「謙虚に反省して今後の対応を検討」 丸山市長が災害対応で答弁

投稿者: カテゴリー: 市政・選挙環境・災害 オン 2016年9月25日

 西東京市議会の建設環境委員会が[2016年]9月20日開かれた。途中閉会した12日の議論を引き続ぎ、台風9号の大雨による災害対応をめぐってこの日は午前10時30分から午後8時前まで、ほぼ9時間半にわたる長丁場の「所管事務調査」が続いた。夕方、求めに応じて出席した丸山浩一市長は「謙虚に反省して今後の対応を検討する」と述べ、今回の災害対応が万全ではなかったことを認めた。翌21日の予算特別委員会の質疑も補足して、今回の遣り取りを追ってみた。(写真は、避難勧告が出たマンション(右上)。手前は石神井川)

 

防災で初の避難勧告

 8月22日午後零時20分、西東京市は土砂災害警戒情報が発表されたことを踏まえ、東伏見3丁目のマンションに住む4世帯5人に避難勧告を発令した。「急傾斜地崩壊危険箇所」に指定されている場所だった。危機管理室によると、避難勧告は2005年7月に不発弾処理のため出されているが、土砂災害警戒情報による発令は初めて。初の防災ケースだった。

 10分後の零時30分、災害対策本部が保谷庁舎の防災センターに設置された。市長が本部長になるなど、いざというときの詳しい手順や方法が「西東京市地域防災計画」に定められている。ところが…。

 

避難先は「計画外」施設

 勧告を受けたほとんどの住民は、東伏見5丁目の市民交流施設、東伏見コミュニティセンターに市の車で移動した。防災計画で最寄りの避難場所となっている東伏見小学校(東伏見6丁目)ではなかった。どんな理由で避難先が「計画外」の施設になったのか。9月12日の建設環境委員会で不透明だった理由が、20日の同委員会で明らかにされた。

避難先となった東伏見コミュニティセンター

避難先となった東伏見コミュニティセンター

 

 危機管理室の坂本眞実室長の冒頭説明によると、「避難する人が4世帯5人と少なく、小学校の広い体育館よりも、空調設備が整い、和室のあるコミュニティセンターが適していると判断した」という。

 危機管理室は、当日休館だったコミュニティセンターの指定管理者と連絡し、館内に住民が避難する部屋を確保した。しかし、計画で避難場所に指定された東伏見小学校には、「(避難場所にならないことを)連絡していなかった」(河野源特命主幹)。

 それでも教育委員会の対応に抜かりはない。21日の予算特別委員会で前田哲教育長が説明したところによると、避難先がコミュニティセンターになったと危機管理室から連絡が入ったあと、教育委員会が自主的に、学校校長ら関係者に情報を伝えていた。

 災害対応質疑の口火を切った稲垣裕二氏(自民党)は「今回の避難先がよくないと言っているわけではない。急傾斜地崩壊危険箇所は市内でここだけ。避難する住民も少ないのだから、むしろコミュニティセンターを避難場所に指定するなど、防災計画にきちんと位置付ける必要があるのではないか」と指摘した。

 

指定された急傾斜地崩壊危険箇所。東京都の土砂災害警戒区域等マップから(クリックで拡大)

指定された急傾斜地崩壊危険箇所。東京都の土砂災害警戒区域等マップから(クリックで拡大)

 

教育長招集を「失念」

 災害対策本部の本部長は市長、副本部長は副市長と教育長、本部員は関係部署の部長らと防災計画で決められている。ところが、庁内の関係者が一堂に会した「本部会議」は開催されなかった-。12日の委員会で明らかになったその経緯と対応が、20日の委員会であらためて説明された。

 危機管理室の坂本室長によると、本部会議の代わりに開かれたのは、市長、副市長、企画部長、総務部長、危機管理室長らが集まる緊急会合「即時対応会議」だった。田無庁舎と保谷の防災センターでそれぞれ一度開かれた。しかしその席に、防災計画で構成員とされる副本部長の前田哲教育長の姿はなかった。

 その説明を求められた危機管理室の答弁は度々「暫時休憩」。資料作成のため昼休みを挟んで3時間半近く委員会が中断した。委員の間からため息が漏れ、叱責の声も飛んだ。

 一連の経過や対応の説明に納得しない委員会の要請を受けて、丸山浩一市長が午後6時40分すぎに出席した。議会事務局によると、条例の審査で提案の趣旨などを説明するため出席する例はあるが、委員会の事務調査に市長が出席するのは珍しいという。夜のほぼ1時間半、異例の市長答弁となった。

