清美総務部参与

 総務部参与の白井清美さんは1980年、旧田無市に入庁した。今回退職する選挙事務局参与の石橋尚さんと一緒に辞令を受け取ったことは「昨日のことのように覚えています」と話した。

 教育委員会に入り、当時新設校だった西原第二小学校(現在のけやき小学校に統合。校舎は西東京市西原総合教育施設)の学校事務を手始めに、東京都市長会の事務局に出向、企画課、教育指導課、職員課に勤務。合併後も引き続き職員課をはじめ、教育企画課、秘書広報課を経てシルバー人材センターに派遣。その後職員課に戻り、会計管理者、総務部へ。38年のうち約20年間は総務部、そのうち職員課に15年所属し、採用から退職まで、職場環境や処遇の改善、人材育成に知恵を絞った。

 新人職員には「成長ぶりを見るにつけ 頼もしく感じ」、「退職された先輩たちには市政に貢献されたことに尊敬の念を抱き」ながらの職場生活だった。白井さんは「職員を陰で支えることが市民サービスにつながると思い、仕事のやりがいと感じてきた」と言う。

 しかし「節目節目で、仕事を継続していくかどうか悩みもございました」と振り返る。結婚、 出産、 育児。「育児が終わったと思ったら介護が始まった」。 そういう生活と仕事の職責を考えると「不安がよぎる時期もありましたが、勤務条件や休暇制度などの処遇改善が行われ、 何よりも力強い先輩後輩の励まし、職場の理解、家族の協力があり、今に至ることができました」と感謝の言葉を重ねた。

 最後に「一市民としてフレイル予防に励み、健康に気をつけながら好きな趣味をたしなみ、そしてコツコツと日常生活を 規則正しく過ごしていきたい」と言う。「コツコツ」に力が入ると、場内は温かな笑いの波が広がった。4月から西東京商工会事務局長に就く。

 

湊宏志都市整備部長

 都市整備部長の湊宏志さんは1982年6月、土木技術職員として旧保谷市に採用された。下水道課に配属となり 生放流に向けた公共下水管埋設の設計業務で公務員生活がスタートした。その後、用地課、道路建設課、道路管理課、都市計画課など建設部門で36年余り。まちづくり一筋の公務員生活だった。

 一筋の道にも、不思議な巡り合わせがある。下水道課在籍時に、東町ポンプ場と下保谷ポンプ場の築造に携わった。 ところが都市整備部長になって、両ポンプ場廃止後の国庫補助金の返還問題を取り扱うことに。「本当に、最初と最後に関わるという不思議な縁でした」と話すと、紛糾した当時の記憶が蘇ったのか、ざわめきと笑いが議場に広がった。

 用地課では、都市計画道路の用地買収に奔走した。一段落したら道路建設課に異動。自分で取得した箇所の道路築造を設計し、工事現場を監督することに。「交渉、調整などで大変苦労しましたが、その成果として、地図に残る仕事ができたと満足しています」というと、ホーッという声が起きた。「地図に残る仕事」というフレーズが印象的だった。湊さんはすぐ「TVコマーシャルからの借用です」と一言。議員らの明るい笑いが広がった。

 はなバスの乗車運賃改定当時の出来事も記憶に残るという。この時は100円から150円への値上げを検討。高齢者の負担軽減が課題となった。「担当者と苦労の末に敬老回数券の発行にたどり着き、バス事業者の協力を得て実現した」とホッとした表情で語った。

 「プライベートでは 意外だと思われるかもしれませんが、 私は 神社やお寺を 参拝し御朱印をいただくことを 趣味としております。 今後ゆっくりと時間をかけて、全国の神社とお寺を回りたい」と述べて挨拶を締めくくった。

 しかし余生をのんびり過ごす雰囲気はない。「4月以降も都市整備部で働かせていただくことになりました」。まちづくり一筋の道は、まだまだ続く。

 

 最後に挨拶したのは、選挙管理委員会参与の石橋尚さん。「できるだけコンパクトにお話ししたい」と切り出した。

 石橋さんは1980年に旧田無市に入庁。就労課をスタートに 税務課、電子計算課、合併時には市民税課と、ずっと賦課徴収業務に携わった。その後、保険年金課、生活福祉課、選挙管理委員会事務局を経験した。

 「本会議を始め常任委員会や予算特別委員会、特に国民健康保険料改定の審議では厳しいご指摘、ご意見をいただき、ときには応援のご意見をいただいたことも 懐かしく思い出されます」と話した。

 石橋さんは「今年初めて定期検診で引っかかりました」と話したあと少し息を継ぎ、「退職を控えて、今後は健康に気をつけがら、市民として市政に関心を持ち、規則正しく日々を過ごしたい」と前置き通りコンパクトにまとめた。

 地方公務員の人事異動は、民間なら別業種、別会社への転職と言われるほど仕事の内容が変わる。30数年で10回前後の異動を経験し、短い別れの挨拶に悲喜こもごもを込める。田中慶明議長が「本当にお疲れさまでした」と議員を代表してねぎらいの言葉をかけると、議員らの長い拍手がしばし議場に響いた。
(北嶋孝)

 

(Visited 133 times, 1 visits today)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA