『いとしいたべもの』と続編の『こいしいたべもの』

「わたしの一冊」第12回 森下典子著『いとしいたべもの』

投稿者: カテゴリー: 暮らし連載・特集・企画 オン 2021年8月12日

「日本の家族」のささやかな幸せが見える by 倉野 武

 

 住宅事情や家庭内の勢力関係から、これまでずいぶん蔵書を処分してきたが、そのなかでも「これは手元に残しておきたい」と死守してきた一冊に、エッセイスト、森下典子さんの『いとしいたべもの』がある。(写真は『いとしいたべもの』と続編の『こいしいたべもの』)

 

電子レンジがない時代のグルメ

 

 森下さんは1980年代、女子大在学中から週刊誌のライターとして突撃取材で活躍し、「典奴(のりやっこ)」の愛称で人気に。その取材体験をまとめた『典奴どすえ』(87年刊)はドラマ化(主演は賀来千香子さん)もされた。本書は著者が、幼少期からの食にまつわる体験、場面、人とのやりとりなどを、当時の喜怒哀楽とともにたぐり寄せるグルメエッセイ。グルメといってもおしゃれな料理が出てくるわけではない。マツタケやカステラといった高級なものも時折は登場するが、大半はどこの家庭でも見かけるようなものばかり。

 

 たとえば、「オムライスの世代」では、電子レンジがない時代の「冷やご飯の再利用法」だったオムライスをつくる母親の姿を振り返りつつ、昭和30年から40年代に子供時代を過ごした人が抱く正統派オムライス愛をつづる。「わが人生のサッポロ一番みそラーメン」では、初めて食べた日の感激から、父親と勝負した五目並べの合間や、初めての失恋で泣き疲れた夜中、原稿書きで徹夜明けの朝…と折々で食べたサッポロ一番みそラーメンの味わいをよみがえらせる。

 

思い出という薬味がたっぷり

 

 ほかに、「端っこの恍惚」(鮭の皮とカマ)や、「漆黒の伝統」(海苔の佃煮「江戸むらさき ごはんですよ!」)、「幸せの配分」(崎陽軒のシウマイ弁当)、「鯛焼きのおこげ」「カレーパンの余白」「かなしきおこわ」など全21本。それぞれ、〈たべものの味には、思い出という薬味がたっぷりついています〉と、当時の出来事や時代の雰囲気を伝えている。

 

 このエッセイが胸にしみるのは、まさにその「思い出という薬味」、とくに家族との哀歓あふれる日々がそこにあるからだ。

 

 「父と舟和の芋ようかん」では、亡き父親が大好きだった「舟和の芋ようかん」をちゃぶ台で食べる様子が描かれる。〈父は渋茶を一口すすってから、芋ようかんを口に運び、しみじみ幸せをかみ締めるような声を出した。「あーっ、やっぱり舟和の芋ようかんは、うまいなぁ!」〉。昔は、芋ようかんのたたずまいや食感が苦手だったという著者が、歳月を経て、「やっぱり、舟和の芋ようかんは、うまいなぁ!」と味わうようになり、父を追慕する。

 

『いとしいたべもの』

著者の自筆イラストも楽しい

 

過去を味わい、未来を作る

 

 著者の思いが込められた文章はもちろん、自筆イラストも味があり、それもこの本を手元に置いておきたいと思う理由だ。その後、本書は文春文庫にもなり、文庫オリジナルで続編『こいしいたべもの』も2017年に刊行された。続編の「はじめに」では著者の家族の情景が紹介されている。

 

 休日の外出から帰宅した両親と子供2人。まだ明るいうちから風呂に入り、湯船から勢いよくザバーッとお湯をあふれさせて「はぁーっ! いー気持ちだ」とうなり声を上げる父、台所では母が〈野菜をスタスタと刻み、卵をカカカッと溶き、熱い鍋にジャーッ! と流し入れる音がする〉。そして風呂から上がった子供たちを、「ごはん、できたわよ~」と母が呼ぶ…。

 

 ささやかだが、きっと幸せな「日本の家族」の光景が見えてくる。そこから自分の家族に思いをはせれば、心がじんわり温かくなってくる。

 

 『いとしいたべもの』の「あとがき」で、著者は食べることについてこう書く。

 〈肉体のエネルギー補給だけではなく、私たちは過去を一緒に味わいながら、未来を作っているのだと思います〉

 この本には、明日への元気の源が詰まっている。

 

【書籍情報】
書名:いとしいたべもの
著者:森下典子
出版社(発行年):世界文化社(2006年)、文春文庫(2014年)

 

倉野武
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「わたしの一冊」第12回 森下典子著『いとしいたべもの』」への2件のフィードバック

  1. 1

    昭和の日常と陰と陽。 公害。東京タワー。新幹線。オリンピック。東大安田講堂。大阪万博。札幌オリンピック。浅間山荘事件。 Japan As No.1。 そんな時代の中で育った世代のサッポロ一番は忙しいお母さんの見方であり、笑顔を子供たちに与えていた。 単純に懐かしいのと、復興という時代の熱波と渦中の家族のありように思いをはせたり。 そんな気持ちにさせる本です。

  2. 2

    FORELSKET様 御感想、ありがとうございます。FORELSKETさんがお書きのように、それぞれ過ごしてきた時代と家族を思い出す、まさにそのよすがとなる本かと思います。ちなみに、著者の森下典子さん原作の映画「日日是好日」が西東京市の保谷こもれびホールで9月に上映されるようですね。この映画もおすすめです。

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