「わたしの一冊」第3回 アリス・フェルネ著、デュランテクスト冽子訳『本を読むひと』

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2020年12月10日

ひとしずくの文化が広げる波紋 by 渡邉篤子

 書店の棚に表紙を見せるようにして置かれていた。
 荒れた建物の中でカメラの前に立つ2人の子ども。
 ひょうきんな顔をする弟の首に腕を回し、「ちゃんと止まっていなさい」と制しているかのようなお姉さん。その表情はかすかに微笑んでいるが、無防備ではない。大人の表情だ。

 「本を読むひと」という書名も、「アリス・フェルネ」という著者も初めて知った。原題はちがうのだろうな、と予感しながら内容に思いをめぐらせた。

 

「しょおせつを読んでみたい」

 

 手に取って書き出しを読む。小説だとわかった。ジプシーの大家族の元に本を携えてやってくる図書館員の物語、と帯に書いてあった。

 ここで購入を決めた。子どもの写真、フランス、ジプシー、図書館員、読み聞かせ……断片だけで心をつかまれた。

 「ジプシー」という言葉は現代では「ロマ」と言い換えることが多い、と「訳者あとがき」にあるが、本書の表記に従い、そのまま「ジプシー」と表記することとした。

 原書は1997年に刊行された。著者は1961年生まれ。「今の話」だ。同じフランスの作家ル・クレジオの作品が原作となった映画「モンド」(1995年)で、主役を演じたジプシーの少年はパリ郊外のジプシー地区に住んでいた、とパンフレットに書かれている。ジプシー(ロマ民族)が現代でも生き続けていることを再確認すると同時に、現代社会とどう折り合いをつけているのか、興味が湧いた。

 郊外の空き地に暮らすジプシー一族。さすがに馬車などで移動することはなく、キャンピングカーで暮らしている。移動することも制限され、社会の片隅に追いやられている。家長は60歳に満たないアンジェリーヌ。5人の息子とその嫁、孫、大家族の女家長だ。その日暮らしの家族の元へ、黄色のルノーに本を積んで図書館員の若い女性エステールがやってくる。

 アンジェリーヌの元へ、勇敢に話をしにくるエステール。やがて一族はこの「外人」を受け入れ、子どもたちは読み聞かせを心待ちにするようになる。子どもの親たちから「もし字が読めたらな」という言葉が生まれる。エステールはユダヤ人である。共に迫害されたユダヤ人とジプシーという背景が、さらに親密感を生んだ。エステールとアンジェリーヌの、エステールとジプシー一族の交歓が詩情あふれる描写でつづられていく。現代社会とジプシーの暮らしの接点や、軋轢あつれきも知ることができた。

 物語の終盤、一族は立ち退きを迫られ、アンジェリーヌは決心して自ら死にむかっていく。食べることを控え、家族にさえ気づかれないよう痩せた体をカムフラージュして、体を弱らせていく様子が残酷なほどに描かれている。そして病院へ運ばれた夜、アンジェリーヌは息絶える。

 エピローグでは、子どもたちは学校へ行くようになり、子どもの母親の1人が「しょおせつを読んでみたい」と話す。文化に触れる機会のない子どもたちが社会から疎外される現実に、一滴のしずくが落とされ、その波紋が穏やかに広がっていく予感で、物語は終わる。

 

人生の終わらせ方

 

 11月になり、数枚、喪中葉書が届いた。親族、知人の訃報もあった。
 筆者には高齢の母もいる。

 今年はこの本を読んだせいか、「人生の終わらせ方」をついつい考えた。たとえ自分たちを虐待し、無視した世界への恨みが募っていたとしても、食欲に抗い、体力を失わせていく行為は、物語であるからこそ描ける死に方だ。極端な想定が「いかに死ぬか」「いかに生きるか」を浮かびあがらせる。

 社会的には身分証明書も、社会保障もない。物欲も野心もなく、体一つで生きてきたアンジェリーヌが示す死に方。日に日に醜くなり、痛ましい体になりながら、生きていくのに必要だった不屈な精神を持って、朽ちていく花のように終わりにむかっていく。

 寝たきりになってからは、家族もアンジェリーヌを受け入れ、邪魔をしない。ひたすらアンジェリーヌの言葉を聞く。経験を通して得られた知恵は、見事に物事の本質を言い当てている。

 勝ち負けで言ったら「勝ち」なのか、安堵と清涼感が残る。憧れるというわけではないが、どこかに羨ましいと思う気持ちがある。

「一生涯あたしは貧しくて運がなかった。でもいつでも自分の人生が好きだった。そしてこれからは天国が好きになるんだ」とエステールに語る言葉に救われた気持ちになった。「自分の人生が好きだった」と思うこと、それならできそう、と思えた。

 

 「訳者あとがき」によると、原題は「恩寵と貧困」とある。エステールが果敢に、信念を持って、子どもたちに読書の喜びを伝えることがジプシー一族にとって恩寵であると同時に、彼らの生々しい生のあり方に寄り添うことはエステールにとっても恩恵であった。

 もう旅の終わりが近いことを2人が承知した上で、学もなく教養もないアンジェリーヌがエステールを励ます言葉は涙のように温かい。

 

 

【書籍情報】
書名:本を読むひと
著者:アリス・フェルネ著
訳者:デュランテクスト冽子
出版社:新潮社

 

渡邉篤子
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「わたしの一冊」第3回 アリス・フェルネ著、デュランテクスト冽子訳『本を読むひと』」への5件のフィードバック

  1. クラシマアキラ
    1

    フランスに駐在していた時に、パリ郊外の、ロマの人の居住区を、偶然通りました。何か異様な印象を受けたのを記憶しています。

    早速、この本を注文しました。

  2. クラシマアキラ
    2

    渡邉さん
    富士町の倉島です。
    「本を読むひと」を紹介して下さいまして有難うございます。
    アマゾンに注文しました。

    • 3

      クラシマさま
      拙い文を読んでいただいた上、コメントをいただきましてありがとうございました。
      励みになります!

  3. 4

    渡邉さま、素晴らしい本の紹介と、素晴らしい書評をありがとうございました。

    • 5

      うのさま。コメントいただき、嬉しいです。恥ずかしい気持ちもありますが。

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