屋敷林のみどりは地域の宝 講演会「武蔵野の屋敷林」

投稿者: カテゴリー: 暮らし環境・災害 オン 2015年7月1日

 「屋敷林を訪ねて―自然と歴史を知ろう」シリーズの3回目にあたる講演会「武蔵野の屋敷林―4地域を中心として」が[2015年]6月28日(日)午後、西東京市の保谷駅前公民館で開かれた。これは「屋敷林の会」(萩原恵子代表)による同市公民館の市民企画事業。今回の講師は「下保谷の自然と文化を記録する会」代表の高田賢さんだった。

 

 このシリーズは1回目で下保谷地区、2回目で向台町・新町地区の屋敷林を訪ね、今に残る古木と母屋や作業小屋などの位置から当時の屋敷林の役割を推し量った。高田さんはまとめとして、西東京市の下保谷、東久留米市の柳窪、小平市の小川、所沢市・三芳町にまたがる三冨の4地域の生成と変遷を比較し、それぞれの地域でいかに自然と共存・利用してきたかを豊富な資料をもとに語った。

 たくさんの写真で現状を見せたが、青梅街道という商業の場と農業の両立を可能にした小川町には屋敷林はほとんど残っていなかった。柳窪は東久留米市の中心地である駅周辺から離れており、黒目川の上流にあったせいか、いまだに大きな家や屋敷林が残っている。しかし、川越街道を挟んだ三冨地区にしても、都心への通勤の便のいい下保谷地区にしても、みどりの保全は難しい課題だという。

 先祖から代々大切に守り抜かれてきたその家の屋敷林を、みどりの環境保全のために、地域の宝として残してもらうために、行政や市民が何をなすべきか。これは早急に考えなければならないと、この現状が訴えている。

 

「武蔵野の屋敷林」を語る高橋賢さん。写真は萩原慎一郎さん提供。

写真は「武蔵野の屋敷林」を語る高田賢さん。萩原慎一郎さん提供。禁無断転載

 

 いかに屋敷林のみどりが、大切に守られてきたか、いかに人の生活に有用だったか、高田さんの話は、50人の聴衆それぞれの、みどり保全の原点に立ち返らせるものだった。

 3回とも参加したという女性は、「日当たりがいいことが家の条件だと思っていたけれど、屋敷林に住んでいる方が、以前は東向きに家が建っていて、風が通って気持ちがよかったと言われ、目からうろこだった。重なり合うように家がたっている今と違って、広い敷地や畑があると、風が生活に重要な意味をもっていたことが初めてわかった」と語っていた。
(福島恭子)

 

【筆者略歴】
福島恭子(ふくしま・きょうこ)
 西東京市無認可幼児施設「幼児園どんぐりころころ」代表。東京学芸大学卒業後、東京都公立幼稚園教諭、園長、相談員、東京家政大学講師を経て現在に至る。日本保育学会会員。「自然体験クラブ」代表として保育者自身の自然体験の実践と必要性を説いている。

 

 

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