時代をみつめ、歌いたいものを歌う 沢田研二コンサートに5000人

投稿者: カテゴリー: 暮らし文化 オン 2021年6月24日
コンサート・ハガキ

コンサートの開催を伝えるハガキ(クリックで拡大)

 歌手の沢田研二は「ザ・タイガース」時代から「ジュリー」の愛称で親しまれてきた。70歳を過ぎてもコンサート活動を続け、多くの人びとが歌声に耳を傾け、ステージに魅入られているという。長年、彼の活動を見つめ続けてきた西東京市在住、穂坂晴子さんの報告です。(編集部)

 

静かで熱いコンサートの開始

 

 緊急事態宣言真っ只中の5月28日、地下鉄の有楽町駅に隣接する東京国際フォーラムで、ジュリーこと沢田研二のコンサートが開催された。ソロ活動50周年を期しての、実に1年4か月ぶりの生のライブ。

 「こんな大変な時にこうして駆けつけてくださって本当にうれしいです。無事に今日を迎えられたのは、幸運に幸運が重なりまくったということです」

 きらきらの鋲で飾った紫の衣装で現れたジュリーは、長い間の「ジュリ―ロス」に見舞われていたファンに、いつものジュリー節を交えて語った。

 次回がいつになるか心配だった時、突然1枚のハガキが届いた。

<号外 沢田研二 2021ソロ活動50周年ライブ 「BALLADE」東京国際フォ-ラム ホールA>

 去年のコンサートはすべてキャンセル。マスメディアでは事業所やファンクラブ解散、引退かと騒がれていた。その風評を吹き飛ばし、静かな、そして熱いライブが開始された。

 

会場

会場となった東京国際フォ-ラム・ホールA

 

 まずは入り口前の長蛇の列に驚く。距離をとり、話は控える。会場席の移動や声援は禁止。入場時の細かいチェックで25分遅れる。開始とともに、いつもは会場総立ちだが、立つ人もない。思いっきりの拍手に託した参加者の思いが響く。

 コンサートタイトルは「BALLADE」だったが、ロック調の「30th Aniversary Club Soda」「♪終わらぬショーへ さあようこそ Ladies&Gentlemen 愛してます」から始まり、次は阿久悠作詞「時の過ぎゆくままに」「君をのせて」と続いた。

 最近作った歌中心のライブが多かったが、今回は50年の歴史を語る懐かしい曲も盛り込まれていた。

 

怒りを込め、訴えかけ、説くように歌う

 

 今までも「un democratic love」では、「♪もしかしたら君はほんとの愛を知らない……心の深さが届かないんだ 君の愛は危険、君の愛は違憲……」と歌い、一言も名前は出さないが、MCでの「アカンベーあかん あべ」で誰をさしてるのか想像できた。「Friday voices」では反原発金曜デモに「♪この国が いつか変わるため 集えFriday 静かな熱い叫び」と歌った。

 福島原発事故が起きた3月11日に毎年CDを出し、現地の人の思いを胸に謝罪し、「Pray」「♪神の賜いし苦難ならば不公平すぎます東日本大震災」、「こっちの水苦いぞ」などたくさんの自作の歌を歌いあげてきた。

 

 今回も「三年想いよ」「ISONOMIYA」を歌った。

 激しい怒りを込めながら、時には泣きながら訴えかけ、説くように歌うジュリーはまさにエンターテイナーだ。心が揺さぶられるということはこういうことか、とそのたびに思った。若かりし頃のかっこよさと艶のある美しい声を超えて、今の方がすごいのではないかと思わせる声量、歌のうまさと時代をみつめ、歌いたいものを歌うという揺るがない自己理念に新たなファンが増え続けているというのも納得する。私の周りでも、1度誘った人は、全員はまった!

 

亡き盟友志村けんさんを悼んで

 

 おなじみの人気曲「TOKIO」は、同じ曲かと思うほどのアレンジだった。振付の年相応の可愛さも。関西弁でのMCの面白さと可愛さも人気のひとつ。一方で今の「東京」への皮肉を込めた批判なのかもしれない。ちなみに彼は東京オリンピックが決まった直後から「東京五輪ありがとう」を出し、「♪被災者を救うため あのまちを忘れないで」と歌い、ライブでは「すべては震災の被害者に」と締めていた。

 60歳の「還暦コンサート」は6時間半ぶっ続けで80曲を歌いこなした。NHKへの出演を拒否し、自分で事業所を設立し、昔の歌は歌わない、ほとんど反原発の歌だけのコンサートもあり驚いた。それで通す潔さは神々しさえ感じたこともある。3年ほど前からバックバンドは解散し、ギターの柴山和彦氏と2人だけの舞台。長い間それを願っていたという。

