北多摩戦後クロニクル 第37回
1993年 東村山にハンセン病資料館完成(下) 病と闘い完成度求める入所患者たちの文学
東村山市にある国立療養所多磨全生園(全生病院)では入所者の趣味の活動が盛んで、中でも俳句や短歌、川柳をたしなむ人たちが多かった。創作は生きがいだった。作家では全生園を舞台にした小説「いのちの初夜」を書いた北條民雄が知られる。かつては社会から隔絶された閉鎖空間の所内で「生きる糧」として入所者たちの心の支えになった。今回は文学を中心に療養所の暮らしを書くことにする。
■ 「いのちの初夜」絶望の果ての希望
ハンセン病文学の代表的な作品「いのちの初夜」を書いた北條民雄は全生園に入所していた。主人公の23歳の青年、尾田高雄は北條の分身だ。発表当時、北條は21歳。1914(大正3)年に今の韓国・ソウルに生まれ、徳島県で育つ。15歳で上京して職業を転々としながら文学に傾倒した。プロレタリア文学の影響を強く受けている。33(昭和8)年にハンセン病を発症して翌年、入所した。
「いのちの初夜」の書き出しは北條が入所したころの全生園周辺の風景を描き出している。「駅を出て二十分ほども雑木林の中を歩くともう病院の生垣が見え始めるが、それでもその間には谷のように低まった処や、小高い山のだらだら坂などがあって、人家らしいものは一軒も見当たらなかった」と書いている。駅は東村山駅。狭山丘陵の東のはずれ、人里離れ、寂れた武蔵野の景色が目に浮かんでくる。
主人公の尾田は半年前に発症してから死ぬことばかり考えた末に入所を決意する。小説は入所初日の物語である。彼は軽症だが、大部屋の同室者には重症者もいて、その描写は凄惨だ。病苦にさいなまれて死ぬこともできずに、ただ生きているだけの患者たち。絶望的な現実を目の当たりにして尾田は付き添いの中度の患者の青年と命について語り合う。やがて全生園での最初の夜が明けて、尾田は人間を捨てて病者になり切ることで新たな生を得ようと覚悟する。
完治する病になった今では考えられない悲壮な決意だ。36年の「文学界」2月号に掲載されて川端康成が高く評価した。この年の第2回文学界賞を受けたが、翌年、腸結核で逝った。23歳だった。
■ 「生きた証」としての文学
国立ハンセン病資料館の展示室は全生園の入所者たちの生きた証をいろいろと展示していて、北條民雄のコーナーもある。写真を見ると眼鏡をかけた聡明そうな青年だ。直筆の日記などもある。「いのちの初夜」の端正な文章を読むと、もっと生きて小説を書いてほしかったと惜しまれる。
展示は差別と偏見との闘いだった日本のハンセン病の歴史を振り返り、閉鎖された生活空間の中での日常を丁寧に表現している。つましい生活用具や古い治療具に心を打たれる。趣味や娯楽は多彩で絵画、書、陶芸、木工、裁縫などが盛んだった。歌舞伎上演、野菜の品評会、スポーツイベント、クリスマス会、楽団もあった。園を維持するための日々の作業もたくさんある。
趣味の中で、とりわけ文芸への関心は高く、開園翌年の1910年には敷地内の礼拝堂の中に図書室ができ、300~400冊の本があった。21年には図書館になる。それに先立つ19年、文芸誌「山櫻」も刊行が始まった。34年に入所した北條は活字を拾う文選工を務めている。
俳句や短歌も盛んで、指導者もいた。俳句では斎藤俳小星(はいしょうせい)が知られている。所沢の大きな農家の出で、若いころから俳句に精進して、高浜虚子が「農民俳人」として高く評価した。所沢俳句連盟の会長を務め、全生園ではおよそ40年間も指導を続けていた。
俳小星は書いている。「患者たちは写生を主とし、花鳥風詠に志し、誤らず惑わず日新(原文のまま)月歩今日に及んで居る」。入所者の句も紹介している。
