銅像歴史さんぽ・西東京編 2 「キツネ」
地域知る立派な教材に
キツネが登場する民話や伝承は全国的に多い。キツネは大抵、人に化けて、人をたぶらかしたり、いたずらしたりする妖しげな小悪党の役回りだ。古くは平安時代初期の仏教説話集「日本霊異記」にキツネが化けた女と結婚し、子どもをもうけた男の物語が登場する。女がキツネだと分かっても、男は「いつでも来いよ、一緒に寝よう」と声を掛け、だから「来つ寝(きつね)」と名付けたと伝える。
一方で、キツネは稲作に害を及ぼすネズミの天敵で、農民には「敵の敵は味方」だったのだろう、キツネを神の使いとして信仰の対象にしたらしい。これが稲荷信仰と結びつき、現在も全国各地に残る稲荷神社につながったようだ。だから西東京市東伏見の東伏見稲荷神社にもこま犬のようなキツネ像がある。
かつてキツネは人の生活と深い関わりがあった。このため「キツネにつままれる」「キツネとタヌキの化かし合い」「キツネつき」「キツネの嫁入り」などの言葉が残る。今では都市部で野生のキツネを見かけることはほとんどない。宅地造成などで人とキツネは縁遠くなってしまった。キツネに化かされたという話はいつの間にか昔話になった。
植え込みに放置されたよう
哲学者の内山節氏の著書「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」(2007年、講談社現代新書)は「1965(昭和40)年を境にして、キツネにだまされたという新しい物語が誕生しなくなってしまう」と述べる。高度経済成長の背後で「日本の自然が大きく変わりながら自然と人間のコミュニケーションが変容していく時代でもあった」などと説く。
西東京市周辺にもキツネにまつわる民話は多く残るが、キツネは戦後の宅地化で姿を消し、忘れられたのかもしれない。それを象徴するように西東京市向台町の田無市民公園と道路を隔てたコンビニ前の植え込みに、雑草に囲まれ放置されたようにぽつんと置かれた2体のキツネ像がある。キツネ像についての説明板は少し離れた公園側の歩道上にあった。意識して探さないと見つけるのも難しい。
説明板によると、モチーフとなっているのは「きつね山で寝た半六」という地元の民話。現在の西東京市西原町に住んでいた農民の半六が石神井川を渡り、今の武蔵野市に向かう途中、赤ん坊を連れた女に出会う。女がはだしだったため、半六は「履物はどうしたい」と尋ねた。その後の記憶がない。目を覚ますと、油揚げを包んでいた風呂敷の中は竹の皮だけで、青白い四つの目玉が自分を見ていた。石神井川の南側は小高くなっていて、人々は「きつね山」と呼んでいた、という話だ。
目玉四つだからキツネ像は2体。この辺りに昔はキツネがたくさんいたのだろう。銅像は「それを忘れないで」と言っているようだ。
なぜあるのか伝えてほしい
この民話は西東京市教育委員会発行の小学生向け社会科副読本「わたしたちの西東京市」に短縮版が載り、「くわしくは、図書館でさがして読もう」とあった。地元では有名な話なのだろうと思い、西東京市中央図書館で郷土資料などを調べてみたが、半六の話の全文は自力で探し出せず、図書館職員に協力してもらった。図書館職員が見つけてくれたのは82年発行の「田無宿風土記(三)」という古くて厚い本。これに3ページ分載っていた。小学生には少々ハードルが高い。
「図書館でさがして」よりも副読本に載る地元の民話が銅像になっていることを子どもたちに伝えるべきだろう。立体的で触れられる銅像は子どもたちの記憶に残り、教育効果が高い。かつて来日した奇跡の人、ヘレン・ケラーが東京・渋谷の忠犬ハチ公像に触れ、ハチ公の物語に思いをはせたように。
しかし、現状は宝の持ち腐れ。向かいの田無市民公園は子どもたちの遊び場で、西東京市総合体育館や市民公園グラウンドなどに隣接するから公園を通る子どもは多いはず。説明板も含め公園内に移設して整備すれば、地域を知る立派な教材になる。なぜここにキツネ像があるのか、きちんと伝えてほしい。
(写真は筆者撮影)
【メモ】キツネ像は田無駅から徒歩約15分
>> 連載目次
【筆者略歴】
墨 威宏(すみ・たけひろ)
1961年名古屋生まれ。一橋大学卒業後、共同通信社の記者となる。93年から文化部記者。2003年末に退社し、フリーライターに。主な著書は、双子の育児の体験をまとめた「僕らのふたご戦争」(1995年)、各地の銅像を歩いてまとめた「銅像歴史散歩」(ちくま新書)など。
私の記憶では、少し前まで、公園側にあったのです。たぶん説明文の側。誰かが怪我でもしたのか、いつの間にか、コンビニとの間に移されてしまいました。私の子供の頃は、周り中にきつね山、たぬき山と呼ばれる雑木林がありました。どんぐりなどの木の実を拾ったりして遊びながら、幼稚園に通ったものです(^^♪ 公園脇のきつねが何故移動させられたのか、知りたいですね。
保谷市を小学校卒業と共に離れ。数十年が経ちます。今になっても忘れられないのは、どこかの神社の正面に飾られた、盗賊の髪の毛の束です。神聖な神社には似つかわしくないモノには、触れると祟りがあると聞かされました。
あれは何処の神社であったのか、判りもせず、気にかかっています。 そんな伝記はあったのでしょうか。記憶違いなのでしょうか。