 「届かない花々」では「♪世界中に花を全部集めてユーモア添えて届けてあげて 声なき声 愛の参加を」と弱い人への支援をさり気なく歌い、「明日は晴れる」で希望を歌い、最後は亡き盟友志村けんさんを悼んでか「今はさらばと言わせないでくれ」と映画の主題歌だった「ヤマトより愛をこめて」を歌いあげた。

 志村さんの代わりとして配役された山田洋次監督の「キネマの神様」は8月に公開する。

 

誘った知人夫妻は…

 

 久しぶりの生のコンサートで、参加者の熱い思いは会場中に溢れていた。コロナ禍で来たくても参加できない人のことも聞いた。それぞれの人生がこの間、あっただろう。聞きながら涙をふく人もいた。

 1度はスーパースターの声を聴きたかったという知人夫妻を誘った。隣の席でも話すことはできなかったが、2人の感動は伝わってきた。思いっきり拍手し、曲の合間では手を振っていた。「根腐れpolitician」では「すげぇ」とつぶやきが聞こえた。

 

 終了後もスタッフの誘導で順に退場、みな直帰を促せられる。留まって感想は聞けなかったが、帰宅後に電話があり、「感動しました。興奮冷めやらず、今お酒を夫婦で酌み交わしている」と。私も感動が覚めやらず、いつも元気をもらっている。

 

アイデンティティの一つ

 

 こんなに惹かれるのは、なぜだろう。折よく次の日、朝日新聞のbe版で「今こそ聴きたい 沢田研二―自分を貫く無二の表現者」(林るみ記者)という記事が結構大きく出ていて夢中で読んだ。まさに同感、共感だった。若かりし頃はたぐいまれなジュリーのかっこよさときれいな声、度肝を抜くような演出などに夢中になった。それは、青春時代の鬱屈とも重なるかもしれない。60歳から、自分の好きな歌を心のままに歌う、理不尽は許さず権力者にはこびない彼の生きざまが自分の有りようとも絡んでくる。

 林記者は自分を振り返り、アイデンティティの一つだったと書いていた。多分私にとってもそうだったのではと思う。田舎の中学校の学芸会で、当時どちらかというといつも先生に注意されていた男子クラスメートが「ドナドナ」をギターを抱えて歌った。びっくりした。こんな素敵な曲を演奏するんだと。そしてその時に初めて出会ったのが、当時GSのタイガースが歌っていた「モナリザの微笑」だった。なんていい曲だろうと感じた。とりわけボーカルのジュリーのかっこよさに憧れた。

 それまで「優等生」であろうとしていた自分には画期的なことだった。歌に夢中になる人は別世界の人だった。そして、そのことによって価値観も交友範囲も変わった。「ジュリー」と叫ぶ少女の気持ちも分かった気がした。それから「追っかけ」まではいかないとしても、ジュリーの像は日々の暮らし、「青春時代」に欠かせない存在となった。

 

青春時代の象徴

 

 高校時代は受験に追いまくられ、それを唯一の目標とする当時の学校への疑問が広がっていた。どう生きていったらいいのか、社会への入り口にたっての戸惑い、揺れに「長髪は不良」などと問題にされたGSへの世間の評に、鬱積した思いが重なったかもしれない。岡林信康の「友よ」では、もしかしたら世の中は変わるかもしれないと思ったし、メッセージ性のあるフォークに惹かれた。タイガースも当時、確か「ヒューマン・ルネッサンス」というアルバムも出していた。「忘れかけた子守唄」という、息子を戦争へ送り出した 母の悲しさを歌った曲だったことを覚えている。ラジオ番組で「オールナイトにっぽん」という人気の深夜番組があった。真夜中に一所懸命聞き、アナウンサーのアンコウさんによく電話していたことも思い出す。

 

そして、ジュリーは

 

 60歳になった時、「我が窮状」で憲法9条のことを歌った。

 「♪この窮状 救うために 声なき声よ集え、我が窮状 守れないなら真の平和ありえない この窮状救えるのは 静かに通る言葉 我が窮状 守り切りたい 許しあい 信じよう」

 久しぶりの立川でのコンサートに母と行った。「我が窮状」を初めて聞いたが、意味が分からなかった。翌日の朝日新聞「ひと」の欄でジュリーが紹介されていた。そこで初めて「我が窮状」が憲法9条のことを歌ってるのだと知った。「もう60になったのだから、言いたいことを言っていいんじゃない」と。それから次々と権力批判、反原発の歌などを作り続け、今日に至っている。「脱走兵」「♪拝啓 大統領閣下 僕は人を殺すために生まれてきたんじゃない…」は何度聞いても心に染みる。一時ネットで、聞けない時すらあった。

