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米軍大和田通信所

「書物でめぐる武蔵野」 第5回 フェンスの向こうのアメリカ 北多摩編

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2021年2月25日

 最近、東久留米市の北東のはずれ、新座市と境を接するあたりに温泉施設「スパジアム ジャポン」ができた(もちろん「ふんばり温泉」ではない⇒連載第3回ご参照を)。高台にある団地と航空管制施設(赤いアンテナ)が印象的だった場所に〝温泉〟という組み合わせが意外な感じがした。(写真は、米軍大和田通信所。フェンスには立ち入り禁止の札がかかっている=筆者提供)

 

 この施設の少し北には「野火止用水」に沿って「水道道路」が走っている。野火止用水は江戸時代、玉川上水から分水した用水路で、かつては小平から志木市にかけての地域をうるおしていた。しかし、高度経済成長期、ここらの河川はすべてそうであったように汚染され、用水路本来の機能を失っていった。現在は文化的な遺跡として存在している。

 

 「温泉」の横を通り「水道道路」を出て、名刹平林寺方面に向かい、「西堀公園」という交差点を北方向に左折、「新富士見通り」を少し行った左手にそれはある。

 

こんな身近に米軍基地

 

 ここは米軍大和田通信所という。れっきとした在日米軍基地で、周囲は鉄条網のついたフェンスで囲まれ、アンテナが何本か見える。このあたりで畑も住宅もない空間が広がっているのは珍しく、アメリカ風に見えなくもない。フェンスにはいたるところに看板がある。「在日米軍基地」名で、無断で入ったりすると罰せられる、と英語と日本語で書かれている。

 

米軍大和田通信所

門もなんとなくいかめしい(米軍大和田通信所)

米軍大和田通信所

広い敷地内にはこういうアンテナが立っている(米軍大和田通信所)(写真はともに筆者提供)

 

 1945年の敗戦、米軍による占領以降、日本にはいまだに米軍基地が多数存在している。沖縄の基地問題は連日のように報道されているし、東京の横田基地もよく知られている。しかし、新座市、東久留米市、清瀬市の境に(住所は新座市にある)、こんな「アメリカ」があることはあまり知られていないのではないか。

 

「戦争遺跡」の表紙

「東久留米の戦争遺跡」の表紙

 筆者もそこが「アメリカ」であることは漠然と知っていた。しかし、どういう経緯でそうなったのかを知ったのは、今回もお世話になる『東久留米の戦争遺跡』(2019年、東久留米市教育委員会)によってである。

 

旧日本軍の秘密通信基地

 

 第二次大戦中、武蔵野地区には大規模な飛行機工場があり、それがこの地域の形成にさまざまな影響を及ぼしてきたことは何度か述べた。武蔵野の軍事関連施設はそれだけにとどまらない。同書によると、当時の海軍と陸軍のかなり重要な通信施設が東久留米市とその周辺にあったということなのだ。

 《一九三三年(昭和八年)に旧陸軍は東京府北多摩郡久留米村前沢に「北多摩通信所」を開設し、三六年(昭和一一年)に旧海軍は埼玉県北足立郡大和田町西堀に「大和田通信所」を完成させました。》(前掲書p35)

 

 この2つの通信施設の大きな特徴は、《外交や軍事の外国無線の傍受を専門とする、いわば陸海軍の通信秘密基地の役割を担った》点にある(同p35)。

 

 暗号を解読する本部がある都心から適度に離れていてあまり目立たず、外国無線を受信するとき受信障害となるものがない、といったところを勘案した結果、陸海軍ともにこの地を選んだようだ。

 

 陸軍の「北多摩通信所」は、現在の小金井街道沿い、小金井街道と新青梅街道が交差するすぐ近くにあった。施設は拡張され、終戦となる45年には千数百人を擁する陸軍最大の通信施設となっていた。現在その痕跡はほとんどなくなっているが、「前沢南公園」に東久留米市の旧跡指定の説明板がある。

 

 一方の海軍の「大和田通信隊(通信所)*」こそ、冒頭に紹介した現在米軍基地の前身にあたる。
  *以下、通信隊と表記する。

 

 この施設の規模は、陸軍のそれよりさらに大きかった。清瀬村、久留米村にまで施設は拡張され、約3000人が関わっていたという。清瀬村には方位測定所があり、東久留米団地一帯はすっぽりこの施設の範囲に入っていた。よってこの施設も東久留米市の戦争遺跡に指定されている。

 

海軍大和田通信隊の地図(前掲書p60)

 

