「追悼展」の集い

不条理を問い続けた生涯に学ぶ 元BC級戦犯・李鶴来さん追悼写真展

投稿者: カテゴリー: 暮らし オン 2021年12月9日

 西東京市在住の元BC級戦犯・鶴来ハンネさんが今年3月、96歳で亡くなりました。第2次世界大戦後にBC級戦犯として死刑判決を受け、その後日本政府に救済と名誉回復を求めて活動してきました。その思いと足跡をたどる追悼写真展が11月後半、千代田区立区立九段生涯学習会館で開かれました。李さんらの「同進会」を応援する西東京市民の会のメンバー、谷川よしひろさんの報告です。(編集部)(写真は「追悼展」の集い。金貴子さん提供)

 

1 写真展挨拶

 「日本軍の捕虜政策等の結果、李鶴来さん達、朝鮮出身の捕虜監視員は戦後に罪に問われ、148人もがBC級戦犯として処罰され、内14人が死刑になりました。

 1952年の「サンフランシスコ講和条約」発効後は「日本人」でなくなったにもかかわらず、引続き刑は執行されます。他方、日本政府の戦後補償措置からは外国人として排除され続けて現在に到っています。

 釈放後も日本に留まらざるを得ず、70年間も不条理を訴え、名誉回復と補償を求めた李鶴来さん(1925年朝鮮半島生)が今年3月、96歳でその生涯を終えられました。李鶴来さんの生涯を振返り、70年間も不条理を問い続けた歩みから私達自身が学び、考える写真・パネル展です」

 ◇主催:千代田・人権ネットワーク◇共催:同進会&「同進会」を応援する会 の案内文より引用。11月22日~25日 千代田区立九段生涯学習会館2F「九段ギャラリー」。

 

2 展示資料・トーク

 内容は、展示(パネル21枚、写真47枚、手帳、手記、関連書籍など全部で100点以上)、関連DVD上映、関係者によるトーク(大阪、長野からオンライン参加)、200-300名の参加者が李鶴来さんを偲びました。

◇主な展示資料
・李鶴来さんの手帳:
 2001年から2017年まで7冊(巻末に経歴、運動の推移、条理裁判経過、遺骨送還、自殺・病死、韓国同進会、同進会運動方針、AYA交通、家族予定、BC級戦犯人数など、毎年繰返し書く)。
・『私の手記』:
 1952年にスガモプリズンで書いたもののコピー。裁判の証拠として提出。
・今井知文さん(1960年に私財を投じて李さんたちを支援)の色紙:
 「国破れて友情湧く」など計10枚。
・同進会資料:
 1955年4月23日大臣宛て請願書(於巣鴨刑務所)国家補償、差別待遇撤廃、出所後一定期間の保障など。
 1955年5月27日鳩山首相宛請願書 仮釈放では郷里に帰れず、出所後の家・職・金なし。住宅仕事斡旋。石橋内閣、岸信介首相、池田勇人宛請願書や要望書、『同進会を応援する会通信』ほか。
・明長寺資料:
 チャンギ―刑務所で李さん達の教誨師だった伊藤京子さんの祖父関口亮共氏の手記、資料。
・展示図書:
 『裁判資料 訴状、本人尋問調書第1~5集、証人内海愛子・阿部宏』『朝鮮人BC級戦犯記録』『教誨師関口亮共とBC級戦犯』『戦後はまだ…加害と被害の記憶』『戦争とバスタオル』など8冊。

◇ギャラリートーク参加者(日付順)
 李鶴来さんの活動を支えてきた人たちがマイクを握った。
 内海愛子同進会を応援する会代表、泉健太衆議院議員、経済学者田中宏氏、「国家補償」弁護団長今村嗣夫氏、チャンギ―刑務所教誨師関口亮共氏の孫伊藤京子氏、元BC級戦犯者二世畠谷吉秋氏、元北海道新聞記者関正喜氏、応援する会大山美佐子氏、同進会副会長朴來洪氏、猪飼野セッパラム文庫主宰藤井幸之助氏(オンライン参加)、李鶴来さん甥姜秀一氏(オンライン参加)、フォトジャーナリスト山本宗補氏(オンライン参加)、応援する会有光健氏、毎日新聞記者栗原俊雄氏、姜福順さん(李鶴来さん夫人)、文筆家金井真紀氏・ジャーナリスト安田宏一氏、石毛瑛子元衆議院議員、円より子元参議院議員、塩村あやか参議院議員ら。

 

