晩冬の小金井公園を歩くと、冬枯れの木々と落ち葉のなか、ひときわ鮮やかな黄色が目を引いた。満開のソシンロウバイ(素心蝋梅)だ。(写真は、満開のソシンロウバイ。1月27日午前10時半)
厳しい寒さが続く日々。しかし大寒が過ぎると、日射しも心なしか暖かい。紅梅のつぼみが枝先に並び、ところどころに早咲きが一輪、二輪。1月22日の午後、西東京いこいの森公園で “ 春の兆し”を見つけた。(写真は、枝先にほころぶ紅梅。1月22日午後2時08分)
浮世絵の魔力 by 飯岡志郎
手元に1冊の、いや2冊の古ぼけた画集がある。平凡社刊「世界名画全集」の別巻「広重 東海道五十三次」と「広重・英泉 木曾海道六十九次」。昭和35年4月12日と36年3月15日発行とあるから、60年以上前の物だ。言うまでもなく有名な江戸時代の浮世絵風景画集で、今ではそのたぐいの出版物は星の数ほどもある。でも、そのころでは新鮮だった。1冊380円、現在の価格に直すと3000円程度か。決して安くはないが、当時の印刷技術を駆使したカラーでオリジナルの雰囲気をそれなりに伝えており、一般のサラリーマンでも手に入る意欲的な出版事業だったと想像する。
寒さが厳しくなった1月6日、東京地方に雪が降り積もった。西武池袋線ひばりヶ丘駅周辺も夕方にはうっすら雪化粧。雨傘に雪が張り付き、道行く人は足許を確かめながら歩いていた。(写真は、雪が降り積むひばりヶ丘駅北口。6日午後5時17分)
正月は毎年、地元の神社に初詣に出掛けてきた。今年も住吉町の尉殿神社にお参りした。自宅からゆっくり歩いて10分余り。ひばりヶ丘駅から住宅街を抜ける道の往復で日の丸と消毒液が目を引いた。見過ごしていた風景から、珍しい風物を発見した気分になった。
1年を締めくくる年の瀬。今年を振り返る新聞やテレビのニュースが、世の中の流れを伝えてくれます。では「ひばりタイムス」はどうだったか-。今年は西東京市と近隣の出来事を、年初から470本あまりの記事にまとめて掲載しました。常連執筆メンバーがその中から3本を選び出し、それぞれ「ひばりタイムスの2021年」を振り返ります。(編集部)
杉山尚次(編集者)
前に玉川上水について書いたとき、玉川上水の三鷹あたりといえば太宰治の終焉の地であり、「太宰と三鷹」というテーマはアリだなと思っていた。ただ、あまりに有名な作家であり、作品の中身だけでなく周辺的なエピソードについても賑やかな人物なので、新発見は期待できそうにない。ご存知のことばかりだったら、御免あそばせ。(写真は、玉川上水周辺。柵の向こうに水路がある)
~紫草✕エコ ⇒江戸期の自然農法・エコロジーとエコノミーの共存~
冒頭の絵は19世紀の農学者大蔵永常の著書『広益国産考』三の巻における紫草栽培の挿絵を切り取ったものである。春に紫草の種を播き、夏に肥料を与え、秋に種と紫根を収穫することが伝わってくる。左側の「秋」の絵を見ると、掘りあげた紫草の捌き具合がよくわかる。この挿絵の3つの書き入れを翻刻すると、①「折りわけたる茎を筵に入れて種を叩き落とす図」(上段左の棒を持つ男)、②「根を筵に入れて干す図」(中段の縞模様の上着の男)、③「紫草の根と茎とを折りわけている図」(下段の夫婦)となる。これらの挿絵によって、往時の農民の分業による共同作業の手順を知ることができる。しかし、作業の流れと絵の配置が一致しないのがやや気にかかる。
被災の地で何度も救われた by 近藤菜穂子
東日本大震災の発生からわずか2週間後の深夜、私は池袋駅前でこれまでに見たことのない光景に出合った。10数台もの高速バスが連なり、そのすべてに多くの人々が乗り込もうとしている。それらは岩手県に向かう臨時バスの隊列だった。被災した故郷へ向かう人が多いのだろうか。皆、一様に表情の色を失っているように見えた。通常の高速バスとは違い、臨時便は座席の間隔もなく、シートを倒すこともできず、多くの乗客が文字通りバスに詰め込まれていた。私はその中の1台に乗り込み、鞄を抱え小さく座っていた。
杉山尚次(編集者)
奇特なことに、この連載を仙台で読んでくださっている大学の先輩が、「『深大寺の白鳳仏』という本があるけど、取り上げないの」というメールをくださった。「いかん、ちょっと前に書評を見た気がする、ど真ん中のテーマだ」と独り言ち、読んでみることにした。(写真は、調布市深大寺元町の深大寺本堂)
~紫草栽培の試験場、エコキヤンプ~
1年はあっという間に過ぎる。11月半ば、いつものように街中のホウキグサが赤く色づきはじめた。人と紫草のライフサイクルも終盤にさしかかると決まって期待と不安が入り混じる。1年間の紫草栽培の仕上げの時期を迎えるからである。
西江雅之先生、東アフリカ、スワヒリ語のこと by 斎藤 澄子
1970年代、会社帰りに、新宿住友ビルにあったカルチャーセンターでスワヒリ語を習っていた。アフリカで話されているということ以外、スワヒリ語がどういう言語であるかも知らなかったが、面白そうだったので通い始め、数年は続いたと思う。


