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金子直史著『生きることばへ』

By in 書評, 未分類 on 2019年9月5日

【書評】

◎記者が書き継いだ「生きる意志」
 片岡義博

 がんで余命を宣告された記者が、生と死の境を見つめた文化人たちの言葉を通して、いのちについて考える記事を新聞に連載した。本書は58歳で他界した記者の最後の仕事となった連載コラムを書籍化したものだ。

 著者は私の元同僚であり、私自身、本書の出版に少しだけ関わってもいる。そのぶんバイアスがかかることになるが、できる限り客観的に紹介してみたい。

 連載は30回。初回は戦没画学生の遺作を展示する長野県上田市の「無言館」を訪れ、死を予感した若者が描いた絵からほとばしる「生きたい」という「命の叫び」を聴き取っている。第2回は、正岡子規が死の直前まで書き継いだ随筆集『病狀六尺』を取り上げ、拷問にも似た病の激痛さえ楽しもうとする俳人の境地に思いを致している。

 記者のペンは原爆、特攻、水俣、東日本大震災、強制収容所、沖縄と生と死がせめぎ合う時と場所を巡る。登場する主な名前を挙げれば、原民喜、石牟礼道子、見田宗介、宮沢賢治、若松英輔、石内都、V・フランクル、目取真俊、岡本太郎、小田実、小林秀雄……。

 本書の副題には「余命宣告されたら何を読みますか?」とある。本書はいのちをめぐる読書案内書でもあるが、著者にとってその問いかけは、「余命宣告されたら何を書くか?」という自身への切実な問いでもあっただろう。

 答えは、「生きる希望を探る」という身に迫るテーマであり、対峙したのはこれまで取材で交わってきた社会派の作家や思想家、あるいは人生の途上、少なからぬ影響を受けた言葉だった。結果として四半世紀に及ぶ記者人生を集約し、さらには自身の死生観を色濃く映し出す仕事となった。

 特筆すべきは、個人的な死とともに戦争や災害、圧政といった時代と社会を見据えた視点を手放さなかったことだ。それは広島や那覇で取材活動を始めた著者の原体験に基づいてもいただろう。だがそれは大所高所から歴史を裁断するものではなかった。最終回で著者は「歴史とは、個人の悲しみの実感を通じてこそ、ようやく見えてくるのではないか」と記している。

 そして全編を貫いているのは、「生きる意志」とも呼ぶべき強靭な精神だ。連載冒頭、「文化人らの作品を読み解きながら、生きるための希望を探りたい」と宣言する。その文化人とは最期まで病と格闘したスーザン・ソンタグであり、死の恐怖を快活に振り払った中江兆民であり、容体が悪化する中でも好奇心とユーモアを失わなかった鶴見和子である。その先には吉村昭の尊厳死、西部邁の自死に控えめな疑義を呈し、「人がただ、『生きる』ということそれ自体の尊さを、感じ続けたいと思う」と結んでいる。

 本書の後半、連載と並行して書かれた著者の日記を載せている。二人の娘との交換日記や備忘録の狭間に、余命宣告の衝撃、当惑、疑問、恐怖、祈り、予感が率直につづられる。家族との情愛に溢れた交わりとともに、長期間、激烈な痛みや抗がん剤の副作用と闘いながら一字一字を刻むようにして記事を書き継いだ日々が生々しく記されている。

 海、風、陽光…自然の息吹を全身に浴びて「いのちは天に祝福されている」と書き、「主観的には、死ぬつもりはない」と書いた。そこに絶えることなく脈打つ「生きる意志」に触れるとき、あらためて粛然たる思いに浸される。

 著者は1960年東京生まれ。東京大学教養学部卒。共同通信社入社。広島支局、大分支局、那覇支局などを経て、本社文化部長、編集局次長、編集局企画委員などを歴任。2018年9月、大腸がんのため死去した。

 

【評者略歴】
片岡義博(かたおか・よしひろ)
 1962年生まれ。共同通信社記者(演劇、論壇などを担当)から2007年フリーに。小平市在住。嘉悦大学非常勤講師(現代社会とメディア)。

 

【書籍情報】
書名 生きることばへ
著者 金子直史
定価 1728円(税込み)
出版社 言視舎
出版年 2019年8月
ISBN-10: 4865651551
ISBN-13: 978-4865651553

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