書物でめぐる武蔵野 第28回 続・フェンスの向こうのアメリカ 北多摩から所沢へ

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2023年2月23日

 東久留米団地は旧日本海軍の広大な通信基地跡に造られたことを前回書いた。そしてその通信基地の痕跡は、現在も新座市大和田の在日米軍基地として残っていることは、連載5「フェンスの向こうのアメリカ 北多摩編」で書いている。武蔵野地区には少なからぬ米軍の施設や基地があったし、いまもある。このことについて再び考えてみたい。

 

米軍大和田通信所

新座市にある米軍大和田通信所。「スパジアム ジャポン」から北にちょっと行ったところにある。アンテナが見えるが、ここで何を?

 

『日本「米軍基地」列島 映画に描かれた基地の風景』

 

 在日米軍の施設が沖縄県に集中していて、面積ベースで全体の74.45%にもなることは、沖縄の基地問題が取り上げられるたびに伝えられている。これはどういうことなのか、東京圏に住む者には実感としてとらえにくい。とはいえ、現在の東京都の米軍施設の割合は4.35%で、青森県7.82%、神奈川県4.87%に次いで4位。本土でいえば上位だ。さらに、福生市、瑞穂町、武蔵村山市、羽村市、立川市、昭島市にまたがる横田基地には、在日米軍司令部、つまり軍の中枢が置かれている。

 ひばりが丘上空は、どうやら軍用機の航空路であるらしく、ときどきヘリコプター(自衛隊なのか米軍かは不明)が編隊を組み、低空を飛んでいく。ものすごい騒音で、テレビの音など聞こえない。四六時中この状態になっていてる住宅地が基地周辺にはあるということだ。

 こうしてみると、東京にとっても米軍基地問題は他人事ではないはずだ。米軍基地をめぐる歴史的な経緯を知り、想像力を働かす。そうすることで「沖縄問題」への回路が見えてくるかもしれない。

『日本「米軍基地」列島』

『日本「米軍基地」列島 映画に描かれた基地の風景』

 それに絶好の本がある。
 映画プロデューサーで映画ライターでもある吉田啓が書いた『日本「米軍基地」列島 映画に描かれた基地の風景』(音羽出版)がそれだ。上に挙げた情報はこの本から引用した (面積のパーセンテージは2016年のもの) 。

 2020年刊だが、翌年10月にこの本関連のイベント(本に登場する映画の上映会)に合わせて東京新聞に紹介記事が載った。その記事の見出しは「映画にみる米軍基地」。

 たしかに、米軍基地が重要な位置を占める映画とドラマにはどういうものがあり、注目すべき作品は何か、がわかるガイドブックというのは本書の一側面である。だが、それだけでなく「在日米軍」入門になっているところが特筆に値する。

 

「ジョンソン基地」と所沢

 

 筆者が小学生だった頃、西武池袋線の所沢の先には「稲荷山公園」という駅があり(いまもあるが)、そこにはアメリカ軍の「ジョンソン基地」というのがあるらしい、ということをなんとなく知っていた。ただそこでは航空自衛隊の「航空ショー」をやっていた記憶もある。

 ん? 調べてみると、この地には戦前の1938年、陸軍航空士官学校が設置されていた。45年、敗戦によって米空軍に接収され「ジョンソン基地」となる。58年から部分的に返還されていき、航空自衛隊の「入間基地」が併存する時代があった。この時代の記憶があったということのようだ。そして、基地は78年に全面返還されている。

 この基地周辺が舞台になった映画があること、またここでは、現在も沖縄でしばしば起こっているような理不尽な事件があったことを、この本で初めて知った。

『日本「米軍基地」列島』の p52

「ジョンソン基地」とその周辺を舞台にした映画は『はだかッ子』という。61年、田坂具隆監督の作品。基地の近くの貧しい長屋で、戦争で父親(三國連太郎)を亡くした小学生の主人公が、病に倒れた母親(木暮実千代)を助けながら懸命に生きる物語(筆者未見)。

 映画には、所沢が基地の街だったことも描かれているようだ。1911年、日本初の飛行場「所沢陸軍飛行場」ができたが、やはり敗戦で米軍に接収され「キャンプ・トコロザワ」となった。所沢駅西口には「プロペ通り」がある。飛行場にちなむ名前らしいが、基地とは関係ないようだ。しかし、米軍はまだ残っている。

 71年に基地の約6割が返還され、所沢航空記念公園や防衛医科大学校になっているものの、米軍の所沢通信基地だけは返還されていない。この施設は広大なため市街地を分断していて、市民の生活に支障をきたしている。所沢市は76年に道路を通してほしいと米軍に要望した。しかし、道路が開通したのはなんと44年後の2020年だった。住民の暮らしより米軍の都合が優先されるのは、所沢も沖縄も変わらない。所沢の基地返還運動はいまも続いている。

 所沢市のホームページ* によると、この通信基地は、横田基地や新座の大和田通信所を電波で結んだり、大和田で受けた電波を米軍の飛行機に送ったりする業務を行なっているらしい。

 *所沢市基地対策協議会のパンフレット「米軍所沢通信基地について

 

 大和田通信所というのは、冒頭で触れた施設のことである。この米軍基地は何をしているのかよくわからなかったが、謎が少し解けた。大戦中は重要な情報を傍受した場所だから、きっと電波の状態もいいのだろう。米軍はここでいまも情報収集活動をしているようだ。

 

とんでもない事件

 

 ジョンソン基地に戻る。さきの映画『はだかッ子』の公開より少し前の1958年、この基地でとんでもない事件が起こっている。西武池袋線に乗っていた乗客が、基地の米兵が撃ったカービン銃によって死亡させられた「ロングプリー事件」である。この事件についても『日本「米軍基地」列島』は詳しく解説している。

