西武池袋線の歴史と地元の思い 『武蔵野鉄道が通る!ー保谷周辺を中心にー』を刊行して

投稿者: カテゴリー: 暮らし オン 2022年7月1日

『武蔵野鉄道が通る!-保谷周辺を中心に-』(クリックで拡大)

 西武池袋線に関心のある人には見逃せない一冊『武蔵野鉄道が通る! -保谷周辺を中心に-』が7月1日に発行されました。西武鉄道の前身「武蔵野鉄道」を創成期から概観し、写真やイラスト、表など貴重な資料を盛り込み、さらに所沢~池袋間の各駅を手分けして調査。駅の変貌と地元の思いを掘り起こしたA4版、44ページ。著者は「下保谷の自然と文化を記録する会」の萩原恵子さんと松田宗男さん。共著者の一人、松田さんの報告です。(編集部)

 

 

西武池袋線との縁、執筆の思い

 

 萩原は、「下保谷の自然と文化を記録する会」の一員として下保谷の歴史や⺠族学博物館の歴史の掘り起こしや広報をしてきた一方で、「武蔵野鉄道」を調べたいとの思いを持ち続けていた。会員の松田は、保育園児の頃大泉学園から石神井公園まで電車通園をして以来、西武池袋線は、生活と切っても切れない関係がありそのルーツである「武蔵野鉄道」に興味をもっていた。

 現在も2人が日頃使っている⻄武池袋線の創設時(1915・大正4年)は武蔵野鉄道で、戦後も西武農業鉄道と呼ばれ、人の移動手段というよりは、農産物や鉱物資源などの貨物運搬を目的としたローカル鉄道だった。萩原が『高橋文太郎の真実と民族学博物館』(高橋文太郎の軌跡を学ぶ会)の研究の過程で、文太郎の父源太郎が武蔵野鉄道敷設、保谷駅開設に大きな役割を果たしたことを知ったことも、本書を執筆する契機になっている。

 かつて鉄道開設予定地だったところは雑木林や田畑であり、そこに駅を開設することの価値を見抜いていた人びとがいたことを、沿線に住んでおられる方々に知ってもらうことに意義があると考えている。

 

「各駅ごとに歴史あり」-本書の構成

 

 1923(大正12)年の関東大震災の比較的被害が少なかった沿線の駅周辺を中心とした住宅地開発により、武蔵野鉄道は、人移送手段としての鉄道へと変貌し、東京の拡大化に大きく貢献していったと思われる。開通してから100年以上を経て、鉄道の敷設、駅開設に尽力した当時の沿線の人々が現状をどんな思いで見ているのだろうか、当時の思いは生きているのだろうかと、思いを馳せた。まずは、当時の思いは何処にあったのかを思い起こせればとの無謀な考えで、所沢から池袋までの各駅についての情報を短くまとめてみることにした。

 武蔵野鉄道に関しては、既に飯能市郷土館による優れた『武蔵野鉄道開通』(飯能市郷土館 2015年)や石井正己の「『⻄武鉄道 100 年と⻄東京市』2016 」の総説があるが、個別の駅単位の鉄路と駅開設に伴う状況を鉄道線路沿いに調べることにも意味があると思い、以下のような形で44ページのムック版として纏めてみた。3章の各駅のエピソードは、殆どを1ページで短く纏め所沢から池袋までの各駅停車の電車に乗った気分で通読しやすい形にした。

 

1章 鉄道創成期
2章 武蔵野鉄道
3章 駅には駅ごとに歴史がある
 所沢・秋津・清瀬・田無町・保谷・東大泉・石神井・貫井・中村橋・練馬・桜台・江古 田・長江・東長崎・椎名町・上り屋敷・池袋
4章 2つの中武(軽便)鉄道
 資料・参考文献

 

残る駅、消える駅

 

 本書の各駅の項で述べたように、殆どの武蔵野鉄道の駅は、地元の方々の熱意によって出来た駅である。ただ、所沢と池袋の間には、例外的に軍や会社都合によって出来た3つの駅があった。

① 所沢飛行場と陸軍飛行学校で働く人達の為に1938(昭和13)年2月19日に所沢~秋津間に松井村駅が開設され、後に3月1日に「所沢飛行場駅」と改名。その後、1940(昭和15年11月1日に「東所沢駅」とさらに改名し1945(昭和20)年3月に閉鎖された。

