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交通開放

都道「西東京3・4・9号線」の一部交通開放 旧東大農場分断、横断歩道変更や信号廃止も

投稿者: カテゴリー: 暮らし環境・災害 オン 2021年8月3日

 西東京市の旧東大農場を横断する都市計画道路の一部約700メートルの工事が完成し、8月2日昼前に交通開放されました。50年余り前に計画決定され、問題点も指摘されていた道路です。東大農場のボランティア活動に参加し、道路建設を見てきた市内在住の増田弘邦さんの報告です。(編集部)(写真は、白バイ先導で通り初め=谷戸新道交差点)

 8月2日の交通開放は、10時半頃から信号機のカバーが取り外され、西側の信号機設定のため、予定の11時から10分遅れではじまりました。西側から、白バイ先導で最初の車両が谷戸新道にやってきました。セレモニーはなしということで、これが通り初めと言うことでしょうか。

 

農場通り

(2日午前11時過ぎ)

 

 東京都建設局道路建設部の「西東京都市計画道路3・4・9号線(西東京市北原三丁目~同市西原町四丁目) 令和2年度第2回事業評価委員会」令和2年8月21日付け資料によれば、都市計画決定は昭和42(1967)年5月23日なので54年前の決定であり、事業認可取得は平成23(2011)年9月28日となっています。

 

 社会経済情勢の変化の評価は、平成22(2010)年度と平成27(2015)年度の所沢街道自動車交通量は横ばいとしているが、10,349台/12hと9,482台/12hと1割近く減っていて、どうしてもやらなければならない緊急性はないと思われます。

 

 今回の交通開放により、横断歩道の位置変更や近辺の信号廃止で、従来の歩行者には危険を感じさせることになることが懸念されます。近くの北原二丁目バス停横の歩道は使用停止となり、信号機も撤去されました。周辺住民にはなんら通知なしです。

 

信号機取り外し

北原二丁目バス停横の歩道信号取り外し作業(2日午後0時過ぎ)

 

 特に、東大農場東側の農場通りとの交差点は歩道の表示もなく、前日まで表示されていた掲示では、「歩行者は危険なため近隣の横断歩道をご利用下さい。」とあり、歩行者の安全対策はないという問題点が指摘されます。

 

お知らせの看板

横断歩道の切り替えを知らせる看板(1日午後6時過ぎ)

 

 今日も農場通りの交差点では、歩道を付けて欲しいという声がきかれ、市会議員が市民の要望を聴いていました。

 

 かつて、谷戸新道が新規開通したあと、北原住宅バス停横には信号がなく、私の妻が自転車で横断しようとしてバイクに跳ね飛ばされたことがありましたが、事故が起きてからボタン式信号機が設置されました。

 

 都道により、南北に分断される東大農場は、東京都に用地を売却し、北側に新しい研究棟と農機具倉庫を新設しましたが、南側の農場については、東大農場博物館やフィールドボランティア会を担当していた米川教授が今年度で定年退職となり、ボランティア会もすでに解散しており、今後、市民開放の見通しはコロナ禍もあり、不透明です。

 

田無キャンパス

東京大学田無キャンパスの門、入って左が研究棟(2日午前11時50分ごろ)

 

 交通開放で、東大農場・演習林の入り口の門が新設されているのが確認出来ました。しかし、南側の農場博物館は閉鎖されたままさびれたようでさみしくなりました。道路建設のため、農場内にあった貴重な建築物が何棟も解体されたのも残念なことでした。
(増田弘邦)

 

【関連情報】
・西東京3・4・9号保谷東村山線 交通開放 地域の交通の円滑化(東京都建設局
・建設局道路建設部「西東京都市計画道路3・4・9号線(西東京市北原町三丁目~同市西原町四丁目)令和2年8月21日(金)」(東京都建設局

 

増田弘邦

増田弘邦さん

【筆者略歴】
増田弘邦(ますだ・ひろくに)
 1944(昭和19)年新潟県生まれ。1954(昭和29)年以来、田無北原在住。谷戸小3回生、田無二中2回生。はじめに住んだ都営住宅の周囲は麦畑、谷戸新道は砂利道でした。
 都立高校教員後、東大農場ボランティア。現在、法政大学沖縄文化研究所研究員。

 

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