「ロングプリー」というのは、犯人の米空軍3等航空兵(当時19歳)の名前。あろうことか、この兵は電車に向けて射撃訓練をしていたと供述。米軍は軍事裁判でなく日本の裁判を受けさせることにした。しかし、これにはウラがあった。

《米軍は刑の軽い日本の少年法を逆手に取って、あえて日本の裁判を受けさせて日本人の怒りを収めようと画策していた。》p59

 日本の裁判所(当時の浦和地裁)の判決は、交通死亡事故より軽い禁固10カ月(被告が控訴せず確定)。米軍と日本政府に忖度した判決だといわざるをえない。

 このような米兵による犯罪は、その後も繰り返されることになる。とりわけ沖縄で頻発しているが、「日米地位協定」を盾に、まともな裁判さえおこなわれないことも多い。96年9月に沖縄で発生した米兵による少女暴行事件をきっかけにして、同年10月21日、日米地位協定の見直しを要求する沖縄県民による総決起大会が開催されたこともあった。

 しかし、日米地位協定はいまだに見直されていない。

 

砂川闘争

 

『日本「米軍基地」列島』

『日本「米軍基地」列島』p 152

 背景としての基地ではなく、基地そのものを描いた映画もある。立川の「砂川闘争」を、ドキュメンタリータッチで描いた『爆音と大地』(57年)がそれだ。山村聰の主演で、監督は関川秀雄。

 砂川闘争は、55年から60年代にかけて立川市砂川町にあった「アメリカ空軍立川基地」の拡張工事をめぐる反対運動。56年10月、滑走路を拡張するため測量が強行された。これに反対する農民や地元住民、支援の労働者、学生が結集し、警官隊と激しくぶつかり、流血の事態となった。翌日政府は測量の中止を決定する。つかの間の「勝利」だが、この過程を映画は、人間ドラマとして描いているようだ(これも未見)。

 あくまでも基地を拡張しようとする政府は、翌57年7月、測量を強行し、またも衝突が起こった。この衝突で基地に立ち入ったとして逮捕・起訴された反対派に対する裁判が東京地裁でおこなわれた(砂川事件)。

 この事件は、戦後史において注目される2つの判決をもたらした。59年3月、伊達秋雄裁判長は、日米安全保障条約によって駐留米軍を特別に保護する「刑事特別法」は憲法違反であり、米軍基地に立ち入ったことは罪にならないとして、被告全員を無罪とした。米軍駐留を違憲とする「伊達判決」として知られている。

 もうひとつはこれと正反対の判断となる。「伊達判決」にあわてたのか検察側は、高裁を飛び越え最高裁に跳躍上告。59年12月、最高裁は「統治行為論」によって伊達判決を破棄して地裁に差し戻した。結局、61年に有罪が確定した。つまり国家の統治に関する高度な政治的な事柄については、司法は判断しないという考え方だ。だったら、「三権分立」はどうなるのだろう。行政のやりたい放題を、司法も立法もチェックできない傾向が色濃い、今日この頃ではある。いずれにしても、実際に米軍は日本に駐留している。

 立川基地は、その後ベトナム戦争の激化によって、69年に機能を横田基地に移したようだ。77年に日本に返還され、跡地は昭和記念公園などになっている。
※以上前掲書のほか、『朝日クロニクル週刊20世紀』(朝日新聞社)、ウィキペディアも参照した。

 

砂川闘争

砂川闘争 自宅に有刺鉄線を張る反対派、1955年9月 毎日新聞社「毎日グラフ(1955年9月7日号)」より(パブリックドメイン)

 

基地と映画作品

 

『日本「米軍基地」列島』には大きく取り上げられた映画作品が18本ある。うちまだ2本しか紹介できていない。それくらいこの本は、「基地」に関する基礎知識が充実しているということでもある。

 主だった基地と作品の名前だけは挙げておこう。まず、武蔵野・多摩地区に関係する米軍基地には、返還され現在は陸上自衛隊朝霞駐屯地になっている「キャンプ・ドレイク」がある。ここを背景にした作品として熊井啓監督の『日本列島』(65年)と阪本順治監督の『この世の外へ クラブ進駐軍』(2003年)が取り上げられている。

 神奈川県でいうと、厚木基地(海軍)は小林正樹監督『黒い河』(57年)、横須賀基地(海軍)は今村昌平監督『豚と軍艦』(61年)とテレビドラマ『怪奇大作戦』15話(68年)。また、石原裕次郎制作・出演の『ある兵士の賭け』(70年)が座間キャンプ(陸軍)を背景としていて、これも紹介されている。

 佐世保基地(海軍)は村上龍原作で李相日監督の『69 sixy nine』(04年)、沖縄のキャンプ・シュワブ(名護市・辺野古、海兵隊)は、最近亡くなった崔洋一監督の『友よ、静かに瞑(ねむ)れ』(85年)、また、韓国の米軍基地について、アカデミー賞監督であるポン・ジュノ監督『グエムル の怪物』(06年)が取り上げられているのも興味深い。

 そして横田基地(空軍)を背景にした作品には、村上龍原作(芥川賞受賞作品)で監督もしている『限りなく透明に近いブルー』(79年)や日活ロマンポルノの『セックスハンター 濡れた標的』(澤田幸弘監督、72年)などがある。

 最近、この横田基地をめぐって、西東京市も関連する環境問題が発生しているのをご存知だろうか。それも含め、次回も「米軍基地」モノとさせていただきたい。

 *連載のバックナンバーはこちら⇒

 

 

杉山尚次
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