大寒の1月20日、武蔵野徳洲会病院前の一本梅の古木が青空に映えて満開でした。ずいぶん早く花をつけるんだなと不思議な思いでした。

「ひばりが丘団地」「滝山団地」と団地巡りのようになってきたが、続けて「東久留米団地」(現在「グリーンヒルズ東久留米」)も「訪ねる」ことにする。この団地周辺は、少し前に日帰り温泉施設ができたりして、かなり様相が変わったが、ここにも固有の歴史がある。この団地が誕生した時の模様を描いた小説を紹介することから始めたい。

 戦後間もない1947(昭和22)年11月、清瀬村(現清瀬市)に、結核研究所臨床部が開設された。その後、結核研究所付属療養所、同附属病院を経て89(平成元)年、結核予防運動の世界共通のシンボルを名称に取り込んだ複十字病院と改称した。大規模な総合病院になっているが、今も60床の結核病床がある。

100winds_banner01 第31回

師岡武男 (評論家)
 

 日本経済の問題点を長年報告したり論じたりしてきて、今96歳の私が一番大事だと思う経済課題は、社会保障の充実である。私自身の生活は、寝たきりの体にならない限り、社会保障のお陰で、独居老人でも幸い何とか暮らしていける。しかし日本全体で見ると、不景気続きのじり貧経済のため生活に困っている人々が沢山いるし、社会保障は抑制のための「改革」がどんどんと進んでいる。恐らく多くの人々が老後不安におびえ、結果として消費節約による不景気経済の悪循環を招いていると思う。この状況を一刻も早く改善したい。

 終戦直後、街には戦災孤児があふれていた。救済の手を差し伸べたのはほとんどが民間施設、なかでもキリスト教関係者が果たした役割は大きかった。  東京サレジオ学園は1946(昭和21)年、サレジオ修道会の神父が東京都練馬区の旧陸軍成増飛行場跡の兵舎を借りて園児3人とともに始まった。兵舎は米軍住宅地になるため、47年に現在の小平市上水南町にあった旧陸軍技術研究所跡地の払い下げを受けて移転。翌年には児童福祉法の施行により養護施設として認可を受けた。小中学校の設置も認可され、広大な敷地に子どもたちの生活の世話とともに学校教育も行う養護施設が誕生した。

 しばらく遠ざかっていた散歩コースを歩いていたら、初夏に咲くゼニアオイがたくさん花をつけているのを見つけて驚いた。1月16日午後。狂い咲きと片付けるにははばかるような健気さに圧倒されて、雨の中をしばし立ち尽くした。

 敗戦後、占領軍は軍務や宿舎のため各地の旧軍施設やホテルを次々接収したほか、将兵とその家族の娯楽・保養施設としてゴルフ場やテニスコートを差し押さえた。小金井公園に隣接する小平町(現小平市)の名門ゴルフ場「小金井カントリー倶楽部」(小金井CC)も1946(昭和21)年に完全接収され、会員は締め出されることになった。

 

 1.縁側のある暮らし

 昔の家には、たいがい「縁側」があった。今の新築の住宅は、戸建てはもちろん、アパートやマンションにも縁側のない家が一般的なので、若い世代には、縁側と言っても分からないかもしれない。

 

 私たちが暮らす地域は戦後、どのような道をたどって現在に至っているのだろうか。連載企画「北多摩戦後クロニクル」は、北多摩北部(東村山・清瀬・東久留米・西東京・小平の5市)を中心とする地域の戦後の歩みをトピックごとにたどることで、地元を見つめ直し、東京郊外が映す戦後日本を点描する(毎週火曜掲載)。第1回は北多摩地域が第2次大戦時に経験した空襲を取り上げて戦後への導線としたい。(写真は、焼夷弾で消失した農家。1945年5月24日、現西東京市芝久保町。西東京市図書館所蔵)

 ひばりタイムスは、写真にたっぷりスペースを割いています。記事も大事。写真も大切。それなら写真を手掛かりにこの1年を振り返ってみたらどうか-。編集会合でそうまとまりました。市民ライターズ倶楽部の常連執筆メンバーが、自分とほかの人の記事から写真を各1枚選び、過越しの2022年を振り返ります。(編集部)(写真は、親子で散歩。1月22日掲載「早咲きに“春の兆し”【Photo歳時記】」から)

 前回、1960年に当時の皇太子夫妻がひばりが丘団地を視察したことを述べ、団地生活の広告塔のような効果を果たしたことに触れた。ではなぜ、このとき皇太子夫妻は団地を訪れたのだろうか? もちろん当時、ひばりが丘団地が日本一大きい団地だったからだろうが、ちょっと違う側面について考えてみたい。(写真は、冬色の滝山団地。筆者撮影)

 神代植物公園(調布市)の紅葉が見ごろを迎えている。深大寺に近い南側「深大寺門」から入ってすぐの「かえで園」には、イロハモミジやオオモミジなど約45種80本が植えられている。散策路では、深紅、赤、オレンジ、黄色、黄緑、緑など、豊かな彩りを楽しみながらゆったり歩む人々の姿が見られた。(写真は、晩秋の日差しを浴びて輝く色とりどりの紅葉)

 富士山の上空に線状の雲が描く三角形が現れた。富士山と相似形をかたどっていて面白い。ついでに三角鉄塔も脇で引き立て役を務めている(写真は、11月25日午後4時25分、小平市鈴木町のマンション5階から)。

 原武史著『レッドアローとスターハウス もうひとつの戦後思想史』(新潮社)の〝主役〟は「ひばりが丘」である、といいたい。16本ある章題のうち6箇所も「ひばりが丘」(1箇所は駅名の「ひばりヶ丘」だが)が出てくる。かつて、こんなボリュームで「ひばりが丘」を取り上げた本は、たぶんなかった。(写真は「ひばりヶ丘パークヒルズ管理サービス事務所」として残されたひばりが丘団地の「スターハウス」)

 

買い物に出かけることは「楽しみ」

 

 「高齢者にとって買い物が不自由だ」と言った場合、重い物を運ぶのが大変、あるいは、家から小売店に出かけるのが大変というように考える。その解決策として、ネットで購入・宅配するとか、あるいは、巡回小売店や買い物代行サービスの導入などを考えることが多い。