② 堤康次郎の一声で政府と東京府主導の屎尿列車運行用の貯溜のための「長江駅」が東長崎(長崎駅の予定だったが、長崎県に長崎駅が既存していたことにより東をつけ東長崎駅とした)と江古田駅の間に両方の駅名をとった貨物駅長江駅を市場のための駅という名目で土地を購入し終戦の年に出来た。戦後も暫く使われていた。後に「西武市場駅」と名称変更を行ったが、自動車による運搬が主体となり結局廃駅となっている。

③ 山手線内への進出を期待して出来た「上り屋敷駅」(雑司ヶ谷旭出)は、新線が認められなかった後も存続していたが、戦時に休止したまま戦後再開することなく廃駅となっている。

 一方、同様に戦時中に休止していた新小金井桜並木を守ろうと近隣人たちが努力を続けていた桜台駅は、戦後に再開されている。地元との強い結びつきがなく開設された駅(松井、長江、上り屋敷)の廃駅化は宿命だった。まさに、駅は周辺住民の生活と切っても切れない強い関係があることを示している。

 

地図

戦後に出来た駅

 

 鉄道敷設時、名刹として知られていた⻑命寺の近くに石神井駅を開設することを希望していた谷原の横山良平らが望んだ駅設置は、1994(平成 6)年に「練馬高野台」駅としてようやく叶うことになる。かつては、保谷駅周辺の子供達が、戦後保谷から石神井公園まで電車を利用し、駅から長い距離を歩いて長命寺幼稚園に通っていた頃を沿線の景色の変貌と共に思い出されているに違いない。

 

課題とその後の歴史

 

 練馬区のアーカイブにある「古老が語る」の中に、<大泉学園駅は3度目の駅名>のタイトルで、「大泉学園駅は、1922(大正11)年に仮小屋ができて、翌1923年の暮れにハイカラな三角屋根の駅舎ができ、1924年に開駅しました。このころの駅名は、村名をとって「大泉駅」といいました。その後、1932(昭和7)年の東京市編入に伴い、駅のある辺りは東大泉という地名となったため、駅名も「東大泉駅」に変わりました。そして、翌1933(昭和)8年には「大泉学園駅」に変更されました。」とあるが、検索した文献では、東大泉駅は、1924年開業で1927(昭和2)年の地図上にも東大泉の駅名があるので、残念ながら「大泉」駅の存在は確かめられていない。

 また、鉄道敷設、駅開設に土地を提供した大地主の方の名前は、記録されることが多い。しかし、他にも多くの小農の方々が土地提供に関与されているに違いないが、その名前の記載はない。更に、練馬駅に隣接して作られた紡績工場への広大な土地の提供者に関しても調査が進まなかった。など、多くの疑問点は残されたままである。

 本書の目的から、武蔵野鉄道開設前後から戦後間のもない時期までを対象に駅ごとに短く纏めてみた。駅開設に強く関わった方々は、今の発展を喜んでくれているのだろうか。

 しかし鉄道開設からすでに100年以上経っている。1946(昭和21)年に西武池袋線になってからも80年近い月日が流れた。この間の人々の生活、道路・建物の変遷が積み重なって現在がある。この歴史を残すことも、我々の宿題ではないだろうか。本書がその一助になれば幸いである。

 

松田宗男

写真は筆者

【筆者略歴】
 松田宗男(まつだ・むねお)
 1948年生まれ。保育園時から高校まで練馬区東大泉に在。現在南大泉に在住。
「下保谷の自然と文化を記録する会」会員、NPO法人科学教育研究所理事、杏林大学名誉教授。専門は、遺伝学。

 

【書籍情報】
書名:「武蔵野鉄道が通る! -保谷周辺を中心に-」
著者:萩原恵子・松田宗男
購入希望の方は、下記に連絡(頒価500円)
 松田宗男 muneoma16@gmail.com

 

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西武池袋線の歴史と地元の思い 『武蔵野鉄道が通る!ー保谷周辺を中心にー』を刊行して」への1件のフィードバック

  1. 上野邦彦
    1

    西東京のローカルな話題に興味を持ちました。

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