 彼の変わったことに驚く人や批判する声もあった。大変だったと思う。解散後、結成したPYGでは「トマトや空き缶」を投げつけられたこともあるという。今回も最後のほうに歌った「いくつかの場面」(河島英五作)では思いが溢れてるのがよく分かった。

 ライブのドタキャン騒ぎの時もマスメディアの扱いはひどかった。彼は潔く自分の責任だと言ったが、裏ではいろいろあったかと思う。今どきこれほどはっきり政権批判をする芸能人はいないだろう。山本太郎氏が政界に入った頃の応援演説で荻窪に来た時もひげを生やし、セーター姿でひょっこり現れたふつうのおじさん。でも弁舌さわやかだった。

 

最新の「HELP! HELP! HELP! HELP!」

 

 2年前のコンサートの時は縁あり、尊敬している作家の澤地久枝さんとご一緒だった。各地での憲法や原発反対行動の呼びかけ人で、今も全国で続けられている「3の日行動」の提案者で、90歳になった今も街頭に立つこともあるようだ。「以前から来てるんですか?」の私の質問に「沢田さんは会場でいつも原発反対の署名をたくさん集めてくれるからお礼よ」とおっしゃっていた。そのコンサート会場で、会場の客と初めて一緒に録音したのが最新曲「HELP! HELP! HELP! HELP!」だ。コロナ禍の今を予想している曲かもしれない。だからそこには、澤地さんの声も私の声も入っている。落合恵子さんとの対談集のなかでも、お二人とも彼に触れている。2年前に「非核・平和をすすめる西東京市民の会」の学習会で講師に落合さんをお呼びした時も「芸能人でも平和を発信する人もいる」と名前が出た。今の沢田研二に惚れている人多数!

 時の権力にこびない、弱い者の立場にたって歌い続ける。これからも変わらないだろう。その生きざまに元気をもらう私たちも自分の何かを探し続けたいと思う。それが彼からの大切な贈り物だと思う。

 今回はコロナ禍の中のコンサート、いつキャンセルになるかと毎日HPを検索していた。
 「5月28日、気をつけて来て下さい」と案内が出たのはコンサート2週間くらい前だった。週刊誌などが行方不明などと騒いでる時でも安心していたのは、HPに載っていたジュリーからのメッセージだった。

 「今のコロナの感染状態の中、ファンのみなさんを危険にさらすわけにはいきません。元気に明るく負けないようにしましょう。気長に暮らしましょう。春にはお会いできることを。老虎再来!」。
 そして、5月28日、見事にライブは実現された!
(穂坂晴子)(写真は筆者撮影)

 

【沢田研二2021ソロ活動50周年ライブ「BALLADE」】
 2021年5月28日(金) 東京都 東京国際フォーラム ホール A
 2021年6月01日(火) 愛知県芸術劇場 大ホール
 2021年6月03日(木) 大阪府 フェスティバルホール

 

【筆者略歴】
 穂坂 晴子(ほさか・はるこ)

ジュリーのイラスト

ジュリーのイラスト(筆者作)

 西東京市在住21年。児童教材出版社勤務を経て、現在日本語教師&塾講師。「非核・平和を進める西東京市民の会」世話人、「SAVEザ9条 SAVEザ憲法 西東京市民の会」、「同進会を応援する西東京市民の会」、「戦争ホーキの会」など。

 

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時代をみつめ、歌いたいものを歌う 沢田研二コンサートに5000人」への2件のフィードバック

  1. 中川航一
    1

    穂坂さん、凄いですね。私は生で聞いたことがありませんが、リアルな雰囲気がよくわかりました。ジュリーにはもっともっと頑張ってほしいです。

  2. 加瀬 裕子
    2

    穂坂様、西東京市在住の私も50数年のコアなジュリーファンです。
    長文で、きめ細かい記事に関心しています。
    5月の東京国際フォーラムのライブでは、完璧な感染防止対策の為、長蛇の列が出来ていてビックリしました。ああ、やっぱりジュリーファンは、彼の事をずっと見守って
    いるんだな!と思いました。
    一般の方がこの記事を読んで、今のジュリーを少し理解してくださると嬉しいです。
    (一般の方には、ドタキャンの件が先走っていてちょっと残念)

    8月には、’キネマの神様’が公開されますが、記事文中’クランクイン’とありますが、’公開’ではないでしょうか?
    (クランクインは映画の撮影に入る事だと思います)
    これからも、お互いにジュリーを応援していきましょう!

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