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『マチョ・イネのアフリカ日記』

「わたしの一冊」 第15回 西江雅之著『マチョ・イネのアフリカ日記』

投稿者: カテゴリー: 文化・スポーツ連載・特集・企画 オン 2021年11月11日

西江雅之先生、東アフリカ、スワヒリ語のこと by 斎藤 澄子

 1970年代、会社帰りに、新宿住友ビルにあったカルチャーセンターでスワヒリ語を習っていた。アフリカで話されているということ以外、スワヒリ語がどういう言語であるかも知らなかったが、面白そうだったので通い始め、数年は続いたと思う。

 子供のころから、欧米には何の関心もなく、アフリカに親和性を感じていた。理由はわからないが、さかのぼれば、小学生のころに、母が買ってくれたヒュー・ロフティングの『ドリトル先生と秘密の湖』の影響かとも思われる。

 

ペンとカメラと清澄な感性

 

 講師は西江雅之先生(1937~2015)だった。先生は、人類学者、言語学者であり、信じられないほど多様な言語を流暢りゅうちょうに操る人だった。早稲田大学を経て、カリフォルニア大大学院に入学、20代から世界を歩き、なかでも、東アフリカには若いころからたびたび滞在し、本邦初のスワヒリ語辞典を編纂した人でもある。

 40代までは定職に就かず、いろいろな学校で教鞭をとられた。身体能力にも優れ、疎開先の丹波(兵庫県)では、屋根や木の上を飛び回り、近所の人からは「ヒトかサルか」と言われていたし、体操選手として国体に出場したこともあったという。(先生の経歴は、半生記『ヒトかサルかと問われても』に詳しい)

 『マチョ・イネのアフリカ日記』は若い言語学者であった西江先生が滞在した東アフリカの生活をつづったエッセイ集である。帯には、「言語学・文化人類学の気鋭の学者が、ペンとカメラと清澄な感性で綴ったケニア・ノート」とある。書名の「マチョ・イネ=macho(目)、 inne(4つ)」は、眼鏡をかけていた先生に現地の人がつけたあだ名であった。

 多くの写真とともに語られるエピソードは、イスラムの影響の濃いインド洋のラム島での暮らし、ナイロビの下町で夜のお姉さんから部族語のキクユ語を習う話、草原で出会ったマサイ族の家族との出会いと再訪、酒場での世界中の言語学者との会話など。海や草原などの自然、街場の風景、市中の人々の表情をとらえた多くの写真も目にまぶしい。

 

私の人生を変えた「先生」

 

 エピソードのいくつかは、授業中や授業のあとで毎回のように行われた飲み会で、直接先生から伺ったものだ。先生の若いころの旅暮らし、世界の言語、現地で出会った人々……いろいろな話をしてくださった。

 文庫本になったときも懐かしさで胸が震えたが、今回、あらためて読み返してみると、クラスルームの窓から見た新宿の夜景や人々のわんわんした話し声で満ちていた居酒屋の様子、そのころの若い私、その後に滞在したナイロビやモンバサの日々が思い起こされ、感慨深いものがあった。

 西江先生は、面白い、変わった人だった。すごい人だったのかもしれないが、権威主義的なところは少しもなく、早口で世界各地の言葉を自在に操り、ハッハッハと朗らかに笑われる。めったに入浴せず、着るものも同じセーターであることが多かった。

 ものすごく尊敬していたとか、恩師であるとか、そういうことではないのだが、影響を受けたことは確かである。先生に出会わなければ、私が20代の後半にケニアに数カ月滞在することもなかったし、その後の人生も変わっていたと思わずにはいられない。

 

スワヒリ語の辞書(左2冊)と初級テキスト

当時使用していたスワヒリ語の辞書(左2冊)と初級テキスト

 

スワヒリ語の「不思議の国のアリス」

 

 スワヒリ語は、東アフリカ土着のバンツー語と、貿易風で東アフリカに流れ着いたアラブ人がもたらしたアラビア語が融合した言葉で、ケニア、ウガンダ、タンザニアなどで広く使われている。日本では、わずかに「サファリ」(旅行)、「ポレポレ」(ゆっくり)、「ジャンボ」(こんにちは)などの言葉が知られる。

 無文字社会だったので、表記はローマ字のアルファベットで、読み方もローマ字読み。発音は最後から2つ目を高く発音するだけ。私にはとっつきやすい言葉ではあった。名詞は6クラスあり、クラスに従って接頭辞が変化するが、ラテン系言語の男性詞、女性詞のクラス分けと違って、「細長いもの」「生きているもの」などでまとめられており、類推しやすい。

 スワヒリ語クラスの受講者は十数人で、私より年上の社会人が多かった。授業は、スワヒリ語の歴史、文法、会話を中心に進められた。何年続いたかは覚えていないが、終わりのほうでは、東アフリカ版「ネズミの嫁入り」や「不思議の国のアリス」(Alici katika nchi ya ajabu)をスワヒリ語で読んだ。

 

遠く懐かしき日々

 

 ひところは、夢の中でもスワヒリ語で会話し、ケニア人作家の小説を英語版とスワヒリ語版を読み比べて、「んーん、やっぱりスワヒリ語のほうが沁みるなあ」などと言っていた私のスワヒリ語も、長い間使わないできたために、すっかり錆びついてしまった。(もっと年をとったとき、いきなり”nataka pombe”(ビールをください)などと言い出して、介護職員を困惑させるかもしれないが)。

 ケニア人のマラソン選手も、どんなに辺境の出身であっても、優勝インタビューで上手に英語を操るようになっており、スワヒリ語を耳にすることはほとんどない。

 当時は、一人でダラダラと自由に歩くことができたナイロビの下町、最近の『地球の歩き方』などを読むと、「どの地域の極めて治安が悪い。昼間でも車を使い、一人歩きは危険」などと記されている。

 この本の表紙を見ながら、西江先生が体験した景色、私が触れた東アフリカの日々が、いずれも遠くなってしまったとしみじみ思うのである。

 

【筆者略歴】
 斎藤澄子(さいとう・すみこ)
 出版社勤務、福祉関係の専門相談員を経て、現在は福祉施設の調査に従事している。社会福祉士、精神保健福祉士、介護支援専門員。ひばりタイムスに「シニアライフの知恵・介護編」を連載した。

 

【書籍情報】
書名:マチョ・イネのアフリカ日記
著者:西江雅之
出版年:1979年
出版社:新潮文庫(品切れ状態)

書名:ヒトかサルかと問われても~〝歩く文化人類学者〟半生記
出版年:1998年
出版社:読売新聞社(品切れ状態)

 

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