 この大和田通信隊が登場する小説作品がある。阿川弘之の『暗い波濤』である(この情報も前掲書による)。

 《通信科(注:海軍の通信部隊)のうち特信班に編入された予備学生や下士官兵は、一人前になる前、必ず一度大和田通信隊で実習をやらされる。それは此処が海軍の外信傍受と電波方位測定の中枢になっていたからである。/埼玉県といっても、池袋から出ている武蔵野線(注:現西武池袋線)の東久留米駅より北へ、それほど遠くない。あたりは武蔵野の雑木林と芋畑で、其の一角に、無線アンテナの柱がたくさんそびえている。…他国の無線通信を盗聴するのに、東京周辺で電波状況のもっとも安定しているのが此のあたりだと言われている。》(文庫上p201)

 

『暗い波濤』のリアル

 

 『暗い波濤』*の作者阿川弘之は、評伝小説『山本五十六』『米内光政』など多くの戦記作品で知られる作家。「第三の新人」という括られ方もしたが、タレント阿川佐和子の父親といったほうがわかりやすいだろう。東京帝国大学を繰り上げ卒業後、海軍予備学生となっている(その後少尉として任官)。『暗い波濤』はフィクションだが、大変な量の取材をベースに阿川と「同期」と思しき海軍第2期予備学生士官たちを描いた群像劇である。600ページを超える文庫2冊、弩級の長編小説だ。日本大百科全書(ニッポニカ)によると、阿川は海軍では通信諜報の仕事に携わったとあるから、大和田通信隊の記述はかなりの部分実体験が反映していると考えられる。

 

 文庫の惹句に「一大叙事詩」とか「若きいのちへの鎮魂歌」とある。不謹慎を承知で言うが、戦記ものは歴史エンターテインメントとして読めると思う。読者は、戦争という極限状態に置かれた人物に感情移入しやすい。「どうなるのか?  死ぬのか?」これはミステリーの作法と同じだ。だから長編も苦にならない。

 

 物語は、海軍第二期予備学生がそれぞれの部署に配属された1943(昭和18)年4月以降、急速に展開していく。主人公らしき栗原達也が設定されていて、作者の分身? と思っていると、それはのちに裏切られる。すでに負け戦の様相を呈していた戦争を、予備学生たちがどのように生き、死んでいったかが詳細に、だが淡々と記述される。

 

 地上で、海で、空で、兵士が次々に斃れていく。起死回生を狙った作戦はことごとく失敗、悪化するばかりの戦況。爆弾や銃弾の恐怖、海上での漂流、病気や飢餓、死の行軍。捕虜や戦犯になった人物もいる。小説・映画で何度も描かれてきた航空機や潜水艦による特攻だが、やはりそのシーンでは胸が詰まる。

 

 それにしても、死ぬのは士官も下士官以下も同じ、はずだが、軍隊ではその扱いが違うことが当たり前に描かれている。なるほど軍隊というのはそういうところなのだ。また、南方から運よく内地に転勤し結婚した者が新婚早々死んだということを聞いた者が「ざまを見ろ」という気持ちになった、という記述がある(下p370)。ここに、この作品のリアルがあると思った。

 

暗い波濤(文庫判、上下)

現在、紙の文庫は品切、電子版のみ

 

歴史の闇へ

 

 さて、阿川弘之も足を踏みいれていたであろう通信施設に戻ろう。

 

 大和田通信隊、そして北多摩通信所は、「歴史の現場」をかなり「傍受」していたようだ。両施設は、日米開戦にいたる暗号化された外交通信を解読している。大和田通信隊は真珠湾の米海軍の有名な第一電(「これは演習ではない」)も受信している。開戦後、暗号そのものの解読が難しくなってからは、通信元、宛先、時刻や時間、位置などの膨大な情報を蓄積して解析する方法で、B29の空襲の場所、時間、規模を探知していた。広島・長崎に原爆を投下した戦隊についても大和田通信隊は注目していた。しかし、この傍受は活かされることはなかった(『戦争遺跡』p55、『波濤』下p469)。

 

 さらにこの両施設は「ポツダム宣言」も受信している。

 

 陸軍の北多摩通信所は、敗戦必至と考えたようで8月15日を待たずに文書の徹底的な焼却を行ない、通信機、アンテナなども破壊している。その存在の痕跡を消そうとしているのがわかる。

 

 一方、海軍の大和田通信隊の対応は違っていた。文書は焼却したものの、施設や通信機器は破壊していない。米軍への「引渡目録」まで作っている(『戦争遺跡』p71)。これが現在の「米軍大和田基地」に続いていくわけだが、このことについて『戦争遺跡』は、施設を平和利用したいという海軍の強い要望があったと記している。

 

 戦後すぐには、日本の中央気象台が大和田の施設を接収した。ところが1950年7月、米国陸軍第71通信隊が大和田の中央施設を使用することになる。気象通信所は清瀬の副受信所跡に移転している(現在「気象衛星センター」)。

 

