北多摩戦後クロニクル 第38回
1994年 多摩六都科学館オープン 子供たちに科学の学びと夢を

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2023年9月26日

 1994年3月1日、田無市(現西東京市)の住宅地に「多摩六都科学館」がオープンした。「世界一」と認定されたプラネタリウムをはじめ、昆虫標本や動物のはく製、化石の実物展示、宇宙旅行の疑似体験ができる参加体験型展示などを通じて、子供から大人までが楽しみながら科学を学べる場として親しまれている。

 

多摩六都科学館

2024年に開館から30年を迎える多摩六都科学館

 

高水準の生涯学習施設

 

 同館の歩みは86年、小平、東村山、田無、保谷、清瀬、東久留米の6市長(当時)が連名で、鈴木俊一都知事に北多摩地域での都立文化施設設立を要望したのがはじまりだった。翌年、6市による多摩北部広域行政圏協議会が組織され、その後、都からの財政支援による6市共同での子供科学博物館設立が決まった。

 89年に子供科学博物館基本構想検討委員会が発足。学識経験者や6市の市議会議員、小中学校長の計16人で具体的な施設の内容を検討、翌年に「子供科学博物館基本構想書」を答申した。90年には子供科学博物館の設置、管理、運営に関する事務を共同で処理するため、一部事務組合として、「多摩北部広域子供科学博物館組合(現多摩六都科学館組合)」が設置される。

 93年に同組合職員となり、同館の歴史を知る多摩六都科学館組合事務局管理課長の豊田和徳さんによれば、当時は多摩北部地域の目指す将来像を「緑と生活の共存圏―アトラクティブエリア・北多摩」と設定。その将来像を実現するため、①緑に包まれた安全で快適な圏域②健やかな暮らしと活力ある圏域③個性と潤いある文化を創造する圏域、という三つの柱があり、とくに③の重要テーマの一つとして「生涯学習」の推進を掲げていた。

 「当時の科学・技術の分野は高度に専門化するコンピューターなど一般の人にはブラックボックス化が進んでいたため、新しい情報提供の場として学習教育の枠を超えた高水準の生涯学習施設が求められていました。このような背景の中で、圏域の拠点的な生涯学習・文化施設として建設されることになりました」(豊田さん)

 この間、多摩六都科学館の象徴ともいえるプラネタリウムが当初の構想にはなかったというエピソードがある。基本構想検討委員会の委員を務めた当時の小平市立小学校校長で、のちに同館特別顧問になった時乗晃さんが私的にまとめた冊子「回想録」に記している。

 それによれば、時乗さんは地元教育関係者から要望が高かったプラネタリウムの設置計画が検討委の議案になかったことから、他の5市の状況も調査し、プラネタリウムの必要性を確認。当時の瀬沼永真・小平市長を通じて6市長会に働きかけ、設置が実現したという。

 「当時は小学校高学年から中学、今は小学校中学年で星の学習を行いますが、観測は夜でないとできないうえ、当時すでに6市でも夜間の星空が見えにくくなっていたようです。開館から今も圏域全校の小学生が理科見学でプラネタリウムに来ますが、それも時乗さんのおかげです」

 視察応対や展示の解説も担当する多摩六都科学館統括マネージャー補佐の伊藤勝恵さんが、時乗さんの回想録を手に話してくれた。

 

多摩六都科学館

1993年12月、竣工当時の航空写真(多摩六都科学館提供)

 

宇宙旅行を疑似体験

 

 1993年8月に「多摩六都科学館」の名称が決定、12月に竣工し、開館へのカウントダウンがはじまる。民間委託の受付や施設運営、展示解説などの教育スタッフも決まり、研修などが急ピッチで進められた。伊藤さんも業務委託スタッフとして開館前に採用されて以来、歩みをともにしてきた一人だ。

 「科学館の工事現場に掲げられていた『みんなで築こう科学の城 創ろう子供たちの夢』というスローガンが印象的でした。私はスタッフ募集の『プラネタリウムのおねえさん、おにいさん(募集)』という言葉に魅かれて応募。採用は開館1カ月前で、あわただしかったですね」(伊藤さん)

 94年2月26日、鈴木都知事、所在地・田無市の末木達男氏ら6市の市長・市議会議長、都庁関係者ら約300人を招き、オープン式典が行われ、3月1日に開館した。総工費約120億円、延べ床面積約6500平方メートルの地上3階、地下2階建て建物に、企画展示・講演会などを行うイベントホールや各種展示室、科学実験・工作を行う学習室、パソコン室、図書コーナー、そしてドームの直径(27・5メートル)が当時世界一のプラネタリウムを擁した堂々の施設。

