「映画が生き始める」現場に立ち会う 孝壽聰監督三部作上映会

投稿者: カテゴリー: 暮らし オン 2016年5月26日
上映会チラシ(表)

上映会チラシ(表)

 インパール作戦の帰還老兵を映す『水筒と飯盒』(2005)。ヨーロッパに禅を広めた禅僧弟子丸泰仙と道元の主著「正法眼蔵」を伝える『華開世界起』(2011)。前衛画家池田龍雄の制作現場を記録した『The Painter』(2015)。これら3作品を1日がかりで上映する試みが都内でありました。療養中の孝壽聰監督に代わり、知人友人らが世に問う作品群です。上映会の経緯や内容について、交流のある映画監督、大澤未来さんの寄稿を掲載します。(編集部)

◎映画が私たちを見ている
 大澤未来(映画監督)

 快晴のゴールデンウイーク真っ只中の5月1日、新宿区にある四谷区民センターの多目的ホールにて「孝壽聰監督三部作上映会」が日本映像民俗学の会の主催によって開催されました。

上映会チラシ(裏) (クリックで拡大)

上映会チラシ(裏)
(クリックで拡大)

 孝壽 聰こうじゅ・さとし監督は長年、自身が代表である博物館映像学研究所を拠点に、国立歴史民俗博物館や江戸東京博物館、各県立、市立博物館に展示、収蔵される映像記録作品を制作してきた方です。王子田楽をはじめとして全国各地の田楽の記録や、船大工の技法記録、東京都中央区佃の住吉神社の祭礼など、日本の祭礼や民俗、芸能、伝統技法などを映像に遺してきました。

 私は、十数年前に孝壽監督と知り合い、同じ記録映像制作の道を歩んできました。私が知り合った頃には、既に博物館映像学研究所を閉める時期にあって、同じ撮影現場を体験する機会は残念ながらありませんでしたが、折に触れて助言をいただきながら、師匠と不肖の弟子という関係を続けさせてもらってきました。

 今回の上映会は、2015年の1月に転倒して頭を強く打ち、体半分の麻痺という障害を負い、意識はしっかりと持ちながらも言葉と文字による意思疎通が困難なために、現在リハビリ療養中の孝壽監督を励まして元気づけようと、長年所属していた日本映像民俗学の会と友人、孝壽苑子夫人の企画で開催されました。

 三部作として上映された作品は、ビルマのインパール作戦から生還した老兵士達が現代に戦場を現出させ、亡き霊を弔う『水筒と飯盒』(2005)。道元禅師の「正法眼蔵」と禅をヨーロッパに伝えた禅僧弟子丸泰仙をモチーフに、日本とフランスで撮影された『華開世界起』(ピエール・ブシュー共同制作)(2011)。世界的な前衛画家である池田龍雄氏の制作現場から、人間存在と表現する事の深淵を見つめる『The Painter』(2015)です。

 これらの作品は、孝壽監督が博物館映像学研究所の活動を停止させる前後に、自身の人生の集大成として自主制作という形で一切外部からの干渉なしで撮影編集されたもので、『水筒と飯盒』は各地で上映がなされてきたものの、『華開世界起』はフランスでの上映のみ、『The Painter』 は関係者での試写に留まっており、今回の上映会が三部作の全貌を初めて目にする機会となりました。

 当日は、丸一日かけて上映するという長丁場にも関わらず、幅広い分野に造詣が深く多くの分野に友人がいる孝壽監督の作品を観ようと沢山の方々が詰めかけ、100人を超える来場者となりました。

 孝壽監督は病院で療養中の為、上映会に立ち会う事はできないので、長年の親しい友人で仕事仲間である筑波学院大学客員教授で民俗学者である坂本要(さかもと かなめ)さんが随時解説を加えながら上映会は進行されました。坂本さんは、それぞれ独立した作品にも見える三作品に共通するテーマとして、道元禅師の「正法眼蔵」の「画餅」に書かれている「画に描いた餅は飢えを充たさないと言われるが、そうではなく画に描いた餅に真実があって、そこに全てがある」という言葉がキーワードだとした上で、「撮影された映画とは何か」「映画で表現する事とは何か」「映画を映画によって考察する映画」ということが、三部作を通して表現されているのではないかと解説し、上映会をスタートさせました。

会場は熱心な観客でほぼ満席(四谷区民ホール)

会場は熱心な観客でほぼ満席(四谷区民ホール)

 

 監督が療養中である事と、初めて三部作を一挙に見る機会という事もあって、会場には独特の緊張感が漂い、多くの観客が暗闇のなか息を詰めながら作品と向かい合っていました。『水筒と飯盒』上映後の会場では、既に複数回作品を見てきた観客からも、「現在の日本の状況が作品に近づき、戦場が眼の前に迫ってくるような錯覚を感じた」という意見や、「実際の戦場であるビルマでの撮影部分を全て使わずに、老兵の日常生活の場である畑や藪で戦場を再現する事の凄味を再発見した」という意見がきかれました。