 「1950年7月」に注目すべきだろう。その少し前の6月25日は朝鮮戦争が勃発した日である。朝鮮戦争をきっかけに日本の戦後は大きく転換する。上記もこれと無縁ではないはずだ。大和田地区の通信施設は64年に米空軍の管理下となり、現在に至っている。これがフェンスの向こうに「アメリカ」がある経緯だ。

 

 東久留米地区にあった通信施設は、やはり50年に米空軍の管理下に置かれた。63年、それまで入間の米軍基地にあった運輸省航空管制本部がこの地に移転してきて、民間機の航行管制を行なうようになった(この施設は77年に所沢に移転)。かつて東久留米団地の中にあり、ランドマーク的存在だった巨大なアンテナには、こういう軍事絡みの歴史があった。

 

1962年の東久留米団地と航空管制用のアンテナ(『光の交響詩』p70、東久留米市教育委員会、2000年)

 

 最後にもう一度考えてみよう。なぜ、ここに米軍基地があるのか?  それは、《首都圏上空にも、嘉手納基地と同じ横田空域という米軍の管理空域があって、日本の飛行機はそこを飛べないようになっている》からではないか(矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』p34、図はp35、2014年、集英社インターナショナル)。東京の「制空権」はいまだにアメリカに握られているのである。これは極論だろうか。

 

横田空域

横田空域(矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』p35)

 

【関連情報】
・東久留米市歴史ライブラリー1『東久留米の戦争遺跡』を刊行しました。(東久留米市

 

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「書物でめぐる武蔵野」 第5回 フェンスの向こうのアメリカ 北多摩編」への9件のフィードバック

  1. 1

    東久留米の戦争遺跡を取り上げていただき感謝しております。著者の山﨑と申します。よろしくお願いします。

    • 杉山尚次
      2

      コメントを有難うございます、というより大変お世話になっており、お礼申し上げます。『東久留米の戦争遺跡』『東久留米の古地図』ほか御著書は興味深く、素人にはひじょうに勉強になります。中学生以上ならだれでも読める本なので、東久留米市はもっと「東久留米歴史ライブラリー」シリーズを広める努力をすべきだと思います。簡単に購入できるようにしてほしい(土日は事実上買えない)ですし、ゆかりの地を歩くイベントとかセミナーなど、いろいろ考えられると思います。今後ともよろしくお願いいたします。

  2. 中川航一
    3

    気象庁と運輸省(現国交省)の航空管制部があった頃、何回か訪れたことがあります。例の「ニイタカヤマノボレ」の発信基地でも有名ですよね。

  3. 杉山尚次
    4

    コメントを有難うございます。実は航空管制部のほとんど隣の東中出身なので、ここはずっと気になっている場所でした。阿川弘之の『山本五十六』によると、戦中、日本の暗号はほとんどアメリカに解読されていたらしいのですが、これも「負けいくさ」の原因だったのでしょうね。

  4. 藤井常文
    5

    戦争孤児施設の歴史をまとめている者です。かつて前沢の陸軍通信所跡に戦争孤児施設がありました。昭和21年1月事業開始、昭和25年5月閉鎖です。目下、学園で暮らした施設長の次男、学園で暮らした当事者から当時のことを聞き取りしています。久留米村は学園の子どもたちの通学を認め、受け入れておりました。教育委員会に当時のことを尋ねています。ご存じのことがありましたらお教えください。

  5. 杉山尚次
    6

    コメントをいただき、有難うございます。
    申し訳ありませんが、前沢の陸軍通信所跡にそういう施設があったことを初めて知りました。むしろ教えていただきたいと思います。概略でもひばりタイムスに投稿していただければ勉強になります。

  6. 藤井常文
    7

    ありがとうございます。そのようにさせていただきます。コロナ禍にあって、当事者や関係者の方たちとはお会いできませんが、電話と手紙で当時のことをお聞きしております。東京都の戦後の戦争孤児の保護史からも東久留米市史からも忘れられた施設になっています。

  7. 8

    9月の初めに久留米勤労輔導学園の関係者に案内していただいて前沢の陸軍通信所跡を視察しました。そのときのことが今月10日の東京新聞で報道されました。学園についてはまだまだ、わからないことが多いです。東久留米市中央図書館にも行ってきましたが、小山学寮(現、小山児童学園)のことは広報で取り上げられておりましたが、久留米勤労輔導学園のことについては見つけられませんでした。二つの施設の子どもたちは、同じ小学校と中学校に通っておりました。閉鎖になった事情もほんの少しですが、わかってきました。

  8. 9

    藤井さま。コメントありがとうございます。また、東京新聞の記事も拝見しました。大変貴重な調査だと思います。藤井様の研究をもっと読みたく思いました。これまで調べられ、お考えになったことを、ぜひ、ひばりタイムスにご寄稿いただきたいと思います。

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