 プラネタリウムにはオープン当初から長蛇の列ができた。時乗さんの回想録には「一家総出の家族団が眼に多く飛び込んだ」とあり、「生まれて初めてプラネタリウムを見た」という高齢者の声など「地域の科学館らしいスタート状況」と記している。

 展示室では実物展示や実物大模型展示のほか参加体験型展示が売り物で、スペースシャトルの搭乗を疑似体験できるシアターや、今もある月面歩行の疑似体験ができる「ムーンウォーカー」などが人気に。

 

ムーンウォーカー

開館以来人気のムーンウォーカー(多摩六都科学館提供)

 

 「シアターはわずか10分で、宇宙に行き、地球を眺めて戻ってくるという疑似体験ですが、本当に宇宙に行ったと思ったおじいちゃんもいて、『今何キロぐらい上空に行ったのですか』と聞かれました。それだけ科学を身近に感じて楽しんでいただけていると思いました」と伊藤さんも当時の感動をよみがえらせる。

 開館後の5月に星の子をモチーフにしたロゴマーク、プラネタリウムの愛称「メロンドーム」も決まり、本格始動。オープンした3月だけで約3万人が来館。その後も入館者は続々と詰めかけ、同年10月までで年間見込みの15万人を達成した。同館によれば、月別では2016年8月の4万9029人、年度別では同年の25万3471人が最高で、23年8月末現在で通算入館者は473万4878人。季節ごとに年4回特別展を開催しているが、とくに夏休みの展示は人気があり、来場者数トップ5を占めている。

 

特別企画トップ5

歴代特別企画展の来場者数トップ5(多摩六都科学館作成)

 

プラネタリウムがギネスに認定

 

 開館以降の歩みをたどれば、2000年には、科学館と利用者をつなぐ科学館ボランティア制度が発足。現在、市民らのボランティア約100人、小学5年から高校生までのジュニアボランティアも在籍している。04年の髙柳雄一館長の就任もエポックと言える。それまで館長は不在だったが、NHKで科学系のシリーズ番組を手掛け、NHKスペシャル番組チーフプロデューサー、解説委員などを歴任した髙柳氏の就任で、館長の知識と経験を生かし、専門家や関係各機関などと連携できて情報の拡充、内容充実、質の向上につながったとも。

 

プラネタリウム

星座絵が投影されたプラネタリウム(多摩六都科学館提供)

 

 01年、13年には常設展示のリニューアル、12年にはプラネタリウムをリニューアル。光学式投映機「ケイロンⅡ」で投映される星の数(1億4000万の恒星)が世界一とギネスで認定され、注目される。

 「認定がニュースになり、全国から問い合わせが殺到しました。『西武新宿線、西東京市ってどこにありますか』と(笑)。世界一のプラネタリウムが地元にあると、地域の方も改めて足を運ぶように」(伊藤さん)と再び脚光を集めた。ちなみに01年に田無市と保谷市が合併し、西東京市に。圏域の6市は5市になったが、「設立の経緯、アイデンティティーを大事にしようと、館の名称もそのままにしています」(豊田さん)。

 さらに、12年に、従来の館内業務などが業務委託から指定管理者制度となり、乃村工藝社が指定管理者となったことで包括的な管理運営で効率化。特別展などの企画も内製により柔軟にできるようになったという。

 20年からのコロナ禍では3カ月の休館や、入場制限などに苦慮したが、同時に館内での講座やイベントにオンライン参加を導入。「研究施設の人に中継で出ていただいたり、天体観望会をオンラインでやったり。遠くの方や定員制で抽選に漏れた方にも参加いただけるようになった」と前を向く。そして24年、多摩六都科学館は開館30年を迎える。

 「科学的に物を見る、教養としての科学を身に着け、生活を豊かにする。子供も大人も、いつ来ても発見、学びがある科学館であり続けたい。多摩六都科学館があってよかったと思ってもらえるように」と伊藤さん。

 豊田さんも「科学技術はどんどん進歩しているので、タイムリーに情報発信し、多様な学びの場になるように。これからもさらに圏域住民の方に親しんでいただき、地域に開かれ、地域に根ざした施設づくりをしていきたい」と改めて意欲を示した。

 

髙柳館長ら

ロゴマークの入った組合旗の前で髙柳雄一館長(中央)と豊田和徳さん(右)、伊藤勝恵さん

(倉野武)

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【主な参考資料】
・多摩六都科学館(公式ホームページ

 

 

倉野武
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