北多摩戦後クロニクル 第10回
1952年 “ロボット博士”が保谷に研究所設立 昭和の子どもたちに夢を与えた相澤次郎さん

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2023年3月7日

 生涯に800体以上のロボットを作り「ロボット博士」と呼ばれた相澤次郎さん(1903〜1996年)が1952(昭和27)年、保谷町(現西東京市)に財団法人日本児童文化研究所を設立した。研究所から生み出された四角顔に丸い目の“相澤ロボット”は、1970年の大阪万博をはじめ科学展やイベントで人気を集め、草創期のロボットのイメージを決定づけるとともに昭和の子どもたちに未来への夢を与えた。

 

相澤ロボット「ミスタースパーク」(右)と「りょうくん」

多摩六都科学館に常設展示されている相澤ロボット「ミスタースパーク」(右)と「りょうくん」(筆者撮影)

 

手塚治虫も運営に協力

 

 相澤さんとロボットの出会いは、1914(大正3)年、小学5年生の時だった。まだ「ロボット」という言葉すらなかった時代。1862年のロンドン万国博覧会に出展された人造人間「マシンボックス」の写真を新聞で見て心躍らせ、厚紙で自らも作ってみたという。

 1931(昭和6) 年には初の子ども向けロボット工作指南書「図解 人造人間の作り方」を著し、トランペットやバイオリン、ドラムなどの楽器を手にして演奏の動きを見せる「ロボット楽団」を製作して展覧会に出品した。34年には「ROBOT」「ロボット」の商標権を取得。戦後は都立工芸高校講師や安立電気(現アンリツ)の技師をしながら、上野動物園にロボットが運転する電車や、人が乗れる電動のロボット象などを提供した。

 1952年4月、「科学的玩具を通じ、児童福祉に貢献する」ことを目的に、保谷町に財団法人日本児童文化研究所(現国際医療福祉教育財団)を設立した。親交があった漫画家の手塚治虫さんやソニー創業者の井深大さんが運営に協力し、長男の研一さんらスタッフとともに子どもたちの好奇心と想像力を刺激する展示用のロボットや鉄道模型、科学ジオラマなどを送り出した。

 西武新宿線東伏見駅の東側に自宅兼工房も構え、1959年に初の大型ロボット「一郎」(身長215センチ)を製作。以後「三郎」「五郎」「八郎」と次々に“兄弟”を生み出していった。相澤さんにとってロボットは「人間社会の善き協力者」であり、「自ら生み出した子ども」として「1体」や「1台」ではなく「1人」「2人」と数えたという。

 

相澤ロボット

下保谷児童館に設置されることになった相澤ロボットに集まる子どもたち(1976年、旧保谷市、西東京市図書館所蔵)

 

イベントの人気者

 

 写真を撮る、スタンプを押す、言葉を話す、絵を描く、すり足で歩く……さまざまな「特技」を持つ相澤ロボットは、1960~80年代初頭、都内の児童館や全国の遊園地、デパートで開かれたイベントや科学展で人気を集め、台湾や韓国で開催された大規模なロボット博にも登場した。

 70年の日本万国博覧会(大阪万博)では、手塚治虫プロデュースのパビリオン「フジパン・ロボット館」にお目見えした。来場者にガイドする身長268センチの「EXPOくん」のほか、ポラロイドカメラで記念写真を撮る「太郎くん」と、入場者に声をかけて一緒に写真に収まる「五郎くん」は会期中に6万5000人を撮影したという。

 赤色や青色の角張ったボディー、アンテナのついた四角い頭部、ライトで表現した大きな丸い目といったユーモラスで親しみやすい姿は雑誌やテレビにもしばしば登場し、昭和におけるロボットのイメージを定着させた。

 

週刊少年キングの表紙

「週刊少年キング」(少年画報社、1970年2月8日号)の表紙に登場した相澤さんとロボット(多摩六都科学館所蔵)

 

 80年代に入ると、玩具メーカーが娯楽用ロボットを相次いで発売し、80歳を迎えた相澤さんは引退へ。生涯で大小合わせて800体以上のロボットを作ったとされるが、その多くは処分された。一方、大型ロボットの一部は相澤さんが幼少時代を過ごした北海道夕張市に1988年オープンした「ゆうばりロボット大科学館」に寄託展示された。

 

ロボット修復プロジェクト

 

 2008年、ゆうばりロボット大科学館の閉館に伴って1950~60年代に作られた相澤ロボット11体が日本児童文化研究所に里帰りした。ロボットは部品の劣化や故障で動かなくなっていたり、展示用に修理・改造されたりしていた。翌年、同研究所と神奈川工科大学(神奈川県厚木市)が共同でこの11体を修復するプロジェクトを立ち上げた。

 ロボット内部には真空管など最近ではほとんど使われない部品が多数使われている。修復チームは、まずは大阪万博に出展された4体を可能な限りオリジナルの状態に戻して、2009年9月に富山市で開催された「ジャパンロボットフェスティバル2009 in TOYAMA」に出展した。

 さらに立ったり座ったりする1962年製作の「ミスタースパーク」(身長180センチ)と、お絵かきロボット「りょうくん」(身長135センチ)の2体は、相澤さんの地元にある多摩六都科学館(西東京市芝久保町)に預けられ、常設展示されている。

 同科学館は冬の恒例イベント「ロクトロボットパーク」を開催し、ミスタースパークの稼働のほかダンスロボットのステージやロボットバトルなどの体験型展示を行っている。ロボットの総合プロデュースを手掛けるMANOI企画代表の岡本正行さんの司会進行で、集まった親子にロボットの可能性と魅力を分かりやすく伝える。動く相澤ロボットを見ることができる唯一の機会だ。

 

岡本正行

多摩六都科学館「ロボットパーク」で来館した親子に解説する岡本正行さん(2022年12月)(筆者撮影)

 

 岡本さんと相澤ロボットの出会いは5歳の時。白黒テレビで大阪万博の映像を見て心奪われた。「あの体験がなければ今の自分はなかったかも」と話す岡本さん。修復プロジェクトのリーダーとして相澤さんのアイデアと創意工夫、当時の職人たちの技術の高さに目をみはる。

 2021年春には相澤さんの遺族から譲り受けた15体の「ロボット楽団」の修復をスタートさせた。「EXPO 2025 大阪・関西万博」が始まる2025年4月までの完成を目指し、修復作業の公開イベントも計画している。「昭和の時代、相澤さんたちが僕の世代に夢とロマンを与えてくれたように、今度は僕らが相澤さんの思いを次の世代に引き継いでいきたい」

 

ロボット楽団

修復計画が進む15体のロボット楽団(MANOI企画提供)

(片岡義博)

 

【主な参考資料】
・大阪万博でも人気を博した相澤次郎のロボット(Tech+
・相澤ロボット修復プロジェクト再始動(Tech+
・相澤ロボット楽団 修復プロジェクト(ロボットゆうえんち

 

片岡義博
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