 丸山市長は冒頭、それまでの質疑を引き取る形で「市長になって3年半になるが、緊急避難勧告の発令は初めて。市民の生命、財産を守ることを第一に考え、防災計画にもある即時対応会議を開いて住民の避難などに迅速に対処した」などと述べた。

 桐山ひとみ氏(統一会派みらい)が「その会議に、副本部長の前田教育長が呼ばれなかったのはなぜか。特に2度目は保谷の防災センターで開かれた。教育委員会は保谷庁舎で仕事をしている。すぐ近くにいるのにどうして呼ばなかったのか」と重ねて尋ねた。丸山市長は「決して教育長を意図的に排除したわけではない。単なる失念だった」と述べた。

 副市長以下の幹部職員らは、市長の「失念」があったとしても、副本部長である教育長の不在に気付かなかったのだろうか。21日の予算特別委員会で森てるお氏(無所属)は、池澤隆史副市長にこの点を質した。池澤副市長は「(避難勧告と災害対策本部設置など)初めての対応で、意識が薄かったと反省している」と答え、指摘・進言できなかったことを認めた。

 

市長の所在と連絡態勢

 丸山市長が災害対策本部に常駐していなかったため、所在確認と連絡態勢も取り上げられた。

 最初の即時対応会議は田無庁舎の市長室で開かれた。市長は午後1時10分に、防災センターの災害対策本部に移動。状況説明を受けた後、2回目の同会議を開催した。その後、住民が避難した東伏見コミュニティセンターを訪れ、2時40分頃に田無庁舎に帰った。夕方の午後6時30分から庁内で開かれた男女平等参画推進委員会に出席した。

 納田さおり氏(無所属)は、市長が委員会に出席したときは土砂災害警戒情報がまだ解除されておらず、災害対策本部も廃止されていなかったなどと指摘。「災害対策本部が設置されたら、平時から非常時になる。肝腎の本部長が他の会合に出て、直接連絡、対応できないのは問題ではないか」などと質問した。これに対して丸山市長は「今回は新しい委員の委嘱や正副委員長の選出、諮問などが予定されていたので、副市長と事前に打ち合わせ、危機管理室とも対応を話し合ってから出席した。万一の場合は直接連絡が取れるようになっていた」と説明した。

 避難勧告解除、災害対策本部の廃止、避難住民の帰宅などが終わった午後7時30分に丸山市長は退庁した。大雨警報と水防情報連絡態勢が解除されたのはその1時間後、午後8時30分だった。「退庁した後はどこにいたのか」との問いに対して丸山市長は「退庁して公務外だったが、常に連絡が取れる態勢だった」と述べて、所在は明らかにしなかった。

 

残された課題

 後藤ゆう子氏(生活者ネットワーク)は勧告の対象になったマンションに隣接して、別の大型マンションや住宅が並んでいる点を指摘。付近の住民らへの情報周知の必要を指摘した。勧告先のマンションの住所が当初違っていたと一般質問で指摘した藤田美智子氏(公明党)は「計画にはなかったけれども、避難する人たちのことを考え、コミュニティセンターを避難先にしたことは評価したい」と述べた。田中のりあき氏(自民党)は「経験を積みながら、よりよい防災計画にしてほしい」と述べ、市側の今後の対応に期待をかけた。

 丸山市長は一連の質疑を受けて「熊本地震の現地を訪れ、市庁舎が壊れた宇土市などを見て、二庁舎体制下にある西東京市の庁舎機能や防災体制をあらためて考えなければならないと痛感した。基本的にはテキスト(防災計画)に則って対応を進めることになるが、今回の事例を謙虚に反省して今後の対応を検討したい」と語った。

 今回の災害対応をめぐる質疑は、建設環境委員会による「所管事務調査」。行政チェック機能などを期待して定められた議会の独自活動だ。地方自治法 第109条(委員会)に基づき、西東京市議会会議規則(第105条)に定められている。
(北嶋孝)

 

【関連情報】
・避難勧告の発令について(西東京市Web)リンク切れ(2024年7月31日)
・避難勧告の解除について(西東京市Web)リンク切れ(同上)
・東伏見コミュニティセンター(西東京市Web
・西東京市地域防災計画(2016年修正版)(西東京市Web)掲載は2021年(令和3年)修正版。
・土砂災害警戒区域等マップ(東京都)リンク切れ(同上)
・西東京市議会会議規則(西東京市例規集

 

 

北嶋孝
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