銅像歴史さんぽ・西東京編 1 「安部磯雄・飛田穂洲」
グランド見つめる2人の野球の父

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2019年10月10日

早稲田大東伏見キャンパスの安部磯雄像(右)と飛田穂洲像=西東京市東伏見

 普段何気なく通り過ぎてしまう街中の銅像。しかし、なぜそこに、この像が、と考えていくと、新たな発見があったり、地域の歴史が見えたりすることもある。西東京市とその周辺で銅像を探し、その背景を探った。

 

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 西東京市東伏見の早稲田大東伏見キャンパス内に、野球場を見つめるように置かれた二人の胸像がある。その一人が安部磯雄(1865~1949年)。球場はその名が冠され「安部磯雄記念球場」の名称になっている。

 安部は明治から昭和にかけての社会運動の先駆者で、キリスト教社会主義者。片山潜、幸徳秋水らとともに1900(明治33)年に日本で初めての社会主義者の組織「社会主義協会」を発足させて会長に就任。翌01年には日本初の社会主義政党となった社会民主党の結成にも参加した。

 28(昭和3)年の第1回普通選挙に立候補して当選、社会大衆党委員長などを歴任し、戦後は日本社会党顧問を務めるなど、日本の社会主義の歴史に名を残す。歴史事典や人名辞典などでも安部に関する記述の大半はこれらの社会運動での足跡に費やされている。そんな人物の銅像がなぜ、野球場にあるのか。銅像建立の理由が社会運動での足跡ではなく、別の功績によるものだからだ。

 

初の海外遠征を実現

 

 安部は東京専門学校(現・早稲田大)の講師だった01年に野球部を創部し、部長に就任した。翌02年に野球部専用の「戸塚球場」(現在の東京都新宿区西早稲田)を新設した上、05年に総長の大隈重信を説き伏せ、野球部を引き連れての米国遠征を実現させた。野球史上初の海外遠征で、日露戦争真っただ中での決行だった。野球部は米国各地で交歓試合を行い、スクイズやヒットエンドランなど最新の野球技術と用具を持ち帰り、その後の日本の野球を大きく変えたという。このため「日本野球の父」と称される。12年には嘉納治五郎らと大日本体育協会を創立、東京六大学野球連盟会長や日本学生野球協会会長を務めるなどスポーツ界に貢献した。

 

「安部磯雄記念球場」を見つめる2人の胸像=西東京市東伏見

 

 一方、球場を見つめるもう一つの胸像は飛田穂洲すいしゅう(1886~1965年)。安部の精神を受け継いだといわれる早稲田大野球部初代監督だ。茨城県立水戸中学(現・水戸一高)、早稲田大で野球選手として活躍し、新聞記者を経て19年に監督(専任コーチ)に就任し、早稲田大野球部の黄金時代を築いた。

 その後は新聞紙上で大学野球や戦前の中等学校野球(現在の高校野球)の野球評論を手掛けた。「野球道」として「精神野球」を説き、学生野球全体の健全な普及、発展を指導したことから「学生野球の父」と称される。「一球入魂」は飛田の造語とされる。

 

「最後の早慶戦」に尽力

 

 また、早稲田大野球部顧問だった戦時中の43年10月16日に「最後の早慶戦」と呼ばれた慶応大との「出陣学徒壮行試合」の実現に尽力したことでも知られる。野球は「敵性スポーツ」として圧力を受け、東京六大学野球も活動休止に追い込まれた上、学生の徴兵猶予を停止する「在学徴集延期臨時特例」により学徒出陣が始まった時代だった。そんな中、慶応大からの「早稲田大ともう一度試合をしたい」との申し出を飛田が快諾し、渋る大学当局を説得、戸塚球場での開催がかなった。

 社会主義者として知られ、政治家でもあった安部に対し、飛田は野球一筋だったようで、2人の人生は異なるが、こうした野球界での功績により、2人ともに野球殿堂入りを果たし、並んで銅像が立つ。

 戸塚球場は安部の没後に「安部球場」に名称が変更されたが、87年に閉鎖され、西東京市の東伏見キャンパスに移転、2人の胸像が建てられた。台座には安部像に「質素之生活 高遠之理想」、飛田像に「一球入魂」が刻まれている。球場は安部の生誕150年に合わせ2015年に「安部磯雄記念野球場」に名称を改め、現在に至る。東伏見にある野球部の寮も「安部寮」で、歴史は東伏見に受け継がれた。

 

安部球場跡に残る安部磯雄(右)と飛田穂洲の胸像=東京・西早稲田の早稲田大総合学術情報センター

 

 一方、戸塚球場には安部の生前に建てられた銅像があったが、球場跡地は現在、国際会議場などが入る早稲田大の総合学術情報センターになっている。敷地内に安部、飛田の2人の胸像の加え「戸塚球場・安部球場の碑」「早慶戦百周年記念碑」が残る。(墨威宏)(写真は筆者撮影)

【メモ】安部磯雄記念野球場は、西武新宿線東伏見駅から徒歩約10分
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【筆者略歴】
墨 威宏(すみ・たけひろ)
 1961年名古屋生まれ。一橋大学卒業後、共同通信社の記者となる。93年から文化部記者。2003年末に退社し、フリーライターに。主な著書は、双子の育児の体験をまとめた「僕らのふたご戦争」(1995年)、各地の銅像を歩いてまとめた「銅像歴史散歩」(ちくま新書)など。

 

 

 

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