北多摩戦後クロニクル 第43回
2003年 玉川上水が国史跡に指定 都心と武蔵野台地を潤した水の大動脈
2003(平成15)年、武蔵野の台地を流れる玉川上水が国の史跡に指定された。江戸初期から人々に飲み水を届けるとともに武蔵野の開発を促した玉川上水は戦後、空堀や道路、暗渠になるなど時代の変化に合わせてその姿を変えてきた。近年は人々に憩いを与える自然環境の保全、江戸と東京の発展を支えた歴史文化資産としての整備が進むとともに、豊かな水流復活に向けた活動が熱を帯びている。
■ 命の水届ける「人喰い川」
玉川上水は人口増で水不足に瀕していた江戸市中に飲み水を届けるため、1653(承応2)年に完成した。羽村堰(現羽村市)で取り入れた多摩川の水は、武蔵野台地を経て四谷大木戸(現新宿区四谷4丁目)へ。全長約43キロ、標高差約92メートルを開削する難事業は高度な測量・土木技術を駆使して、わずか8カ月で成し遂げられた。
当時、世界最先端、最大規模の水道システムを差配した総奉行は老中松平伊豆守信綱。工事請負人は町人の庄右衛門と清右衛門の「玉川兄弟」とされるが、確かな記録は残っていない。
完成直後から野火止上水をはじめとする分水が次々に開削され、水の乏しい武蔵野台地に農業・生活用水を供給して開拓村を続々と生み出した。江戸中期には新田開発の一環として小金井橋を中心に両岸数キロに約2000本の山桜が植えられ、関東随一の桜の名所として長く親しまれた。明治初めには運搬船が往来したが、水質悪化のためわずか2年で廃止に。水質の保全は人々の命を守るための至上命題だった。
戦後も流域の住民は上水の水を汲み上げて風呂や洗濯用に使っていた。だが人々に「命の水」を運んだ水量豊かな急流はしばしば人をのみ込み、「人喰い川」とさえ呼ばれた。1948(昭和23)年、三鷹市で愛人と心中した作家太宰治もその一人だった。58年から5年間で自殺者を含めて90人が水死したとの記録がある。都は両岸に有刺鉄線を張り巡らせたが効果はなく、流域の住民からは上水に蓋をするよう求める陳情が相次いだ。
65年、東京の水不足解消の切り札として利根川の水を利用することになり、淀橋浄水場(新宿区)の機能が東村山浄水場に移転した。このため水道の源水を送る玉川上水の機能は羽村取水堰から河川水の水質を管理する小平監視所(立川市)までの約12キロとなり、監視所の下流は水の流れない空堀となった。300年以上、人々に飲み水を届けてきた玉川上水は、ついにその役割を終えた。
■ 空堀に“清流”が復活
水流が絶たれると両岸側壁の崩壊が目立つようになり、地域から上水に蓋をして道路に転用する案や下水道にして利用する構想が持ち上がった。しかし、これに強く異を唱えたのもまた地域の住民たちだった。
66年に発足した「玉川上水を守る会」は、以後大きな広がりを見せる住民運動の先駆けになり、会には武蔵野市に住む詩人の金子光晴、俳人の中村草田男、水原秋桜子らが名を連ねた。当時は高度経済成長に伴う公害や自然破壊が社会問題となり、全国で環境保護の機運が高まる中、玉川上水やその分水で清流やホタルの復活を求める運動が勢いづいていった。
自然保護だけではない。江戸と東京の発展を支えた土木施設・遺構として歴史的、文化的価値を有する玉川上水の「国の史跡指定」が運動の大きな目標となった。74年には「小平市玉川上水を守る会」が彫刻家の平櫛田中、作家の杉本苑子、俳人の中村汀女らを顧問に発足し、以後、半世紀に及ぶ活動を続ける。
国や自治体も環境保護を行政の柱に据えるようになり、71年には環境庁が発足。都も道路建設から上水沿道の緑化と保全に方針転換し、81年には都立公園「玉川上水緑道」が整備された。
さらに空堀状態の水路に水流を取り戻す事業を進め、86年、小平監視所から浅間橋(杉並区・高井戸)までの約18キロに下水を二次処理した“清流”がよみがえった。野火止用水、千川上水でも水流が復活し、全国の自治体による「清流復活事業」の先駆けになった。
都は99年に玉川上水を「歴史環境保全地域」に指定。竣工350年となる2003(平成15)年8月には、ついに下流部の暗渠を除いた約30キロが国の史跡に指定された。
■ 利用から保全・活用、そして再生へ
飲み水としての利用から自然環境・歴史文化資産の保全へ。近年は街づくりやアートプロジェクト、環境学習、防災・減災などのため玉川上水を活用する動きが広がっている。
2012年、小平市、西東京市、小金井市など玉川上水中流域の7区市長が一堂に会した「玉川上水サミット」を開催。街づくりと地域活性化に向けた保全と活用を各区市が連携する共同宣言を採択した。
流域の市民団体や個人からなる「玉川上水ネット」は、羽村取水堰から皇居・半蔵門までを歩いた「玉川上水リレーウォーク」など「玉川上水・分水網の保全活用」に向けた活動が16年に日本ユネスコ協会連盟の「プロジェクト未来遺産」に登録された。
21年には同ルートを46億年の生命の歴史になぞらえて歩くアートプロジェクト「玉川上水46億年を歩く」が実施された。1キロを1億年と想定し、地球史46億年分を歩くことで生物多様性の大切さを体感する試みだ。20万年のヒトの歴史はゴール手前の2メートル、300年前の産業革命はわずか3ミリになるという。企画したアーティストのリー智子さんは「地球の歴史の中で生物の多様性がこれほど豊かになるまでにどれだけ時間がかかり、それをどれだけ短い時間で人類が破壊したかを視覚化し体感したかった」とする。
さらに玉川上水と分水網を羽村から外濠、隅田川に至る水路を玉川上水域として一体的に捉え、「水の都」東京を蘇らせる構想が進んでいる。玉川上水復活に向けて約70の市民団体や研究者などでつくる「玉川上水・分水網を生かした水循環都市東京連絡会」は2019年に「市民が選んだ玉川上水・分水網関連遺構100選」を選定。江戸時代の高度な土木技術や東京の発展の歴史に光を当て、ユネスコの世界遺産登録への足がかりとした。
「水の都構想」を掲げる東京都は同連絡会などの提言を受けて、2022年の「未来の東京」戦略で外濠の水質改善のため玉川上水からの導水を活用して水循環を促す計画を推進するとともに「長期的には多摩川から水を引いて本来の玉川上水の姿によみがえらせる可能性」を示した。
同連絡会が今年7月に開催したシンポジウムに登壇した代表の山田正・中央大学名誉教授は「私たちは今、未来に何を残せるかが問われている。大切なのは水の価値を再認識し、玉川上水を『使いながら残していく』ことだ。外濠浄化への活用を大きな第一歩として、せせらぎやこもれびが豊かな水辺環境と清らかな水の流れを取り戻していきたい」と話した。
(片岡義博)
【主な参考資料】
・『小平市史』
・小平市玉川上水を守る会編「玉川上水」20周年記念特集号
・小平市玉川上水を守る会編『玉川上水事典』
・外濠の水辺再生(東京都都市整備局)
・玉川上水ネット(HP)
・玉川上水46億年を歩く(HP)
・玉川上水・分水網を生かした水循環都市東京連絡会(HP)
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