「ふくしま30年プロジェクト」10年間の取り組み 市民放射能測定所「あるびれお」が初のオンライン講座
東日本大震災による東京電力福島原子力発電所事故から10年余り。広がった放射能汚染を市民の手で測定してきた西東京市の市民組織「あるびれお」が初のオンライン講座を開きました。福島県のNPO法人ふくしま30年プロジェクトの代表らを講師に迎え、まだ続く汚染の実態やプロジェクトの意義を学びました。あるびれおメンバーの水野幸子さんの報告です。(編集部)(写真はオンライン講座の画面から)
2月13日、にしとうきょう市民放射能測定所あるびれお主催の第1回オンライン講座が開催され、約40人の市民らが参加しました。
講師にお迎えしたのはNPO法人ふくしま30年プロジェクトから理事長の佐原真紀さん、事務局長の清水義広さん、理事の平井有太さんです。テーマは「ふくしま30年プロジェクトの10年間の取り組み」でしたが、それぞれ三人の講師の方々の思いが詰まった中味の濃いお話が聞けて、とても有意義な午後を過ごすことができました。
今回初めてわかったことがあります。ふくしま30年プロジェクトの意味です。セシウム137の半減期が30年ということから、30年は子どもたちの未来を見守っていきたいとの思いをこめたそうです。佐原さんは10年経ってしまった今、これから先20年後の子どもたちがどうなっているのか、しっかり見届けたいとも話されていました。
佐原さんは震災当時、卒園を控えた幼稚園児のお母さんでしたが、すべての子どもたちへのまなざしがなんとも優しく感じられる方でした。
子どもたち自身が空間線量計を持ち、自分の背の高さより下の方の砂利や草むらの所の方が線量が高いことを実感すると、おのずから子どもたちはどこで遊んでよいのかわかってくるそうです。また実際に食品を細かく刻んで、容器にぎっしり詰めて放射能を測るという体験もしてもらうなど、まさに生きた教えの場を作ってきました。
30年プロジェクトには放射線値を測るAT機、ゲルマニウム半導体検出器、体内の放射線値を測るホールボディカウンター、空間線量を10センチ、50センチ、1メートルの高さで測れるホットスポットファインダーなどが揃っているそうです。
事故当時はホールボディカウンターに申し込みが殺到し、やむなく子どもと妊婦さんを優先に対応したこと、着てきた洋服や制服のままでは高い数値が出てしまうので、専用の測定着に着替えてもらうようにしたこと、海外からの取材の方がいきなり押し寄せたことなど、10年前の混乱した様子がお話から想像できました。
清水さんはまさに測定の職人という感じの方で、現在は検査数も減ってきたこともあり、ここ2、3年はヤフオク、メルカリ、楽天市場などネット上で個人売買が行われる山菜や野生のキノコの測定に力を入れているそうです。
10年が経った今でも、岩手から長野まで基準値超えのコシアブラや野生のキノコなどが広く分布しており、あらためて原発事故の汚染の実態に驚かされます。そして検査結果を保健所や県庁、マスコミなどに情報提供し、再検査をすすめたり、新聞などに掲載してもらったりして、私たち消費者に注意を促しています。
清水さんは情報が多いことは考えないことにつながるのではないか、自分の考えや感じ方、自分の皮膚感覚を持つことが大事だと話されました。
平井さんは東京生まれのアーティストでフリーライターですが、2012年から2015年まで福島土壌スクリーニングプロジェクトのもと、福島大学、地元のJAや生協と協力して9万2千余りの地点の土壌放射能検査に携わりました。
平井さんの言葉です。
「まず測ることが大前提」
「自分たちで測る」
「測定そのものが人間の表現である」
行政が根っ子の所をやらない。それなら自分たちでやろう。この日本の現状を変えるのはわたしたち。熱い心を持った方でした。いろいろな方とタッグを組み、アートで世界に発信している方でもあります。チェルノブイリや福島原発の写真を撮り続けてきたカメラマンの中筋純さんがお仲間だと知ったのも私には感激でした。
あるびれお共同代表の山田真医師との対談ではいろいろな意見が出ました。10万人に一人か二人と言われている甲状腺がんが、福島県内で300件ほど見つかっているのに原発事故由来とは考えにくいとか、スクリーニング検査で全員を調べるから増えるのだという過剰診断論もあるという佐原さんの報告も踏まえて、山田医師は、あることをみんな無いことにされてしまったことへの反発が今おきていると話しました。また、小児甲状腺がんの患者である6人の若者たちが東京電力を訴える裁判に立ち上がったことなども取り上げて、山田医師は医療裁判の難しさを話してくれました。
そして基準値という考え方は、そもそもアメリカの原発作業員の労災認定のために設けられたものであり、どこまでが安全かという線引きはとても難しいという話もありました。
初めの挨拶で山田医師が、2011年6月から何度も福島に通ったのに何もできなかったので残念な思いですと語ったのに対し、佐原さんはまわりに避難する方もいた中、ここで子育てをしていく不安なお母さんたちの話を聞き、相談にのってくれた山田先生の存在は大きかったと話されたのが印象的でした。
最後に佐原さんの言葉です。
「子どもたちと一緒に声をあげられる人の裾野を広げながら、福島が、この国が、健全な暮らしを回復するまで見守っていくつもりです」
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あるびれおについてひとこと
原発事故から10年が経って、土壌の汚染が続いているところもあります。まだまだ油断はできません。あるびれおでは検体の土を提供してくださる方や、汚染物質を吸着するゼオライトを設置していただける方を募集しています。どうぞ、お声をかけてください。
(写真は、あるびれお提供)
【筆者略歴】
水野幸子(みずの・さちこ)
1948年10月27日、福島県石川郡石川町生まれ。1998年4月より西東京市在住。主婦。あるびれお測定員。
西東京市の汚染は、その後どうなっているのでしょう。喉元過ぎれば忘れてしまう私ですが、ずっと測定されてきたアルビレオに頭が下がります。それゆえに、今を語って頂きたいとおもいます。
あるびれおの活動に関心を持っていただき、ありがとうございました。
西東京市は福島市から離れていますが、放射能に汚染されています。10年間で野菜や果実のセシウム値は低下してきましたが、土壌の汚染は今も続いているので、地面に座り込んで遊んだり、どろんこ遊びが好きな子どもたちの健康が心配されます。掃除機に集めた埃の放射能値を測ったら室内の汚染が分かり、、福島の皆さんは除染した土のフレコンバッグに囲まれていることに想像が及びました。あるびれおのホームページをご覧ください。https://west-tokyo-albireo.com