銅像歴史さんぽ・西東京編 3「しーた・のーや」
下野谷遺跡をPRする縄文人

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2019年12月12日
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下野谷遺跡をPRするキャラクター像。左から父親「ぎん」、「しーた」、「のーや」、母親「あん」=西東京市の東伏見駅南口(2019年8月撮影)

 西東京市東伏見の東伏見駅前に、市が昨年3月に設置した「縄文モニュメント」がある。台座の上に乗っているのは、縄文人をモチーフにしたキャラクター「しーた」と「のーや」やその一家の像。駅南口側に3カ所、北口側に1カ所ある。縄文時代中期の大集落跡が見つかった東伏見の下野谷したのや遺跡をPRする公式キャラクターだ。

 

出土した土器も銅像に

 

 「しーた」は狩りの練習をしている男の子、「のーや」は土器作りの勉強を始めた女の子の設定。いずれもかわいいキャラクターだ。「しーた」と「のーや」には、両親、祖父母、兄、姉、友達もいる。「したのやムラ」に住む一家というストーリー性もある。

 銅像はいずれも小さいが、「のーや」の腕輪など細部まで精巧に作られている。東伏見駅南口を出るとすぐに弓を持つ「しーた」像。南口ロータリーには「しーた」と「のーや」に加え、両親の計4人の像が並ぶ。駅の北口には「しーた」と「のーや」に加え、中央に土器の像が置かれている。実際に遺跡から出土した土器をモデルにする。他地域との人や物の交流をうかがわせる、遺跡を象徴する出土品で、手の込んだ銅像だ。

 

「しーた」(左)と「のーや」の像。中央は出土品をモデルにした土器の銅像
=東伏見駅北口(2019年8月撮影)

 

 南口から遺跡方向に少し歩くと、生協店舗前の歩道にもう1体。土器を持つ「のーや」の像だが、街路樹の下で台座も低く、おそらく気が付く人はほとんどいないだろう。台座に「下野谷遺跡まであと300m」とある。

 駅から徒歩約7分。銅像に導かれ「下野谷遺跡公園」に着くと、がっかりする。縄文時代の遺跡だと感じさせてくれるのは、竪穴住居骨格復元模型や土坑復元模型ぐらい。しかも竪穴住居はなぜか3分の2の大きさで復元されていて、あまりにも中途半端。公園の隣接地は「史跡 下野谷遺跡」の看板と説明板が立つだけの雑草の茂る空き地が広がる。

 

整備計画が動き出す

 

 下野谷遺跡は石神井川南岸の台地を中心に約13万4000平方メートルに及ぶと推定され、今から4000~5000年前の縄文時代中期には約千年続いた南関東最大級の大集落があったとされる。1970年代から発掘調査が続けられ、集落は墓とみられる土坑群を取り囲むように竪穴住居などが配置された直径150メートルを超える大規模環状集落で、東西に二つの環状集落が並ぶ双環状集落と分かった。

 

竪穴住居の骨格が復元されている今の下野谷遺跡公園=西東京市東伏見(2019年8月撮影)

 

 遺跡周辺は戦後に急速な宅地化が進んだが、地下遺構は良好な状態で残っており、地域住民の保存を求める声を受けて、市が2007年に遺跡公園を開園した。特に公園のある西側の集落跡は都市部に良好な保存状態で残った貴重な遺跡として、2015年に公園を含め約1万2500平方メートルが国史跡に指定された。地下遺構は開発による破壊を免れた。

 遺跡を活用し、市民に遺跡に親しんでもらおうと、西東京市は毎年、「縄文の森の秋まつり」を開催。縄文時代をCGで再現し、バーチャルリアリティー(VR)の体験ができるスマートフォン用のアプリも公開した。遺跡関連のオリジナル商品もあり、加えて駅前にキャラクター銅像を置いた。

 頑張ってはいるけれど、残念ながら遺跡自体が現状のままでは苦しい。しかも銅像のモデルとなった土器を含め、出土品が展示されているのは遺跡公園からは電車とバスを乗り継いで行かなければならない郷土資料館(西東京市西原町)。保存を望んだ市民も代替わりしてしまうと、いくら地下に貴重な遺跡があると説明しても、雑草が茂ったまま放置していては苦情の声が上がりかねない。都市部で遺跡をどう残すのか、案内役の「しーた」と「のーや」も重い課題を背負っている。

 

下野谷遺跡公園に隣接する空き地には雑草が茂る=西東京市東伏見(2019年8月撮影)

 

 市もこうした事情を理解しているようで、今年3月に「史跡下野谷遺跡整備基本計画」を発表し、整備に動き出した。発掘調査などに基づき、可能な限り環状集落を復元して「縄文空間」を体感できるようにするという。さらに長期計画で「地域博物館」設置も視野に入れる。銅像が案内してくれた先で、がっかりしないよう整備を進めてほしいと願う。
【メモ】「しーた」「のーや」などの像は東伏見駅からすぐ。
(墨威宏)(写真は筆者提供)

 

【筆者略歴】
墨 威宏(すみ・たけひろ)
 1961年名古屋生まれ。一橋大学卒業後、共同通信社の記者となる。93年から文化部記者。2003年末に退社し、フリーライターに。主な著書は、双子の育児の体験をまとめた「僕らのふたご戦争」(1995年)、各地の銅像を歩いてまとめた「銅像歴史散歩」(ちくま新書)など。

 

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」への1件のフィードバック

  1. 1

    参考になりました。有難うございました。

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