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「平和の日」に空襲犠牲者の慰霊祭 駅前ビルで記念式典も

By in 歴史・文化 on 2017年4月12日

 

会場となった境内はさくらが満開(総持寺)

 「西東京市平和の日」の4月12日午前、市内の田無山総持寺境内で、平和観音慰霊祭が行われた。懸案だった観音像の屋根が先月完成。「平和観音保存会」の小林達哉会長ら新体制による初めての式典となった。

 72年前の1945年(昭和20年)のこの日午前11時ごろ、米軍機の空襲で田無駅前を中心に多くの犠牲者が出た。戦後駅前の爆心地に観音像が建立され、駅前開発に伴って1992年(平成4年)に総持寺の山門脇に移転。法要が毎年行われてきた。

 前日までの雨が上がり、花冷えから一転、汗ばむほどの好天に恵まれた。参道を挟んで向かいは、古木のしだれ桜が満開。テント内には関係者ら約80人(主催者)が集まった。

 

 

 初めに挨拶した丸山浩一市長は「72年前、田無駅前の爆撃で数十人が亡くなりました。この慰霊祭を通じて平和を祈ります」と述べたうえで、「西東京市はWHOの健康都市連合に加盟しましたが、WHOの憲章にも平和と健康が掲げられています。市民が健康に暮らすなかで平和につなげていく。そういうなかでの慰霊祭だと思います」と付け加えた。

 小林新会長は、前会長からバトンを渡された経緯に触れ、「72年前の爆撃で130人を超える犠牲者が出て、ここ総持寺に約90人ものご遺体が安置されたと聞いています。駅から少し離れた所沢街道沿いも間もなく爆撃され、母方の祖父母を喪いました。そんなこともあり、昨年亡くなられた(前会長の)浜野(重男)先生から『やってくれ』と言われ(会長職を)受けることになりました。時間が経つと記憶が薄れていきますが、決して忘れてはならない平和に対する思いを、これからも引き継いでいきたいと思います」と語った。

 今春完成した観音像の屋根について小林会長は「事務局を担当していた高崎三成さんが昨年初め亡くなりました。高崎さんは長年、屋根をかけたいと願っていた。その思いをかなえられて、誇りに思います」と話した。

 やがて地域の女性たちがご詠歌(平和観音讃仰和讃)を唱えたあと、読経が響くなか、参列者が次々と、霊前に白菊を手向けた。

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イベントのチラシ

 この日の午後、田無駅北口のアスタビル2階のセンターコートで「平和の日」記念式典が行われた。2001年1月に西東京市が合併で誕生した際、田無駅一帯が爆撃され多数の犠牲者が出た4月12日を条例で「西東京市平和の日」と定め、「世界の恒久平和を願う市民の精神に基づき、平和施策を市民の協力と参加のもとに推進する」と決めた。

 黙禱の後、丸山市長が挨拶し、合併後に「非核・平和都市宣言」が生まれ、広島平和の旅やピースウオークなど多くの平和事業を重ねたことに触れながら、「72年前の出来事を次の時代、次の子どもたちに伝えていかなければならない」などと語った。

 市とともにこのイベントを共催する「非核・平和をすすめる西東京市民の会」の鈴木治夫会長は「世代が代わり、平和をどう維持し、実現するのかが大事な時代になった。戦争を起こさないために、私たち一人ひとりが何をしないといけないか、何が出来るかを考えたい」と最近の世界の動きに触れながら言葉を継いだ。

 そのあと、市内在住の黒木修さんが紙芝居「タイムスリップ」を上演した。原作は、児童文学作家・画家の高橋宏幸さんが田無の空襲を元に書いた作品。最後に、西東京市の戦災の爪跡を記録した映画「忘れてはいけない記憶 西東京市にもあった戦争」を上映した。

 会場には空襲・爆撃の様子を図解したり、当時の写真をパネルに収めたりした展示が並び、投下された1トン爆弾の模型も陳列された。

 今週末の15日と16日も映画上映やイベントが予定されている。パネル展示は16日まで。
(北嶋孝)

 

【関連リンク】
・西東京市平和の日(西東京市Web
・西東京市平和推進に関する条例(西東京市Web 例規集
・田無平和観音慰霊祭 2014年4月12日 総持寺にて(西東京TV
・Constitution of WHO: principles(WHO

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