東海道五十三次

「わたしの一冊」第17回『世界名画全集』別巻『広重 東海道五十三次』『広重・英泉 木曾海道六十九次』

投稿者: カテゴリー: 文化・スポーツ連載・特集・企画 オン 2022年1月13日

浮世絵の魔力 by 飯岡志郎

 手元に1冊の、いや2冊の古ぼけた画集がある。平凡社刊「世界名画全集」の別巻「広重 東海道五十三次」と「広重・英泉 木曾海道六十九次」。昭和35年4月12日と36年3月15日発行とあるから、60年以上前の物だ。言うまでもなく有名な江戸時代の浮世絵風景画集で、今ではそのたぐいの出版物は星の数ほどもある。でも、そのころでは新鮮だった。1冊380円、現在の価格に直すと3000円程度か。決して安くはないが、当時の印刷技術を駆使したカラーでオリジナルの雰囲気をそれなりに伝えており、一般のサラリーマンでも手に入る意欲的な出版事業だったと想像する。

 

すごろくのような疑似旅行体験

 

 私は小学生で、父親が発行のたびに1冊持ち帰っていたのを手に取ったのが出会いだった。このシリーズ、「原始の絵画」を手始めに西洋、東洋、日本の絵画を25巻と別巻にわたり順次刊行していた。父は出版関係の仕事をしており、おそらく業界の知り合いから無料で(?)提供されていたのだろう。当時こんな散財をする余裕も趣味も持ち合わせていなかったに違いない。

 それまで各巻をパラパラ見ても特別な興味を呼び起こさなかった(西洋絵画のヌードにはドキドキしたが)私が、なぜかこの浮世絵の巻には引き付けられた。もちろん芸術的価値が理解できようはずもなく、ただ、色使いが美しく、旅情が漂い、人々の息遣いが生き生きと表現され、すごろくのような疑似旅行体験ができることにとりこになった。

 暇さえあれば引っ張り出して眺めているうちに、東海道五十三次の図柄が小さなマッチ箱のデザインに使われていることを知った。「何とか集められないものか。そうだ、近所のタバコ屋に1個5円で売っている」。小遣い銭を握って店に走り、いぶかしげな顔をする店番のおばさんに頼みこんでマッチあさりを始めた。最初はどんどん集まるが、出発地の日本橋と到着地の京都を含む全五十五枚をそろえるのは至難の業だ。

 道に落ちているマッチ箱まで拾って、ついにそろえ切った時のうれしさはぼんやり覚えている。1枚1枚はがして並べて貼り、自分なりのコメントを記したノートは、今から思えば夏休みの自由研究ぐらいにはなったと思うが、当時はそんな色気もなく、ひたすらひそかな趣味で満足し、今度はいつか自分の足で訪ねる夢を膨らませていた。こう書くとずいぶんませた子供に思われそうだが、ガムのおまけのプロ野球選手カードも同時に集めていたので、まあまあ普通だった。

 ちなみにネットによると、永谷園の「お茶づけ海苔」にも1965(昭和40)年から「東海道五拾三次カード」が入っており、97年に打ち切られたが、リクエストで2016年に復活したそうである。

 

いざリアル旧街道へ

 

 それからも浮世絵好きは続いていたが、あくまでも目と想像で楽しむだけだった。リアルな旧街道を歩く機会はふとしたことからやってきた。2004年秋のある日、仕事を早めに切り上げて会社を出たものの夕暮れまで数時間あった。「久し振りに少し散歩するか」と考えた場所は旧東海道の道筋と重なる新橋から品川に至る国道15号線(第一京浜)。大量の車が行きかう、旧街道の面影のかけらもない道をしばらく南にたどると旧品川宿に当たる商店街に行き着いた。歌川広重の描く宿場の家並みが一瞬重なり、私の心が決まった。

 それから間もないある日曜日、日本橋上からあらためて第一歩を踏み出す私の姿があった。53歳、外勤の記者として過ごしてきた休日も昼夜の区別さえない日々からはやっと少し解放された時期でもあった。

 それ以来17年、休日を見つけてはできる限り忠実に旧街道をたどり、宿場から宿場へ歩き継ぎ、東海道を踏破したほか、途中長野に勤務したのを奇貨として中山道、甲州街道、北国海道、善行寺往還、日光街道などを手当たり次第に挑戦した。原則一人。ただし旅先での出会いは極力大切にした。元来寂しがり屋である。にぎやかに語らいながら歩くグループは避けるが、一人、二人で黙々と歩く同好の士とはあうんの呼吸で同行することもあった。偶然出会い、中山道の最難所、和田峠を共に越えることになった若者と下諏訪宿に無事到着を祝ってビールを酌み交わした時のことだ。彼は結婚間もなく妻を病気で亡くした傷心を癒す旅であることをぼそっと明かした。

 

浮世絵

広重 木曽海道六拾九次之内 洗馬

 

洗馬宿にて

 

 浮世絵の世界を実際に旅して気付いたことだが、広重は風景画家といいながら現実の風景を写すのではなく、むしろ絵筆を使った詩人だった。その傾向は当時大人気を博した東海道よりも、その後、版元に担ぎ出されて制作に参加したとされる木曽海道(中山道)の諸作品にその傾向が強い。中でも最高傑作とされるのが第三十二宿「洗馬(せば)」。現在の長野県塩尻市に当たり、奈良井川の夕景を描いた一枚だ。

 この絵に添えた浮世絵研究家・楢崎宗重氏の解説が胸を打つ。「暮靄(ぼあい)をあけに染め、団々たる銀月がさしのぼって荒寥たる水辺の柳唐にかがやく。乾坤一てきの静寂にかなでるものは、幾山河くだす筏(いかだ)の舟うたである。芦荻(ろてき)を分けて舟人も声なくくだる。構図といい色調といい、この水一すじにいのちをかけた山賤(やましず)の人生の描出といい、筆もことばもおよびがたい」

 

奈良井川

洗馬を流れる奈良井川(2007年春撮影)

 私もこの場所を訪れた。果たして何の変哲もない河原の風景だ。いくら想像をたくましくしてみても広重の名画に通じるイメージは浮かばない。しばし目を閉じて瞑想しつつ思いついた。広重はここをスケッチしたわけではない。これは寂しくも美しい自然を背景に、時のうつろいと、人のいとなみと、切ないばかりの旅情を川の流れに託した心の風景に違いない。そう考えると、水音に交じって木曽節がかすかに聞こえた気がした。浮世絵の魔力かもしれない。

 

【筆者略歴】
飯岡志郎(いいおか・しろう)
 1951年、東京生まれ。西東京市育ちで現在は東村山市在住。通信社勤務40年で、記者としては社会部ひとすじ。リタイア後は歩き旅や図書館通いで金のかからぬ時間つぶしが趣味。

 

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