地方創生ってなんだ
ひばりが丘団地に住んで50年余りになる。この借家が、多分「終の棲家」になるだろう。初めの40年余りは東久留米市民だったが、この10年足らずは建て替えにより西東京市の住民に登録されている。
職業は通信社記者だったので、大かたの勤め人同様、家は寝泊まりの場に近かった。しかし、職業柄もあって住民自治とか地方自治の問題には割合関心があった。今度、記者時代の友人の北嶋君が、定年後の仕事として地域のネット新聞発行という壮挙に出たので、一層関心を強めざるをえなくなった。
とはいうものの、常日頃痛感しているのは、余所で勤め人暮らしをしながら地域社会に根を生やすことの難しさだ。身に沁みこんでいる「ふるさと」は、生まれてから中学生(旧制)時代まで20年足らず住んだ千葉県の田舎である。それはそれとして、今住んでいる地域社会を、自立し助け合い楽しみ合いながら安心、安全に住める「いい社会」にしたい、と思う。おそらく多くの市民に共通の気持ちではないだろうか。しかしそれが、どうもうまく達成されない、という苛立ちも共通かもしれない。
いま政府が「地方創生」というスローガンを掲げているのは、その民意に応えざるをえないためだろう。もちろん4月の統一地方選挙対策ではあるだろうが、だからこそ選挙は大事なものなのだ。「選挙対策」の政策を貶す人がよくいるが、選挙対策こそは民主主義政治の基本であろう。
ところで「地方」とは難しい言葉だ。そもそも西東京市は地方なのか。もっと分かりやすい言葉がないと、具体策を考えるきっかけにならないではないか。地方ではなく地域、自治体なら誰にもわかる。地方自治、地方分権、「地方の時代」など古くからなじみの熟語があるが、地方だけでは意味があいまいだ。田舎とか過疎地の意味合いが強いのだろうか。
「創生」も難しい。かつて竹下内閣が「ふるさと創生」事業と称して全国の市町村に1億円ずつ配ったのは、それなりに単純明快だった。昔からある「地方振興」政策の一種だ。今回の「創生」も多分それだろうが、問題はどんな具体策になるかだ。
政策思想の歴史から見ると、地方重視は、中央集権的政治、経済のゆきづまり対策として出てきているようだ。中央偏重で地方は衰退、荒廃にさらされている。なんとか地方にテコ入れしなければ、という発想だろう。しかしいまのアベノミクスの「本旨」は優勝劣敗容認の新自由主義であり、国土の均衡ある発展をめざすものではない。経済成長の大国を「取り戻す」手段としての地方創生策には、眉につばをつけて見守りたい。(了)
【筆者略歴】
師岡武男(もろおか・たけお)
1926年、千葉県生まれ。評論家。東大法学部卒。共同通信社入社後、社会部、経済部を経て編集委員、論説委員を歴任。元新聞労連書記長。主な著書に『証言構成戦後労働運動史』(共著)などがある。