 2作品目である『華開世界起』からは、フランスの若い映像作家であるピエール・ブシューとの共同制作という形をとっており、上映前には、フランスの著名で独創的な文学賞であるドゥマゴ賞を受賞してフランス現代文学界を代表する作家であるクリスチャン・ボバン氏から、作品に宛てた美しい手紙が朗読されました。その中でボバン氏は「見る度に映画は益々その新しさを増すのです。それ程この映画を私は愛しました。」と言及されました。事実上日本初上映となったこの作品のキャッチコピーとして書かれた「禅についての映画ではない 映画自らが坐禅する」という難解な言葉を手掛かりに、観客はそこで語られる言葉と、様々な植物や昆虫、巧みに設計された音響などに、五感を研ぎすませて対峙する事を余儀なくされました。見終わった後にも、自分の心と対話し続ける事を促す様な、深い魅力をたたえた作品という意味では、まさしくボバン氏が言及したように、華開き世界が起こる事を見る度ごとに目撃する作品でした。

 3作品目である『The Painter』の上映前には、『華開世界起』にも登場し、この作品で主役として登場する画家の池田龍雄氏が登壇しました。作品の冒頭に提示される「なぜ人は絵を描くのか なぜ人は戦争をするのか なぜ人は火を使うのか」という命題について、「なぜという事はなく、絵に描かされているようだ」という池田氏の発言を受けて作品の上映が開始されました。上映後には、「映画と私と人生」というテーマで、池田氏が絵を描く事と映像に撮られる事について話されました。『華開世界起』について、「存在の謎にせまった作品だと感じている」として、「自分の絵を描く行為は自己を開放する行為であり、精神を開放する行為であり、いつからか自分の中の宇宙と、宇宙の中の自分がテーマとして浮上して来た」と話されました。この話しは、直接的に今回の三部作を通して孝壽監督が描き出そうとしている「表現する事の謎」と共鳴しているように感じられました。

 上映後には参加者から病院にいる孝壽さんへのビデオメッセージが寄せられました。その中には、「人間の深い所を映像によってまさぐっていたと感じた」「とてもリリシズム溢れる映画で感激した」という意見と共に、元気になってぜひ次の作品も見たいという激励と励ましの意見が多くきかれました。上映会後の懇親会にも多くの観客が参加し、映画に描かれた世界について終わる事の無い対話が、そこかしこで展開されていました。早くも次の上映会を企画したいという話しも出ていたようです。

 上映会の手伝いをさせてもらった私としても、今回の上映会の反響が今後の作品の展開に繋がれば、これほど嬉しい事はなく、1度よりも2度目、2度目よりも3度目と、鏡の様に様相を変化させ一筋縄ではいかない孝壽さんの映画作品の尽きない魅力と独創性に、あらためて出逢い直した機会となりました。上映後の反響を受けて、療養中の孝壽さんも僅かながら元気を取り戻している様子で、回復への微かな希望を感じています。

 完成して観客に届けられた瞬間から映画は魂を吹き込まれ、映画自らが生き始めると言われています。孝壽監督が生み出した映画達が、その華を開かせ世界を起こす、その現場に立ち会えた事は、映像制作者として生きる私にも大きな喜びとなりました。願わくは、多くの人々に孝壽聡監督作品と出逢うチャンスが訪れますように。

 

【筆者紹介】
大澤未来(おおさわ・みらい)
 1981年生。東京都江戸川区出身。日本大学芸術学部写真学科中退。NPO映画美学校ドキュメンタリーコース修了。記録映画、民俗誌映像、テレビ番組、インスタレーション映像の制作、演出、撮影に携わる。主な作品に『帰郷-小川紳介と過ごした日々-』(監督/2005)。『NHK円空12万体の仏の願い』(構成・演出/2009)。『隣ざかいの街-川口と出逢う-』(共同指導・演出/2010)。『馬と人間』(監督/2013)。『未来へわたす-東日本大震災から5年-』(構成・演出/2016)。

 

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【連絡・問い合わせ先】
 孝壽聰監督作品DVDの購入と自主上映については、以下の連絡先にメールか電話でお問い合わせください。
 『水筒と飯盒』(100分) 3000円(税込)
 『華開世界起』(93分) 3000円(税込)
 『The Painter』(43分) 2000円(税込)※2016年6月末DVD化予定
メール:0114ccve@jcom.home.ne.jp
電話:090-1106-2509(坂本要・さかもとかなめ)

 

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