「ふるさとへ心の墓参念珠繰る」
「病める眼に名月割れてまとまらず」
偏見がはびこっていた時代に入所者のために全生園に出向き、入所者の楽しみであり生きがいだった俳句を指導し続けた俳小星は称賛に値する。資料館の2階にある図書館には1936年刊行の小型本『俳小星句集』(定価50銭)があった。
『ハンセン病文学全集』(皓星社)はハンセン病療養所の入所者や回復者の文芸作品や随筆などを集めた全10巻で2002年に刊行を始めて10年がかりで完結した。皓星社を創業した藤巻修一さんは「鹿児島県鹿屋市の療養所にいた作家の故・島比呂志が『私たちの全集がほしい』と書いているのを読んで刊行を決めた」と話す。全国13の国立療養所を訪ね歩いて所内の文芸誌などから収集した。全生園の人たちの作品も数多く収録している。
全集の編集委員は加賀乙彦、鶴見俊輔、大岡信ら。「患者や回復者の貴重な記録でハンセン病文学の金字塔」と評価されている。全集の第9巻は俳句、短歌、川柳を収めた。そこから選んだアンソロジーが皓星社から2021年4月に出た『訴歌 あなたはきっと橋を渡って来てくれる』(阿部正子編)で、胸にしみる作品が多い。
「またくると中折れ帽子をふりし父を待ちつづけてきぬこの三十年」
「十五歳のおさげ髪にて入所せしわれ病み抜きて還暦迎う」
悲しみや切なさを詠んだ作品だけでなく、希望を持って生きる意志をうたった作品もある。
「白杖に夢の火種は絶やすまい」
ドリアン助川の小説を原作として2015年に公開された映画「あん」(河瀬直美監督)は全生園も舞台になっている。樹木希林演じる高齢女性はあん作りの達人。青年が営む西武新宿線久米川駅そばの売れないどら焼き店でアルバイトを始めると、おいしさが評判を呼んで大繁盛。ところが老女がハンセン病の回復者だとわかると客足は途絶えてしまう。映画では全生園でつましく暮らす老人たちの日常も描いている。まだ残る、この病への偏見を穏やかに告発する佳作だった。
■ 国賠訴訟の中心を担った詩人・谺雄二
東村山ふるさと歴史館で2023年2月、詩人の谺(こだま)雄二の記録映画「谺雄二 ハンセン病とともに生きる―熊笹の尾根の生涯」が上映された。谺は詩作の一方でハンセン病国家賠償訴訟の原告団の中心になった活動家でもある。少年時代に発症して全生園に入ったが、青年期に群馬県草津の療養所、栗生(くりう)楽泉園に移った。戦前、戦中、戦後の長い間、劣悪な環境で暮らし、懲罰拘禁など入所者への非人道的な扱いに強く抗議して療養所の待遇改善や人権擁護にも尽力した。その生き方を描いた映画で、本人や関係者の証言をもとに、その気魄に満ちた生涯を丁寧に描いている。
谺の著書『ライは長い旅だから』(皓星社)は1981年に刊行され、谺の詩と写真家・趙根在の写真で構成している。まだハンセン病へのタブーが強かった時代で、外部のカメラマンが療養所で撮影した写真集は初めてといい、全生園の写真もある。
「ボクたちは 夜になると めざめる 冬が しんと冴えて 生まれ出るように あたらしい苦しみや 痛み 病むことの そのかなしみが ぎしぎしと 夜をふかめて 光る」
病と向き合い、喜怒哀楽を素直に綴った作品群には読む者の魂を揺さぶる力がある。
(中沢義則)
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【主な参考文献】
・北条民雄『いのちの初夜』(角川文庫)
・阿部正子編『訴歌 あなたはきっと橋を渡って来てくれる』(皓星社)
・谺雄二著、趙根在写真『ライは長い旅だから』(皓星社)