3 現在も国策に加担する私たち

 戦前の日本が韓国を含めたアジア太平洋諸国を侵略したのは国策だったと誰もが知っています。韓国・朝鮮人元BC級戦犯者の人達に未だに謝罪しないことも国策です。一部の行政司法立法者の仕業ではなく、私たち自身がこの国策を認め、許しています。過ぎ去った時間を歴史と言うのではなく、今・ここが紛れもない歴史です。2021年12月の今が歴史であり、そこを戦前から続く、或る国策が闊歩しています。

 李鶴来さんは祖国(国籍)を奪われた状態で生まれ、軍属に徴用され、極度の栄養失調で痩せさらばえた人たちを鉄道建設で酷使するための捕虜監視員にさせられ、それ故に戦犯にさせられ、スガモプリズンに収監され、国が戦後補償をしなくて済むように日本国籍を剥奪され、在日韓国人として生き、戦後補償の権利を奪われたままでした。

 この過酷な状況下で70年間も条理を求めて闘い続け、仲間の人たちが逝き、一人になっても闘い貫きました。何と素晴らしい人だろうか。この巨人の勁さ、誠実さ、優しさには言葉が見つからない。李さんに接することができたのは私の誇りです。

 

4 李鶴来さん

 著書「韓国人元BC級戦犯の訴え-何のために、誰のために」の最後を次の言葉で結んでいます。

 「私の頭のなかに常にあるのは、死んだ仲間、その中でも刑死者です。刑死者は日本政府からはこれまで何ら顧みられていません。(略)日本政府は立法を促す司法の見解を真摯に受け止め立法措置を講じるべきです。(略)これは理不尽な要求でしょうか? これはBC級戦犯者の私から、日本のみなさんへの問いかけです。日本のみなさんの正義と道義心に、改めて強く訴えたいのです」

 ここには、普段は見せない李さんの姿があります。戦争中のこと、サンフランシスコ講和条約のことは今の私たちには手が届かない問題です。しかし立法措置は2021年に生きる私たち自身の宿題であり、課題ではなく20年以上前からの宿題なのです。

 1991年、李さんはオーストラリアで開かれた泰麺鉄道に関する国際会議に出席して、元捕虜のダンロップ中佐たちに謝罪しました。第二次大戦のオーストラリア兵士の戦死者の1/3が泰麺鉄道建設で亡くなったといいます。日本人の多くはその事実を知りませんが、オーストラリアの人たちには実際の悪夢です。李さんはそこに行って詫びた。赦さない人もいた中で、ダンロップ氏は赦してくれた。彼は李さんの死刑判決にもサインしませんでした。

 李さんはそこに行くまで迷いに迷われ、内海愛子さんはその背中を押して同行したと聞いています。李さんの勇気と内海さんの助言、この二つがあいまって李さんは自らの過去と向き合い謝罪できたのです。

 

5 これからの活動

 私たちは「外国籍元BC級戦犯者と遺族に対する法律」の国会成立を目指します。そのために署名、「写真展、講演会」(来年1月13,14日に武蔵野プレイス)を続けます。「写真展、講演会」は西東京市内の全公民館で行なったので、他の地域にも広げたいと考えています。

 李さんは今井知文氏、教誨師で住職の田中日淳氏、内海愛子さんを三大恩人と書いています。私たちの周りにはこのように素晴らしい方がいらっしゃいます。

 

恩人の今井知文氏と色紙(増田弘邦さん提供)

追悼展に集まった人たち

追悼展に集まった人たち。中央が李鶴来夫人の姜福順さん(金貴子さん提供)

 

 李さんはバトンを託しました。バトンは年齢や国籍、障がいに関係なく渡されています。年寄りは若い人に、若い人はもっと若い人に、そして感受性豊かな子どもたちに。若い人が年寄りに渡すこともあります。2013年発行の実教出版社の教科書「高校日本史」に李さんが載っていることを今回の資料展で知りました。

 仲間と自分のために、不条理な国家と誠実に闘い続けることに一生をささげた李鶴来さん。その宿題を解決できる社会を皆さんと一緒に作って行けることを願っています。老いも、若きも、幼い人たちも一緒に。

李さんの 掲げし条理なかえんと
骨を抱きて 無窮花むくげ見上げん

 

 応援する会の活動を通じて私が気が付いたことを一言で言いますと、 <過去を知り、今を問うことが未来を作る>ということです。

 

【著者略歴】
 谷川よしひろ(たにがわ・よしひろ)
 1992年から2005年まで西東京市、現在東久留米市。60代で友人朴來洪(パクネホン)(同進会副会長)氏から紹介されて参加。「同進会」を応援する西東京市民の会会員。

 

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